批評/review


 風で飛ばないように物を抑える石、ちょっとした段差を解消するために挟まれる石、境界線をつくる石、隙間に敷き詰められた石、屋内においてはきっと漬物石にもなっている。昨年の夏、下道基行(1978−)は黒部市美術館付近の海沿い地域において、住民が浜辺の丸石を拾ってきて様々な用途に使う風景を見つけ、人々の生活の中で使われる「石」に興味を持った。以来、このさりげない石の風景を考察してきた。
 周辺地域一帯はフィールドミュージアムにも認定されており、黒部川による大規模で美しい形状の扇状地が広っている。ここは山と海の距離が近く扇状地の扇端部分が短く海に到達しているために、付近の海は砂浜ではなく丸石が転がる「石浜」になっているのも特徴だ。また一本の川筋になるまでは、長雨や雪解の度に幾筋にも分かれ網目状に広がっていたので「四十八ヶ瀬」と呼ばれ古くから交通の難所としても知られていた。そのようなことで地域の大半は土を掘れば丸石がゴロゴロとでてくる。生活の中でも石が身近で、海や川原の石が信仰の対象として利用されてきたり、民家や田畑の石垣として積み重ねられたり、当たり前の生活の中でさりげない石の風景が形作られてきた。下道の石への着眼によって石と地域の人々の密接な営みや、その背景にある何万年もかけて形作られてきた地形や風景との関係に気がついた。

 日本で古くから石は、信仰の対象、石器や石斧、石臼や漁具の錘などの民具、あるいは道標、さらには建築、土木的資材として、その他様々な用途が与えられてきた。下道が深く関心をよせる民俗学では人々と石にまつわる様々な事例が明らかにされている。石の崇拝について中山笑等の学者達と問答した書簡をまとめた柳田國男『石神問答』 が明治43年に出版されて以降、様々な研究が行われてきた。それらの業績によって、人と石についての営みが実に多様であることが分かり、石に対する想像力がいかに豊かであるかを知ることができる。野本寛一が述べるように、日本人は古くから「石を心と結びつけ、信仰と結びつけ、生活の中心に、心の核心に、場の中心に据えてきた 」ことは確かなのである。
 折口信夫が「石に出で入るもの」の中で「石に宿る」という感性について説明している。内部空間について「うつぼ」を上げ「這入る所のない様に閉ざされて居ながら、何時か物の這入る様に用意されているもの 」とした。うつぼ木のような神聖な木と同じく用語例からは証明できないとしながらも「一番適切に、我々の頭に来るのが、石 」であると述べた。磐座、石神、多くの事例にあるように、人々は霊魂や神の依代として石を器のように捉えてきた。
 また、鑑賞において代表されるものに日本庭園の枯山水がある。それは世阿弥の『風姿花伝』における「秘すれば花」に表れるように、秘められた姿を第一の美としそこに実体を見出すという幽玄思想に導かれた 。敷き詰められた小石に大海を見て、石組みに山や滝を見るというように、石は、見えない風景を見るための装置として人々の心の景色を受け入れてきた。

 《石》(2016年)は、対象を中心に据えた構図になっていて物質としての存在が非常に強く押し出されている印象を受ける。一つ一つの形や質感が丁寧に伝えられていて、まるで意思を持ってそこに佇んでいるようだ。幾つもの石を見ていくうちにこの丸い石は、山の岩のかけらで、ひいては星のかけらだというような、広大で宇宙から俯瞰するような視点と何万年もの時間の奥行きを喚起させる。その姿形からは、昔人が石には霊魂や神が宿るとも考えたように、何ものかを内包していてもおかしくはないと思わせる。ミルチャ・エリアーデは、彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシ(1876−1957)にとっての石は聖性顕現であると述べたが 、下道にとっても石は、果てしなく捉えがたく厳かな鉱物であることが伝わってくる。
 一方で、幾つもの石の風景を行き来し、石の置かれた状況や背景に目を向け、切り取られた画面の外へと続く風景を想像してみる。そうすると、ある地方の極めて日常的でさりげない一場面だということに気付くことができる。宇宙まで思いを飛ばされたと思えば、変哲もない日常風景がありありと浮かんでくる。この石の器の大きさこそが、信仰の対象として祭られながらも単なる日用品として使われてきた所以であろう。宇宙的で形而上的そして日常的、作品においてはそのような両極性を捉え「石自体がもつ奥行き」と「日常のさりげない風景」の均衡を保持し、かつ同時に提示しようという試みが窺える。
 また下道は、石にはそもそも決まった役割というものがないために人がそれに役割や価値を与えていると考えていた。例えば、海辺や川辺で石を拾う人たちは、用途に合わせて微妙に重さや形を選別し、丁度いい石を拾い持ち帰る。その時、スイッチが切り替わる様にただの石に役割が備わる。富山市北代縄文広場で限りなく原石の形を残したまま使用された石器類が展示されていた。形をざっくり言えば、どれも手のひらに入る丸い石だ。「敲石」は微妙に縦長で握りやすそうで、「凹石」は敲く物の受け皿とされるようにやや平たく使用後に中央部分が窪んだ痕跡もある、まん丸に近い形の「磨石」もあった。縄文人がわずかな違いを選別、選択し使用した石である。手に取った石の横にも、迷った結果に使用されなかった石があったはずできっと今もどこかに転がっている。時代を特定させにくいモノクロ写真による提示は、下道が捉えた石とその営みが現代のことでありながら遠い過去のことであるかもしれないと想像することを促している。

 《石》のリサーチにおいて黒部市吉田科学館学芸員の久保貴志と朝日町埋蔵文化財施設まいぶんKANの川端典子に現地案内の協力を得た。考古学を専門とする川端は何万年、古生物学を専門とする久保は何億年という時間の中で研究を行う。彼らとの会話の中から、下道の視点は彼らの対象と比較すると、人々の営みを、圧倒的な解像度をもって捉えていることに改めて気がついた。民俗学者達が各地の集落の口承伝承や民話を内側から根気強く調査したように、下道も現地に足を運び、綿密に観察し収集していくことで制作が行われる。少年時代は近くの貝塚や古墳を独自に調査していたと教えてくれたが、考古学の発掘作業のように風景を掘り下げ想像していく。表層では「もの」を捉えながらも、その背景にある出来事や記憶や物語について丁寧に考察し、それらを編集してから作品として提示する。そのような下道作品は時として考現学 の系譜に位置付けられてきた 。福住廉が今和次郎や吉田謙吉の考現学の調査に芸術との共通点を見出し「観察者とはしたがって科学と芸術が重複する地帯を闊歩する者を指している 」と述べたが、それは下道の姿勢にも当てはまるように思う。

 さて、《石》に見られたような両極的、あるいは多角的な視点は、これまでのシリーズを俯瞰しても見ることができるし、個々の作品の中にも見ることができる。日本各地に残る掩体号やトーチカ等の旧軍事施設跡を取材した《戦争のかたち》(2001−2005年)、植民地時代に建てられ現在も国境の外側に残る様々な鳥居の姿を見つめた《torii》(2006-2015年)等のように歴史的な出来事が背景にあるものや、大きな自然や時の歳月が作用するものがある。一方で、あぜ道や溝に架かる木板や鉄板等の橋のようなものを撮り集めた《bridge》(2011年)、境界を動物や人が跨ぐことでできた道のような痕跡《crossover》(2012年)、蓋がない器にお皿やティッシュなど適当なもので代用する日常の記録《ははのふた》(2012−2015年)等のように日常の中のささやかな行為によって作り出されたものや、作家のプライベートな事柄に起因するものがある。これらの両方について等価に好奇心の視線が注がれ、それぞれにとっての美しさが見出されてきた。
 さらに一つ一つの作品の中に、消える/残る、移り変わり、漂泊、移動、記憶、痕跡、境界、価値や意味等の様々なコンセプトが常に複数内包されている。例えば朝鮮大学の鉄条網、コミュニティを隔てる川の水などを採集した《境界のかけら》(2012年−)は様々な境界を採取したもの。境界を取り巻く人々の歴史について想像される。さらに、採取されたかけらは意識する者だけに見える社会の境界であり、本当はただの物質でしかないのかもしれないと考えたとき、価値や意味についての思索が生まれる。この様に、作品に重ねられたレイヤーからは、鑑賞者が考えを深めるほどに様々な気づきが引き出される。
 また、写真、映像、現物の展示、文章、資料等、多面的な方法で展示が構成されることで、下道が発見し観察していく過程における心の高鳴りのような感覚や思い巡らす様々な事柄を共有できる。
 
 本展においては、幾つかのシリーズで「用」の持つ力についての考察を改めて試みようとしている。その関心は初期作品にまで遡ることができることからも常に向き合ってきた主題であることが分かる。
 《torii》は、国境の外側の鳥居の姿を取材したものである。この鳥居は大日本帝国の政策によって建てられたものであり戦争が終ってもなお、姿を変えながらその土地に残っている。鬱蒼とした森の中に微かに見える姿、見晴らしのよい草原に佇む姿、その他、施設の門に転用されていたり、民家が押し迫り電信柱のように電線が引かれアンテナが立てられていたり、横たわった鳥居がベンチとしても使用されている。同じ文化を共有し同じ価値を共有するコミュニティの中で初めて機能する意味がその外側に残された時、意味の喪失を目の当たりにする。これらが植民地主義の記憶を象徴するような遺構であることは明らかである。その一方で、誤解を恐れずにいうならば、それらは写真の中に美しく佇んでいるし、日常的な雰囲気を感じられるものもある。《torii》を初めて見た時、文化的な意味や価値観の違いを知り互いの差異を認め合うという、どちらかかといえば、多文化主義的な印象を先に受け止めたことを覚えている。作品に対する考えは、世代あるいは鑑賞者それぞれの意識によって異なるだろう。しかしこのような様々な解釈を許容しているのは、作家が中立な立場をとり、現在のありのままの姿の鳥居と向き合おうと試みているためである。それは《石》に表れていた均衡の保持と類似している。より一方向に引き付けられやすいプロパガンダ的な題材であるだけに、自由な視点で向き合あうことが容認されて初めて美しさや日常性というその他の要素が見えてくる。
 下道は《戦争のかたち》においてモニュメント化されていない軍事施設跡が菜園や民家の物置のように使用されて日常に埋没している様子に関心を抱いた。そしてその姿を美しいと思ったそうだ。それはきっと《torii》にも共通している。これらは機能性が喪失し、長い歳月と変化する環境の中で意味や価値の転覆が起こったものである。下道は「権力的に与えられた意味を市民の生活が無意識に読み替えひっくり返す」こと、例えば、台湾台中市の公園にある鳥居が倒された時の力より、ベンチにして座ってしまうことで権力的なモニュメントとしての意味を剥ぎ取る、人々の日常生活や「(転)用」の力に強く惹かれている 。
 それを自身の行為の中でも模索している。《Re-Fort PROJECT》(2004年-)は、砲台跡の歴史を理解しながら現代にふさわしい使用を検討し試みるもの。例えばそこで、缶蹴りをしたり、花見のようなイベントを開催したり、リノベーションして暮らしてみたりしてきたように、積極的に日常的な行為に転用するところに意味がある。その他には、沖縄のガラス職人たちが戦後、駐留米軍の使用したコカコーラやビールの瓶を再利用して色ガラスを制作したことに着想し、浜辺に漂着したガラスを再利用してコップ等を制作しているプロジェクト《漂白之碑》(2014年-)。第2次世界大戦の戦闘機の機体を再利用し作られた沖縄の民芸品を購入し展示した《ジュラルミン製の皿》(2014年)がある。

 転用する日常の行為、つまり「用」が本来の意味を取り去ること、下道はそれを一方的に美化するのではなく、広い視野を持ちその現象や効力を考察している。しかし私たちは、そのことがいかに風景あるいは記憶や歴史を前進させて来たかということについて、気が付かない訳にはいかない。
 そして、これまでの作品中に表れた日常的な転用の行為は、戦争や侵略というコントラストの強いものと隣り合わせになることでより鮮明になっているのではないか。日常性は相対的に意識され 、社会へ向けられることでより前向きな、いわば「生」への意味合いを帯びる。それは、下道が東日本大震災を契機として制作した《bridge》を通して、改めて日常風景に目を向けていったことにも繋がるだろう。そこで見出されたのも人々による手作りの転用の風景であった。《石》もこの延長上に置くことができる。加えて、もともと意味を持たない石は、価値や役割を与えて使うということが明確に表れる。そのような根源的な視点そして石の持つ宇宙的な時間を重ねることで、これまで近現代を中心に考察してきた「用」の元に時間軸や普遍性についての強度が備わることは明らかである。

 下道は、過去を遡りながら未来へと向かう。ある時はささやかな石の営みを発見し、ある時はその石の記憶や歴史を感じ、そのようにミクロとマクロを行き来しながら風景に折重なる不可視の物語を見つめている。何億年という石の時間に比べれば米粒のような私たちの営みは、されど確実に日常の積み重ねによって風景を、世界を、前進させている。

尺戸智佳子(黒部市美術館学芸員)

柳田國男「石神問答」『柳田國男全集15』株式会社筑摩書房、1990年(初出:『石神問答』聚精堂、1910年)
野本寛一『石の民族』株式会社雄山閣、1975年、p.284 
折口信夫「石に出で入るもの」『折口信夫全集19』、株式会社中央公論社、1996年、p.44(初出:『郷土』第2巻第1〜3号合冊「石」特集号、1932年7月25日発行)
前出書、「石に出で入るもの」、p.45
重森三玲『枯山水』株式会社河原書店、1965年、pp58-69
ミルチャ・エリアーデ「ブランクーシと神話」『エリアーデ著作集第13巻 宗教学と芸術』(中村恭子他訳)株式会社せりか書房、1975年、pp252-253
今和次郎によれば「現代風俗或は現代世相研究に対して採りつつある態度及方法」、「時間的には考古学と対向し、空間的には民俗学と対向するものであって、文化人の生活を対象として研究せんとする」もの。(今和次郎「考現学とは何か」『モデルノロヂオ(考現学)』株式会社学陽書房、1986年復刻版、pp353-355、初版:春陽堂、1930年)
「「再考現学/Re-Modernologio」phasa3:痕跡の風景」展、青森公立大学 国際芸術センター青森、会期2012年2月18日〜3月25日、「路上と観察をめぐる表現史−考現学以降」展、広島現代美術館、会期2013年1月26日〜4月7日
福住廉「観察者の歴史と戦後美術の歴史−現代美術の民俗学的転回へむけて」『路上と観察をめぐる表現史 考現学の現在』株式会社フィルムアート社、2013年、p.203
下道基行、筆者とのメールのやりとりから、2016年5月24日
三井善止「日常性と哲学」『哲学の立場:人間・自然・神』玉川大学出版部、1990年、pp.45-54を参照。


Invisible tales layered within the landscape
Chikako Shakudo

Stones used as weights to prevent an object from flying away in the wind, stones strategically placed to level out a bump in the ground, stones used to fill a small gap, and the stone that must be used inside when making pickles. In the summer last year, Motoyuki Shitamichi (1978- ) became interested in these stones after he came across many such landscapes in the coastal areas around Kurobe City Art Museum, in which the local people had gathered and used stones from the beach in their daily lives. Since that time, he has observed the casual manner in which these stones are used within the landscape.
The surrounding area, with the large and beautifully shaped alluvial fan created by the Kurobe River, is designated as a field museum. Due to the short distance between the mountains and the sea, and the fanned edge of the delta being short, the shoreline does not consist of sandy beaches, but rather, is characterized by pebbled beaches made up of small round stones. The area is also known as the Forty-Eight Riffles. Before the arteries of the river unite into one, numerous riffles fan out in thin mesh like branches, particularly after long spells of rain, and with melting snow; and this characteristic of the area has long been recognized for making transportation difficult.
For these reasons, digging the soil in the area will reveal numerous stones. Stones are also an integral part of the life of the people of the area. Stones from the riverbed and seashore have been used as objects of worship, and they are also used to build stone walls around homes and in fields. This landscape of stones has come to be due to the casual use of stones in ordinary everyday life. When Shitamichi turns his attention to these stones, it also leads us to notice the intimate relationship between them and the local people, and the landscape and topography that has been in the making for over hundreds of thousands of years.

Since ancient times in Japan, stones have been used as objects of religious worship, implements and stone axes, stone mortars, fishing weights, or as signposts. They were also used as building or engineering materials. In folklore, which Shitamichi is deeply interested in, numerous examples entwining people and their use of stones have been uncovered.
Since Kunio Yanagida compiled the notes from dialogues with scholars such as Emu Nakayama in Ishigami Mondo published in 1910, various studies regarding the worship of stones have been carried out. According to these publications, we can see that there is a wide diversity in the relationships between people and stones, and that the imagination people exhibit towards stones is incredibly rich. As Kanichi Nomoto states, there can be no doubt that from ancient times, Japanese people have “…tied stones to their heart, to their religion, placed them at the centre of their lives, and the core of their soul, and the focus of their very foundations.”
Shinobu Orikuchi discusses the sensibilities of dwelling in a stone in Ishi-ni ideiru mono. He points out the concept of utsubo in terms of internal space. According to Orikuchi, “The space is closed as if nothing could be accommodated by it, yet at the same time, it is as if the space has at some time or another, been specifically prepared to accommodate something.” Though he states that he cannot provide evidence of this concept with terminology such as the word utsuboki, used to refer to a sacred tree, “…the most suitable object which comes to mind is a stone.” With numerous examples of dwelling places of Gods and stone deities, people have provided the foundations for rocks to be used as a dwelling or representation of a God or spirit.
An example that can be given as an appreciation of this is the karesansui, the dry landscape rock garden in a traditional Japanese garden. As shown in the concept of if it is hidden, it is a flower in Zeami’s Fushikaden, there is both profound and mysterious beauty in the concealed form, and the prospect of that hidden beauty revealing its true self. Just as we have the ability to be able to see the ocean in small stones spread in a garden, or a waterfall in a rock arrangement, rocks have been given a special place in the hearts of people as a device used to view a concealed landscape.

stone (2016) consists of compositions which focus upon a main object, and we get the impression that the existence of each as a substance is being strongly thrust at us. Each and every form and substance is carefully conveyed, as if each has its own will, and is lingering in that spot. Looking at several of these stones evokes a feeling of brevity at the depth of time, the weight of hundreds and thousands of years. This round stone could not only be a fragment of a mountain cliff, but also a fragment from a planet, and we are viewing it from the immensity of the universe. Just as people once believed that Gods and spirits dwelled in stones based on their appearance, we too come to believe that it would not be so strange if some being were dwelling inside. Mircea Eliade stated that for the sculptor Constantin Brancusi (1876-1957), rocks were a holy manifestation. However for Shitamichi, we get the impression that the stone is a majestic and dignified mineral, eternally difficult to grasp.
On the other hand, if we go back and forward between the scenes of numerous stones, and pay careful attention to the background and circumstances, we can imagine the landscape extending from these seemingly cut-out screens. In doing this, we see that each is an incredibly routine and casual scene from a certain area. Though our imagination has flown to the universe, thoughts of an unremarkable daily life vividly come to mind. The very size of this stone is what led it to be an object of worship, while at the same time it was the reason that it also came to be used simply as a daily utensil. In the metaphysical, in the cosmos, in space, and in the mundane, his works capture this polarity, each stone maintaining a balance between the depth of the stone itself, and the common and mundane daily landscape.
In addition to this, Shitamichi believes that a stone itself has no role, rather, it is people who give the stone its role and value. For example, people gathering stones at the riverbed or seashore choose these based on ever so slight differences in weight and size, bearing in mind what the stone will be used for, and then choose the perfect stone to take home. Just as a switch is turned on or off, what was once just a stone is endowed with a purpose. At The Jomon Village in Toyama Kitadai National Historic Site Prefecture, stone tools, which maintain the original shape of the stone, are on display. To give a rough approximation of the size of the stones, each would fit into the palm of your hand.
There are beating stones, slightly longer, that seem easier to grasp, stones with a pit, flatter with traces of an indentation in the center, as if they have been used as saucer for a Beatingr stones, and almost perfectly round stones that must have been used as grinding stones. People in the Jomon Period chose and used these stones based on ever so slight differences. There must also have been stones that they picked up, and did not use for some reason. Those stones are surely still lying around somewhere even now. The display of black and white photographs makes it difficult to pinpoint the era, encouraging us to imagine whether the stones and their activities which Shitamichi has captured, are part of the present age, or from a time in the distant past.

In researching stone, we enlisted the assistance of Takashi Kubo, curator of the Kurobe Yoshida Science Museum, and Noriko Kawabata from the Asahi Town Center for Archeological Operations to provide guidance in the local area. Kawabata specializes in archaeology, and deals with time spanning over tens of thousands of years. Kubo specializes in paleontology and hundreds of millions of years. In conversations with these two specialists, and comparing Shitamichi’s viewpoint with their interests, again we realize that he has captured the life of the people with overwhelming definition. Just as folklorists assiduously research the folktales and oral traditions of the villages in each region, Shitamichi also visited the area, closely observing and gathering information to create his works.
He informed us that when he was a child, he personally investigated nearby shell middens and burial mounds, and we can imagine scenes much like an archaeological dig. While he captures objects on the surface, he also carefully considers the stories, memories and events of the landscape, and after editing these, presents them as a work of art. Such works can be seen as a study in modernology, and have at times been given this pedigree. In their research in modernology, Ren Fukuzumi, Wajiro Kon and Kenkichi Yoshida have found a common denominator with art, stating that “…the observer is, therefore, someone who strides through overlapping regions in art and science.” This could also apply to the stance of Shitamichi.

The polarity in stone, and the diversified viewpoints, is visible in each individual piece of work, and can be seen even if previous series of works are overlooked. Works with historical events as their background, such as bunkers (2001-2005) which covers the ruins of former military bunkers still visible in various parts of Japan, and torii (2006-2015) which observes the forms of torii (gateways to shrines) built outside of Japan during the Colonial period, also document the vastness of nature, and enormity of the passage of time.
On the other hand, bridge (2011), a collection of works capturing bridges made from wooden planks and steel plates suspended over ditches and paths in rice fields; crossover (2012) showing traces of paths made when people or animals step over boundaries; and Mother’s Covers (2013-2015), a record of tissues or plates used as substitutes for lids; were made showing the tiny behaviors within everyday life, originating in the daily affairs of the private life of the artist. The gaze of curiosity has been poured into these in equal value, and the beauty within each of them discovered.
Furthermore, within each of the works, multiple concepts are included: to disappear or remain, transformation, wandering, movement, memories, traces, boundaries, value, and meaning. For example, in Fragments of borders (2012- ), he collected water from rivers which separate communities, and the barbed-wire entanglements of the Korea University. It is possible to imagine the history of the people whose lives were hemmed in by these borders. Further, the fragments of the borders collected are social boundaries, visible only to those people who are aware of them. If we think of them as simply being a substance, speculation regarding their value and meaning is born. In this way, various realizations are derived from the layers in each work as the viewer’s understanding of them deepens.
Also, as the exhibits are composed using diverse methods including photographs, film, actual objects, texts and documents, it is possible to share the sense of Shitamichi’s fast-paced process of observation and discovery, and ponder various matters together.

This exhibition attempts to re-examine the strength of yo(purpose) in several series of Shitamichi’s work. His interests can be traced back to his initial works, and it can be seen that these interests remain the main subject that he continually confronts in producing his works.
torii is a collection of works covering the forms of torii outside the borders of Japan. These torii were constructed as Empire of Japan policy, and even now, though the war is long over, they remain where they were built, changing their forms. The barely visible torii still standing in the dense forest; the torii lingering on grassy plains in full view; the torii that has been converted into a gate to an institution; the torii being used like a telegraph pole by the house built near it, complete with electrical wires and an antenna; and the torii which has been toppled over and is now being used as a bench. When the original meaning of an object has been pushed away by a community that shares the same culture and values, we can see with our own eyes the loss of the original meaning. It is clear that these are remnants that symbolize the memory of the Colonial Period.
On the other hand, if I am to write without being misunderstood, these torii all linger beautifully within the photos; and in some we can sense the atmosphere of daily life. When I first saw the torii series, I remember feeling an impression of multiculturalism first, rather than recognizing and trying to understand the differences in cultural meanings and values. The thoughts that people hold towards the works will no doubt differ greatly depending on the consciousness of the viewer, and the generation to which they belong. However, what leads to the tolerance of various interpretations is the fact that the artist takes a neutral viewpoint, and is attempting to interact with the torii in their current form. This is similar to maintaining the equilibrium as seen in stone. Precisely because the subject with its one directional propaganda is so fascinating, we can tolerate approaching it from a free point of view, and it is then that we first other elements such as the beauty, and the ordinariness of it.
In bunkers, Shitamichi embraces his interest in the circumstances which have been forgotten in the ordinary. In this series he captures ruins of military facilities that have not been monumentalized, and are used either as vegetable gardens or as storage for private homes. He thought their appearance to be beautiful. This concept is also common in torii. These subjects have lost their original function, and through the passage of time, and changes in the environment, their value and meaning has been overturned. Shitamichi is incredibly attracted to the strength of change and purpose, as well as the ordinary aspects of daily life. For him “…meaning which was forced through authoritarian means, has unconsciously been turned upside down by the citizens in their everyday life.” For example, the fact that people now use the fallen torii as a bench in a park in Taichung, in Taiwan, has completely stripped it of its meaning as an authoritarian monument. There is far more power in this than the strength required to actually topple the torii.
He also searches for this in his own actions. While grasping the history of battery ruins, in Re-Fort PROJECT (2004- ) he attempts to examine an appropriate use for these in current times. For example, he has played kick the can there, organized a blossom viewing event, and even attempted to renovate a building and live there, believing there is meaning in the daily act of changing something proactively. In addition to this, while considering glass artisans in Okinawa re-used coca cola and beer bottles of the United States forces stationed there to make colored glass, he came upon the idea for a project to re-use glass that had drifted ashore to make objects such as cups in The monument of “float” (2014- ). He also purchased and exhibited Okinawan handcrafted goods that had been made using World War II fighter aircraft in Duralumin Plates (2004).

The ordinary act of converting an object, is in other words, removing its original yo(purpose). Shitamichi does not just beautify an object one-sidedly, but also examines the effects and phenomena with a broad perspective. However, we must recognize how far these acts have caused history, memory and the landscape to progress.
In works to date, the day to day act of putting an object to another use appears side by side with war and aggression, providing a sharp contrast. This relative awareness of the mundane, and being able to turn towards society, bears the implication of a positive existence. Through bridge, which Shitamichi produced after the Great East Japan Earthquake, he once again turns his gaze to the everyday landscape.
What he discovered in that, was a landscape of people converting objects by hand. Stones can also be thought of as an extension of this. Moreover, it becomes expressly apparent that stones which originally have no meaning, are given a role and value, and are used for a specific purpose. Together with this fundamental viewpoint, layered with the vastness of time the stone has seen, the intensity of time and universality can be added to purpose, which has to date been examined centering on modern times.
Shitamichi moves towards the future while travelling through the past. At times, discovering the workings of stones, at other times, feeling the history and memories of stones. While going back and forth between the micro and macro, he gazes intently at the invisible tales layered within the landscape. Compared to the hundreds and thousands of years of time stones have seen, our existence is but a grain of sand in time. Even so, with the accumulation of the ordinary, we are moving the landscape, and the world, forward.

Curator
Kurobe City Art Museum

Shitamichi Motoyuki (born 1978, Okayama, lives in Nagoya) is a ‘traveling’ artist, known for his interest in borders. In the course of his wanderings, drifting from place to place without a specific destination, he accumulates objects that he stumbles upon, often relating to symbolic sites of exchange, or he photographs examples of hidden border crossings, such as the derelict remains of torii (shrine gates), encountered in foreign lands once occupied by Japan, or the Remnants of wartime bunkers, scattered around the islands’ coastline. In the Bridge project, Motoyuki took photographs of everyday ad hoc structures, such as a plank of wood, a concrete slab or even an upturned skateboard, that people had improvised into bridges so as to cross day-to-day boundaries, such as a ditch or a gap in the footpath. For the Dojima River Biennale, he created a number of new projects in relation to the idea of borders, and transformation, under the umbrella title of Floating Monuments, exploring the concept of “drifting/staying”, and the notion that “things that look solid are in fact liquid”. For the work, Original Boundary, the artist used samples of seawater, scooped up from the disputed ocean border between Japan and Taiwan from the side of a fishing boat, which he then sold in the Biennale shop, in small bottles, as a limited edition of 100. He also presented an installation of new works made on the Japanese island of Okinawa (a major base for the US military, since WWII), entitled Okinawan Glasses, using glass bottles swept ashore from across the Pacific Ocean by the Kuroshio current, out of which he crafted a range of recycled Ryukyu glassware. Alongside this he placed a ‘duralumin’ plate, found in an Okinawan thrift store, made from the recycled metal of WWII fighter planes (still bearing the ‘Watertown’ stamp of the original US plate that was used to cast it). Behind this display of battered bottles, recycled metalware and beautifully flawed glasses, arranged along the counter of a shiny bar, Motoyuki projected a video, Tsunami Rocks, showing the artist gathering up these washed-up bottles from the beaches of Okinawa, whilst wandering amongst the giant boulders deposited on the island during a tsunami that took place 240 years earlier. Motoyuki’s poetics of ‘drift’ problematizes our assumptions about borderlines, values and exchange. How do you find a value for a particular sample of seawater, from a particular place, that challenges its generality as just ‘seawater’? Is the water more valuable because it derives from the disputed borderline between two rival nations? Or because it has been presented for our attention by an artist? In the imaginary process of valuation, what does it mean to attach the flotsam and jetsam of time to particular narratives of history in order to invest them with significance?

Tom Trevor (independent curator and writer)


下道基行は、記憶の共有のされ方を問いながら、歴史環境と他者との出会い、そして自らの主観がせめぎあう地点から生まれる痕跡を収集し続ける。大局的な立ち位置を俯瞰しつつ、日常を越えたスケールでの移動を繰り広げながらも、実際の彼の行動は出会う他者からの個別の働きかけに応じるものだ。そうして、物語の叙情に流されることもなく、イデオロギーの煽情に翻弄されることもなく、異なる立場や文脈を持つもの同士が、ちょうど均衡する手応えを探ったところで立ち止まる。共有されるべきモニュメントから固有の意味を引き剥がし、人々の中に流通する物事の生きた記憶の欠片を拾って歩くのだ。そして再び、それを新たな機能と因果の中に置き直すのである。
  彼の手法は、場所を超えた共時性、時間を超えた場所の変化、個別なものと共有可能なもの、相反する条件を複合的に組み合わせることに特色がある。そして、それを精錬されたシンプルな軌跡に落とし込んで提示するのだ。彼の初期の活動として知られる「戦争のかたち」シリーズでは、日本全国にちらばるトーチカや掩体壕などの戦跡を撮影した。遠い歴史が別の機能を与えられている風景の再現だけでなく、現地の人々の聞き込みなどから、生きたノイズのある記憶の温もりのようなものを手掛かりに旅程を進む。あるいは、Re-Fortプロジェクトのように、場を再利用し人が交流できる出来事を生み出したりする。それがカウンターモニュメントと異なるのは、戦争の記憶の再認識を促すわけではなく、別の目的を持ったプロジェクトの進行の場としてしまうことである。大きな構造である歴史の集積と、小さな関係性に基づく記憶を辿る作家の二面性は、ときには「A面―B面」として形容された。(註10)『torii』写真集では、記号同士の視覚性は強まり、一種の類型学の体を成している一方、日本の外のかつての外郭を辿る旅であるが故に、よりプロセスの不透明さと不確実さは増すことになった。作家が進む時間に伴い、撮影日記から垣間見えるのは、国境線の移動によって同じ場所に居ながらにして異文化の浸透を余儀なくされた人々が、混在し共生する物語でもある。近年作家はプロセス重視的なあるいは私的な領域の作品が強くなってきているのであるが、美術館や国際展などの公的な場所で発表する機会が増えていることへの反動であろうか。
 今回沖縄では、検索システムと実際の出会いから生まれる文脈を相互に辿りながら、物質の収集というアプローチを作家は採用している。境界をはさんでせめぎ合う他者の歴史が閉じ込められた民具やガラス瓶、海水を、地域の実際の生活に近いところで収集した。写真撮影という手段を取らなかったのは、出会いのあり方や体験の強度がより重視されているからだろう。一瞬で撮影され、消費され、複製される画像情報よりも、物質と文字によって間接的に体験を置き換えることを望んだのだ。よって収集物はスーベニールのような趣を持つ。それは、全体の一部しか示唆せず、不透明であり一回性の体験そのものの「額縁」として永続的に記憶を下支えする。 (註11) こうして集められた収集物は、作家個人の体験認識的な小宇宙を構成する「驚異の部屋(Wunderkammern)」のようでもある。
 大きな構造の欠片が溶かされ混ざり合ったモニュメントは、宙吊り状態のまま、可変することを前提に空間に設置されている。冷蔵庫、保存ケース、標本箱、といった装置によって、人々の間で取り交わされていた生々しい温度と物質一枚隔て、我々の前に提示される。まるで時間の断絶とずれを保存するタイムカプセルのようである。彼が旅人であるいうことは、複数の場と状況を組み換えながら、現実世界に対応していくことであり、それは、写真集編集や標本採集、多様なフォーマットを駆使し横断しながら、アウトプットを続ける表現上の活動に似ている。いかなる場所も、いかなる媒体(メディア)も相対的なものに過ぎず、周囲や前後の作品と相対的な関係によって決定される。収集すること、共働すること、そしてそれを提示すること、それは、日常の中に隠されたある一瞬の断面を探すことだ。そしてあまりにも日常と地続きの行為であるがゆえに、フレームで時間と場所を切り取り、ずらしながら、アートと社会のささやかな段差を作ることが必要だったのかもしれない。

土方浦歌(キュレーター)

10.服部浩之「A面とB面、そしてそれらを結ぶ余白の物語」作家HPからhttp://m-shitamichi.com/
11.津上英輔「Souvenir ―観光体験の額縁」西村清和編『日常性の環境美学』勁草書房、2012年、p.244


Motoyuki Shitamichi pursues a way of sharing common memories, collecting the traces where the subject encounters grand history and the environment, and they are intermingled each other. From a distance he thinks in a unique perspective to general situation but in fact he reacts responding to every agencies that he encounters. Then, without any romanticism or any message of ideology, he takes a neutral stance between those with opposing and contentious views. He eliminates the particuler meaning of the monument and picks up the pieces of living memory that circulates in people. So doing, he replaces them with new functions and causal relationships.
It is his distinguished approach to combine conflicting criteria of synchronicity over different locations and changing times in the same location, to establish whether something is to be shared or belongs to individuals. He presents such tracks in refined and simplified composition. In his early career, the bunkers series consisted of photos taken in the ruins of military architecture, bunkers and pillboxes that remain throughout Japan. Not only did he reproduce the landscape to give it another function, he engaged with the local people, and completed his itinerary with the sounds and warmth of the people.
On the other hand, the Re-Fort project was a compilation of the recollections that people shared during a meeting in the same war ruins. His attempt differs from the Counter Monument: he does not evoke the beholder by a visual memory of war, he alters the progression of the event according to others’ memories. This dual aspect artist, tracing both the grand structure that is integrated into history, and tracing private relationships with others, is often described as "side A and side B".(n.10) In torii photo-books, the symbolic visual aspect looks stronger. It is the typology, and therefore the journey following the former contour of the outside of Japan, that is supposed to increase the sense of uncertainty. In the artist’s diary, with the progression of time, we can glimpse the narrative story of people who lived around the national border where they were forced to coexist with different cultures who had penetrated the border. In recent years, because the artist has had increasing opportunities to exhibit in museums and internationally exhibitions, it seems slightly distinguish since he works in the private field and process oriented activities.
During the sojourn in Okinawa, his research did not include photography even though he is primarily known as a photographer. He did online research and tried to create context by collecting materials. He sampled seawater, collected glass bottles and duralumin from living scenes. In local residences, he sampled fragments of historical evidence on the opposite side of the border. He did not adopt the approach of taking photos, probably because he wanted to emphasis the intensity of the experience. Photos are taken in a moment, the image data, once copied and reproduced is wasted rapidly, and the experience of the event is fleeting.
He wanted to represent the experience in this indirect way by material and words. These collected objects have the character of souvenirs. It suggests only a part of the whole and preserves the memory permanently stored as a frame that capture the moment of the transition experience.(n.11) Thus, the collection constitutes a microcosm of personal experiences like a ‘Cabinet of curiosities (Wunderkammern)’.
Monument fragments of big structures were mixed and suspended in the air, refrigerators, storage cases, specimen boxes and other devices separate the beholders from objects that used to actively be exchanged among people. It is like a time capsule where we save the distortion and disconnection of time.
He is a constant traveler. He experiences the real world as he edits photo books and samples specimens: he makes full use of his experiences as he would make full use of various formats. Any location or any medium (media) is also only a relative aspect for him that is determined by the relative relationship with a stretch of time. In his collections, he looks for hidden details in everyday life to portray. He engages these acts without delimiting his surrounding life, therefore it is required to frame one scene of everyday life and displace it to another site. Furthermore, he needs to make a modest gap of the stages between art and society.

Uraka Hijikata(curator)

10. Hiroyuki Hattori, "A-side and B-side Story of what is in between the two sides", Artist HP
http://m-shitamichi.com/
11.Eisuke Tsugami,"Souvenir-frame of the experience in tourism" , Kiyokazu Nishimura(edit), Aesthetics in daily Environment, 2012, p.244

 下道基行は岡山市で生まれ育った。家の裏山には操山古墳群があり、幼少期にはそれらを探検し、地図などを作ることに熱中したという。同古墳群には古墳時代前〜中期の前方後円墳などがあり、いくつかは石室が露呈していたらしいが、多くの名もなき後期の円墳などは、草木に埋もれていたのだろう。それらを探し巡った経験は、下道の作品に少なからぬ影響を与えているものと思われる。
 大学では油彩画を学んだが、大文字の美術史に従って制作することに、最後までなじめなかったという。2001年に卒業後、東京でアルバイト生活をはじめたころ、偶然近所で太平洋戦争の痕跡を残す建物に出会い、それがまもなく取り壊されたことに衝撃を受け、戦争遺構を探し写真に収めることをはじめた。当初は作品にしようとは考えていなかったというが、掩体壕(えんたいごう=航空機などの格納庫)やトーチカなどを巡る旅を繰り返すうちに、撮りためた写真を発表したいと思ったらしい。
 これらの下道の代表作となる「戦争のかたち」シリーズの初出は、2003年の武蔵野美術大学の教室における展示である。さらに同年の雑誌への写真掲載によって、下道の作品は脚光を浴びはじめる。
 2005年には終戦後60年というタイミングもあり、「戦争のかたち」は、INAXギャラリー2における個展の開催および写真集の刊行によって広く知られることとなった。これが実質的に下道の作家デビューといえるだろう。
 当時の下道が影響を受けた作家として、都築響一、ポール・ヴィリリオ、ベッヒャー派などがあげられる。都築からは日常の編集行為が作品となりうること、ヴィリリオからは戦争遺構の解釈の多様性を、ベッヒャー派からは、現代美術としての写真表現などを学んだといえる。
 「戦争のかたち」は多方面より注目されたが、ほぼ平行して、別の作品の制作もはじめられている。その一つが本展の「torii」シリーズである。
 かつて日本の占領、併合、植民地としたアジア、太平洋地域には、千を優に超える神社が建立されたという。戦後その多くは失われたが、いくつかの鳥居はほぼ完全なかたちで、あるいは姿を変えて残っている。下道はそれらを2006年より6年間かけて撮影した。
 「戦争のかたち」「torii」の両者とも、その被写体は、誰のものでもない、所有者を失った存在である。国内の戦争遺構は、かつて存在した日本軍という組織の管理下にあっただろう。国外の鳥居は、その地の日本人社会の共有物であっただろう。いずれも失われたのはそこに写されたモノではなく、その所有者すなわち軍隊や日本人社会という運命共同体である。下道の作品の多くは、この失われた運命共同体というべきものを、その断絶と不在によって明らかにするものである。
 コンセプトは共通しながらも、「torii」は被写体が固の宗教的、社会的シンボルであること、国外という場であることなどにより、その断絶と不在が際立っているといえよう。
 2004年より行なわれている下道のプロジェクト「Re-Fort」シリーズも、所有者の不明な戦争遺構を、スクウォッティングする活動からはじまったという。さらにいえば、幼少期に関心を持った古墳も、その土地の所有者はあっても、墳墓の継承者—所有者は存在しない。われわれにとって、1500年以上の歳月を経た古墳は、まさに無縁な存在に写るのに比して、戦争遺構や鳥居は、失われた共同体の温度を未だに生々しく残している。
 下道の作品すべてが、失われた運命共同体をテーマにするものではもちろんない。下道の祖父の描いた絵画を追った「日曜画家」シリーズは、祖父にまつわるささやかではあるが生きた共同体を追う試みである。
 また、ここでは多くは述べえないが、近年の実験的な試みのいくつかは、未だに実体化されない、不可視な共同体を模索するプロジェクトとも考えられよう。

後々田寿徳(梅香堂主)


 下道基行は、すでにそこにありながら私たちに見えていない「かたち」を見せてくれる。日本国内に残された砲台や戦闘機の格納庫などを訪ねた《戦争のかたち》(2001-2005年)では、それらが農家の倉庫として利用されていたり、別の用途を持って風景の中に埋もれていたりするのをみつけ、記録し伝えた。《Re-Fortプロジェクト》(2004年-)では、そうした戦争の遺構で缶蹴りや打ち上げ花火を行なうなど、機能を失った建物に別の機能を与えることで、過去と現在をつなぎ、共有されていない記憶と残されたかたちとを結びつけた。私たちが普段の生活の中で認識の外に置き、見ようとしていないことに対して、それが風景の中に溶け込み「かたち」として残されていることに気づかせるのである。
 《torii》は下道が2006年から行なってきたプロジェクトで、現在の日本の国境線の外側にある鳥居を訪ね、撮影したものである。アメリカ領北マリアナ諸島(旧南洋)、中国東北部(旧満州)、台湾、韓国、ロシア・サハリンに建てられた日本の鳥居が戦後、それぞれの国の文化と生活の中で形状と用途を変えていることが示される。サイパン島では墓地にそのまま残されているが、韓国では壊されすでに存在していない。あるいは台中市では、地面に寝かされた状態で公園のベンチとして利用されている。神道における象徴的なかたちを持った鳥居がその象徴としての機能を失い、姿を変えながらそこにある。このように下道は、モニュメンタルなかたちが非モニュメンタルな別のものに変容し得ることに着目する。
鳥居は聖俗の境を表す結界、つまり「境界」でもある。下道の《torii》はまさに「境界」についての考察である。国境線の外にある鳥居の姿は、現在の国の歴史観や政情、文化の違いによって異なる様相を持つ。その違いは国という枠組、あるいは戦争という大きな出来事が関係する一方、人々の生活の中で徐々に変化したことによるものでもある。そこに生きている人々の間では、かつての大きな出来事は小さな出来事の集積の影で徐々に遠ざかる。小さな出来事の連鎖がいつの間にか、そこにある風景を変えていくのである。下道が取り上げる鳥居は、そのような大きな歴史と小さな個人史との両方の時間を内包している。彼はその風景を借り、目に見える/見えない、どこにもある/ない「境界」について考えさせる。私たち日本人は慣れていないばかりに国境線や領土、国家といった問題に神経質になり過ぎるか距離を置きがちだが、下道は果敢にその問題に取り組み、「日本」あるいは「日本人」という枠組に静かに揺さぶりをかける。そこから、政治的なイデオロギーや歴史的な客観性とは別の、相対的で流動的で個人的な境界線が見えてくる。

西川美穂子(東京都現代美術館学芸員)

「MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展(東京都現代美術館)カタログより改変


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Motoyuki Shitamichi shows us “shapes” that are present but escape our notice. In Remnants (2001–2005), he discovered, recorded, and introduced old defensive structures in Japan, including gun emplacements and fighter aircraft hangars that constitute part of the landscape but are used for different purposes such as barns. In his Re-Fort Project (2004–), he has given new functions to these war relics (which no longer function as they were originally designed) by using them as venues for kick-the-can games or fireworks events. Through these activities, Shitamichi connects the past with the present, and links missing memories with the remaining structures. There are some things that pass unnoticed in our daily lives and that we avoid looking at: Shitamachi makes us aware that they have melted into the landscape but remain as shapes.
The Torii series is a project that Shitamichi has been working on since 2006. He has visited and photographed torii that are located outside Japan’s current national border. Torii were built in the Northern Mariana Islands (a U.S. territory), Northeast China (former Manchuria), Taiwan, South Korea, and Sakhalin (a Russian territory). His works show that, after the war, their shapes and uses have been changed to suit the local cultures and lifestyles in respective countries. In Saipan, torii remain intact at cemeteries; those in South Korea have been destroyed and no longer exist. In Taichung City, a torii is laid on its side and used as a park bench. Torii, which represent a symbolic shape in Shintoism, have lost their significance as symbols but remain in shapes different from their original forms. In this way, Shitamichi focuses on how symbolic shapes can be transformed into non-symbolic objects.

Torii are also considered as barriers (borders) to distinguish the sacred from the secular. Indeed, Shitamichi’s torii project is synonymous with his discussions about borders. Torii located outside Japan’s national border look different depending on the historical view, political situation, and culture of respective countries. The difference is attributed not only to the regime and large events such as war, but also to the gradual change in people’s daily lives. As life continues, memories of large events gradually fade due to the accumulation of small events. The consecution of small events transforms the landscape before people realize it. The torii that Shitamichi focuses on in this series encompass the time series in terms of both large historical events and small personal events. He borrows the landscape to provide the audience with opportunities to contemplate upon the visible/invisible, existent/nonexistent borders. In general, the Japanese people are too sensitive or try to distance themselves from issues regarding the national border, territory, and state, because they are not accustomed to focusing on such issues. Shitamichi boldly takes up these issues and quietly upsets the concept of “Japan” or “the Japanese people.” His works reveal relative, fluid, and personal borders that are different from those created by political ideologies or historical objectivity.

Mihoko Nishikawa (curator, Museum of Contemporary Art Tokyo)

Quoted from the catalog of MOT Annual 2012: Making Situations, Editing Landscapes (Museum of Contemporary Art Tokyo) (edited as necessary)


「ある日、無骨で不自然な廃墟」、すなわち、弾痕が無数に残った変電所跡を見つけたことをきっかけに、「トーチカ」「砲台」「掩体壕」などのいわゆる戦争遺構を探す旅に出た下道は、2001年から05年にかけて撮影した写真を、2005年に写真集『戦争のかたち』として出版する。遺跡に出会った当初は、かつてそこで実際に繰り広げられた「戦争」を強く意識したものの、多くの遺構を見るにつれ次第に「戦争で残された遺物が周囲と不自然に浸食しあい出来上がった現実風景へと興味は移っていった」と語る。戦争遺構のあるものは風景の中に溶け込み、あるものは新たな用途に使われ、本来とは別の機能を果たしている例を目の当たりにしたからである。下道の遺構探しの旅は、日本国内に留まらず、過去に日本が領土とし統治した韓国済州島、台湾へと及んだ。
 日常の一コマを切り取ったかのようなのどかな風景には、戦争の遺構が写り込んでいるものの、その風景に悲惨な戦渦の跡は見いだせない。過去の忌まわしい記憶を呼び起こす建物は、行政によって例えば花壇や猿山など、楽しく憩える場として生まれ変わらされ、個人によって住居や納屋として活用されている。負の遺物の隠蔽であろうと、そこにあったものの再利用であろうと、発想の転換は、大きな希望と別の道の存在を示唆してくれる。

角奈緒子(広島市現代美術館学芸員)

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"Remnants"

Inspired by the discovery of some "rough and unnatural ruins," or more precisely the remains of an electrical-power substation that was riddled with countless bullet holes, Shitamichi Motoyuki set out on a journey in search of war remnants such as bunkers, forts, and shelters. He published his findings, recorded in a series of photographs he took from 2001 to 2005, in a 2005 book titled Bunkers. Although his initial encounters with these ruins led to a strong awareness of the battles that had actually unfolded in these places, as he visited more of the sites, Shitamichi says, "My interest gradually shifted toward the actual landscapes, which were produced by the unnatural erosion that had occurred between the remnants of war and their surroundings." Some of the ruins he discovered had dissolved into the landscape, and others had been repurposed to function in a manner that was different than the original intention. Shitamichi not only went in search of these relics in Japan but also in areas that had been occupied by Japan, such as Jeju Island in South Korea and Taiwan.

Although he captures the remnants of war in a calm landscape as a single frame cut out of everyday life, there is no sign of the tragic calamity of conflict. The buildings, which call up unspeakable memories of the past, have been transformed into enjoyable and relaxing places such as flower beds and monkey mountains by the government or utilized as residences or sheds by individuals. Whether attempting to conceal the negative nature of the ruins or reuse them, the conversion of the original concept behind them suggests a strong sense of hope and the existence of other options.

Naoko Sumi (curator, Hiroshima City Museum of Contemporary Art)


 下道基行は旅するアーティストだ。文字通り各地に滞在し生活するなかで作品を制作する「旅人型」という意味もあるが、それ以上に「旅」に喩えることで、その創作活動は非常に捉え易くなる。旅は、ある明確な目的地を設定しそこに到達することを最終目標とするタイプのものと、具体的な目的地は定めず移動すること自体や移動の過程での街・人・ものとの出会いなどを求めるものの、大きく2通りに区分できるだろう。下道は作品の質に応じてこの「旅」の両極を探求し作品として提示する。ここで、レコードやCDのA面曲/B面曲という構成を範として、前者のような明確な目的地(対象)を目指す活動/作品を「A面」、後者のように具体的な目的は明瞭でなかったり、何らかの目標へ向かう過程で発生する副産物的なものに着目するプロセス自体に重点を置く活動/作品を「B面」と定義すると、下道はときにA面を目指す過程でB面的な作品を生んだりと、A面/B面を往来することによりバランスを保ち、自身の両極を横断する活動を補完しているように思われる。
 また「旅」での蒐集物が彼の作品を形成する主要素となる。その探求蒐集は多岐に渡り、全国各地に点在する戦争遺構を撮影した《戦争のかたち》、現在の日本の国境の外側に存在する鳥居を捉えた《torii》、祖父が描いた絵画の行方を追いその絵と設置された空間を写す《日曜画家/Sunday painter》、無名の創造者が日々つくり続ける創作物を蒐集する《Sunday creators》、どこにでもある境界をつなげる一枚の板など最小限の構造物を「橋」と定義し各地でスナップした《bridge》など、一見散漫な興味のもとバラバラなものを追っているように思われる。しかし下道が鋭い観察眼と好奇心をもって発見し愛でるように蒐集するものには、下記三項目の共通点がある。

1)極めて個人的でささやかな発見により価値を与えられるもの
2)人の行為によりかたちや機能を与えられたもの
3)その成立の背景に何らかの物語や記憶を備えているもの

 以上の前提のもと論考を進める。下道が注目されるきっかけとなった2005年に出版された彼の著書『戦争のかたち』は、日本全国に多数現存するするトーチカや砲台跡、掩体壕など軍事目的で建造された戦争遺構の現在の様子を捉えたものだ。ある掩体壕は住居として人が暮らしていたり、ある砲台の台座は花壇になっていたりと、かつて与えられた軍事機能を完全に剥奪され鮮やかに転用された新しい風景として存続し定着している状況を捉えることで、戦争が起こっていたほんの少し昔と現在は地続きでつながっているということを可視化したり、あるいは必要から生じる人間の創意工夫のちからや生活力を明示するなど、その風景を提示することで背後に存在する様々な歴史や物語を私達に想像させる。
 また、現在規定されている日本の国境線の外側にかつて日本人の生活が存在した痕跡を示すように現存する鳥居を写真で蒐集したのが《torii》というシリーズだ。これらは必ずしも日本の征服の歴史を示すものではなく、移民として日本人街が形成されるなど、様々な理由で日本人が暮らした場所やその生活の存在を証すものだ。ある鳥居は周囲をキリスト教の墓標に囲まれ表面を純白に覆われた状態で残っていたり、別のものは鳥居本体がその場に倒されベンチのように利用されていたりと、現在そこで生活する人の手により全く新しい機能や価値を与えられ、新たな風景を形成している。
 《戦争のかたち》や《torii》で蒐集される「戦争遺構」や「鳥居」は、ともに永い年月をかけてひとつの場所に鎮座していることもあり、どんな変換が施されようがその存在感は非常に強力だ。そしてこれらは特定の場所に位置するその強烈な存在を求め捉えるという極めて「A面」的な作品だ。どちらもその対象は決して著名なモニュメントではないが、存在の強さはあり、それを目的として探求することでモニュメント化をする正統的な写真の作法により作品化されている。

 一方で「B面」の代表的な作品は《RIDER HOUSE》だろう。これは《戦争のかたち》の制作のために北海道を旅した下道がバイカーのための宿「ライダーハウス」に宿泊したことで、その面白さを発見し蒐集したものだ。宿ごとに形成される独自ルールや空間があったり、そこに滞在する多様なバックグラウンドをもつ人々に出会ったりと、その状況自体が下道には興味深く感じられ、戦争遺構の撮影の裏側で、ライダーハウスで出会う人やその生活をスナップ的に撮り溜めていたそうだ。《戦争のかたち》のための旅の裏側を捉えた《RIDER HOUSE》の写真群は、その当時の下道の日々やライダーたちの生態が想起されるものがあり、その裏側的魅力に惹き付けられるまさにB面的作品となっている。
 ACACでは、青森での滞在制作による新作《crossover》と昨年制作した《bridge》を再構成し両者を接続することで、ここ最近の「B面」的な活動に焦点を当てる展示となった。これらに共通するのは、人の何らかの行為により意味やかたちを与えられたものということだ。《crossover》は、元々道路などなかったところを人や動物が往来することにより、そこだけ植物が途絶え土が顔を出して通路らしきものが生まれるなどの行為の痕跡によってかたちになる道を発見し撮影していたことに由来する。その延長線上で、雪の青森を散策するなかで、スーパーと道路の境界に設置された敷地を仕切るちょっとしたバーなど、あちらとこちらを隔てる小さな境界線を人が跨いで超えることにより足跡が残り姿をあらわす道を捉え蒐集したものだ。雪に半分埋もれたバーを人が超え横切ると、そのバーの両側に足跡が残る。足跡が残ると他の人もそこを横切るようになり、やがてその道らしきものはより鮮明な道になる。人の行為の痕跡が刻まれることで、そこに意味や機能が与えられていくのだ。
 下道は、バーが中央にくるようにその真上にカメラを構え、痕跡による道を捉え蒐集した。これらの道は、所在が明確なものを探し求めていくというよりは、生活する過程で発見されたものだろう。実際それは降雪の具合や除雪によってある日は存在していたが別の日には消滅しているという、あちこちに存在の可能性はあるが、それを求めて捉えるというのはなかなか困難な、絶えず変化する存在だ。この日々の生活において偶然出会う道を切り取り拾い集める行為も、極めてB面的ではなかろうか。
 また、下道は発見し蒐集したものを公開する作品化の方法にもとても細やかに神経を遣う。写真は額装やマウントにより壁に掛けて見せるのが常套手段だが、彼はその写真が捉えるものの質により提示法を決定する。移動の過程で発見した「道」をデジタルカメラで撮影するというスナップ感覚の強い《crossover》は、計11点を123.5x83cmの大きさでモノクロプリントしギャラリーAの回廊状の床にスプレー糊で直貼りするスタイルをとった。そして壁面にはスライドプロジェクターで、人がバーを超える瞬間を正面から捉えた35mmのポジフィルムによるスライドを小さく投影した。
 その奥の展示室には《bridge》が設置されている。これは2011年3月~8月にかけて下道がバイクで日本全国を巡るなかで、どこにでも目に入るあちらとこちらをつなぐ最小限の構造物を「橋」と定義し蒐集したものだ。例えば、水路を挟んだ田畑のあぜ道に渡された一本の丸太や、車庫と道路の段差を解消すべく道路にちょこんと据えられたレンガやコンクリートブロック、あるいは岸壁と船をつなぐ渡し板など、その役割は千差万別だが小さな隔たりをつなげる最小限の構造物を彼は「橋」と呼び、必要が生む日常生活におけるささやかな創造性により変容される風景に面白みを発見した。計280点の「橋」はA4サイズの紙に撮影日とともにプリントされ、展示室壁面の四周を一列に横切り、さらに展示室からはみ出して通路やトイレも横断しひたすらひとつのライン上にスプレー糊で貼られている。展示室中央に設置されたテーブルには、彼が発見した道をプロットした青森市の地図と、約半年かけて「橋」を撮影しながらバイクで巡った旅路をマジックでなぞった日本地図が設置されており、《crossover》と《bridge》を同列に並べる思考が明快に見てとれる。下道は写真を主なメディウムとするが、それだけでなく地図など旅のプロセスを想起させるアイテムをオブジェとして陳列することで、私達鑑賞者がその「道」や「橋」の写真一枚一枚の背後にあるストーリーを想像できるように立体的に提示しようと試みる。こういうプロセスに価値を置く空間の構成法や、デジタルカメラだからこその物量や即興性を敢えて選択することも極めてB面的な態度と言えよう。フォトジェニックな「道」や「橋」を数点選んで大きく引き延ばして額装し整然と壁に並べるのではなく、床に直接貼る事や、壁に延々と貼り続けるという、一見「ゆるい」とか「強引」と思われるような手法をとり、写真以外の通常は余剰として切り捨てられてしまうものを敢えて併置することで、その余剰も含めてその発見の背後にある記憶を探求することを奨励する。

 B面的世界の面白さは、下道の名前にあやかるなら、高速道路を一直線で目的地に向かうのではなく、変化する風景を感じながら寄り道を重ね下道をのんびりと移動する過程で、思いもよらぬ様々な発見をすることにあるだろう。確かに明確な目標を据えそれに向かって一心不乱に突き進むことも重要だが、時には少しその道を外れ遠回りをするゆとりを持ち、意図しなかったものを吸収していくことも不可欠ではないか。下道はこのA面/B面の両面をしなやかに接続することでバランスをとり、その表現の強度をゆるやかだけれども着実に醸成している。

服部浩之(国際芸術センター青森学芸員)


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”A-side and B-side
Story of what is in between the two sides”


SHITAMICHI Motoyuki is a traveling artist. In a literal sense, he is a “traveler-type” artist who creates works while staying and living in different parts of the country, but what is more appropriate to his case is that we can grasp his creative activity more clearly when we compare it to “traveling.” Types of traveling could be roughly grouped into two kinds: one is that the final goal of the traveler is to reach the destination he has planned, and the other is that the traveler does not decide on his destination and appreciates being on the road, seeking encounters with town, people and things in the process of movement. Shitamichi pursues these two poles depending on the nature of his work. If the former type of activity/work with the definite destination (subject) is defined as “A-side” (of a record or CD), the latter type is defined as “B-side,” in which the target is not specific or the process itself is valued of observing unexpected by-products he finds as he goes towards a certain target. It seems that Shitamichi travels back and forth between the A-side and the B-side keeping a balance in order to supplement his activity of crossing the two poles. For example, he produces B-side type of pieces in the process of aiming for the A-side.
His accumulation of things that he has collected in “traveling” constitutes the main element of the formation of his works. His search and accumulation are wide-ranging: In “Bunkers” (fig.1), war ruins scattered throughout the country are photographed, “torii” depicts torii (shrine gate) that remain outside present borders of Japan, “Sunday painter” (fig.2) shows places where his grandfather’s paintings are, which he traveled looking for, and the space with them., “Sunday creator” (fig.3) displays the collection of things produced continuously by nameless creators, and in “bridge,” snapshots he took at different places show items of minimum structure like a piece of board connecting boundaries found everywhere, which he defined as “bridge.” At first sight, he seems to be pursuing disconnected things in a distracted way, but there are three points in common as in the following concerning those which he has collected with his sharp observing eye and curiosity.

1) They are made valuable through small personal discoveries
2) They are given a form and function through one’s acts
3) They have some sort of story or memory in the context of their formation

I’d like to discuss the subject from the above-mentioned assumption.
“Bunkers” (fig.4), which was published in 2005 and acted as a trigger to draw attention to his work, captures the present state of war ruins such as a pillbox, artillery battery, and aircraft bunker built for military purposes. Some bunker is now used as someone’s dwelling, and the base of some artillery battery has been transformed into a flower garden. Thus, by capturing situations which continue to exist as revived scenery remarkably transformed after being totally deprived of the military function, he visualizes the fact that the wartime of only some yeardecades ago and the present time are connected adjacently, or he expresses clearly human originality, creativity and vitality that arise out of necessity. Presenting the landscape, he makes us think of a diversity of histories and stories behind the scenes.
The torii series contains photos of existing torii, which suggest that Japanese people once lived outside the present borders. They are not necessarily intended to display Japan’s history of conquest, but they provide a sign that Japanese people lived there for various reasons like Japanese emigrants who formed a Japanese quarter. One of the torii left with the surface painted snow-white is surrounded by Christian gravestones while another torii is pulled down and used as a bench. They are thus given totally new functions and values by people living there today and make new landscape.
As “war ruins” and “torii” collected in “Bunkers” and “torii” respectively have stayed at the same place over many years, their powerful presence appeals to us whatever conversion might be made. Each is definitely an A-side type of work, because he intentionally searched for and captured its great existence located at a specific place. Although none of them is a well-known monument, they have the power of existence, and are made into artworks following the orthodox rule of photography, that is, to make the subject into a monument by pursuing it as the target.

On the other hand, his important B-side type of work is probably “RIDER HOUSE” (fig.6). When he made a trip around Hokkaido for the production of “Bunkers,” he stayed at a “rider house,” a lodging for bikers, which he thought was interesting and began its collection of pictures. What interested him was, for example, that each rider house had its own established rules or there were encounters with sojourners from different backgrounds. As the situation itself was interesting, he took snapshots of people he encountered at rider houses, took pictures of their lives and saved them up behind his job of photographing war ruins. Groups of such photos of “RIDER HOUSE,” which captured the hidden side of the trip for “Bunkers,” show us vividly of Shitamichi’s daily life at the time as well as the riders’ lifestyle. This is exactly B-side type of work attracting us by its behind-the-scenes appeal.
For the exhibition at ACAC, “crossover” (fig.7), a new residency production in Aomori and “bridge” that was produced last year and reconstructed anew have been combined, so that his recent B-side type of activities are in spotlight. What the two works share in common is that certain acts of people have given them a form and meaning. As to crossover, it has stemmed from his experience in the past when he found a road and took a photo of that road, which was formed by traces of people’s acts─people and animals walked back and forth along the path where there was originally no road, and grass stopped growing. The surface of the earth began to appear and finally a road-like strip of ground was left there. As an extension of this approach, he collected, while walking through snowy places in Aomori, such a road as formed by footprints around a small bar set up on a lot between a supermarket and the street or at borderlines between two different parts of land which people stepped across. When people step across a bar partly buried in snow, their footprints are left on both sides of it. When other people see those footprints, they begin to cross it there, and as a result, what appeared to be a path becomes a real road. Meanings and functions are given through the engraved traces of people’s acts.
In order to position the bar in the center, Shitamichi held his camera right above it, and photographed roads formed by traces and collected them. Rather than searching for the specific site of such a road, he must have discovered them in the process of daily living. Though it is possible that they exist all over the place, it is difficult to actually look for them, because their conditions are constantly changing: they appear someday but disappear some other day depending on the circumstances of snowfall and snow removal. This act of cutting out and collecting those roads, which he happens to encounter in his everyday life is quite a B-side type of work.
As to his way of exhibiting what he discovered and collected, he pays attention to the smallest detail. Although, on most occasions, photos are framed or mounted for display on a wall, he decides on how to display them depending on the quality of the subject that he has captured in the photo. For “crossover,” in which “roads” discovered in his travel are photographed by his digital camera like snapshots, eleven pieces in total are printed in monochrome of the size 123.5x83cm and pasted directly on the corridor-shaped floor of gallery A with spray glue. And a projector showed 35mm positive film slides, which captured the moment when a person seen from the front stepped over a bar, in a small size on the wall.
In the inner part of the exhibition room is “bridge” (fig.8). This collection contains what he defined as “bridge,” those of minimum structure, which can be seen everywhere connecting this side and that side. Shitamichi noticed them while traveling around all over the country on his motorcycle from March through August 2011. They are, for example, a log put across a waterway between the footpaths of fields, bricks and concrete blocks placed quietly to remove the level difference between a garage and the road, or a board to moor a boat alongside the quay. Though their roles present an infinite variety, he calls the minimum structure connecting little gaps “bridge,” and has found delight in an amusing quality in the landscape transformed by modest creativity coming out of necessity in our daily life. A total of 280 pieces of “bridge” is printed in size A4 along with the shooting date. They are arranged in a single horizontal row on all four sides of the wall in the exhibition room, and go further across the passageway, washroom, etc. pasted with spray glue on a line of the same height. On a table placed on the center of the exhibition room are a map of Aomori city with a plot of roads discovered by him, and a map of Japan with marked traces of his motorcycle tour to photograph “bridge,” which took him about half a year. Here, his intention of putting “crossover” and “bridge” in the same category is explicit. The medium that Shitamichi mainly uses is photography, but by displaying items like maps, which remind us of his trips as object, he tries to present his works from all angles so that viewers can picture a story behind each photo of “road” and “bridge.” His way of spatial composition to value this sort of process and his choice of quantitative and improvisatorial merits of a digital camera show a great deal his B-side type of attitude. What he would not do is to select only photogenic “road” and “bridge,” enlarge them, put them in frames and arrange them on the wall in neat order. His way, on the other hand, seems to be “loose” or “aggressive” at first glance, because, for instance, he pastes his works directly on the floor or continues pasting them on the walls on and on. By boldly putting what is usually thrown away as a surplus along with photos, he encourages us to search for our memories hidden behind surplus parts including such discoveries.
The fun that the B-side type of world presents to us is not to rush to the destination on a superhighway, but, to make various unexpected discoveries while moving around lazily along small roads (let me share his name Shitamichi: shita=under, michi=-road with him), stopping off at different places to enjoy changing landscape. No doubt it is important for us to push forward intently to the definite goal, but it is also indispensable for us to have time to make a detour to experience and absorb what we did not intend to do. Keeping a balance by smoothly connecting the A-side with the B-side, Shitamichi is intensifying his expression slowly but steadily.


HATTORI Hiroyuki (curator, Aomori Comtemporary Art Centre)


「美しいと言うこと」の自由について


「美しい」ということについて、Mami、下道基行、そしてmamoruの作品を通して考えてみようと思う。なぜなら、私たちは最近アートを見ても「美しい」とは言わなくなっているから。
「美しい」の変わりに、最近よく使われるのは「興味深い」という言葉だ、と言ったのは、批評家のスーザン・ソンタグだった。彼女は「美について」というテキストで、「美」という価値がどうして「興味深い」にとってかわられたのか、とても「興味深い」考察を述べている。(1)
「美しい」という言葉は、規範化されている表面的な形式を指し示しているような印象を与えがちだ。その形式は絶対的で、厳格な価値を備えているようで窮屈な感じがするし、その規範から逸脱するユニークさは排除されてしまう印象がある。だから、この窮屈で保守的な「美しさ」からより自由で幅のある価値を求めて、「面白い」という言葉が使われるのだろう。「面白い」は、確かに便利な言葉だ。ある作品をどうにも受け入れ難いと思っても、とりあえず「面白い」と言っておけばその場のお茶を濁し、自分の価値判断に猶予を与えることができる。
さて、Mami、下道、mamoruはそれぞれ身体、写真、音と三者三様異なる素材を媒介にアーティスト活動を実践している。しかし、彼らに共通するのは、プロダクツとしてのアートを作るのではなく、人と人との関係や、普段見過ごしていたり気に留めない事象に対しての気づきなど、形を持たない瞬間を作り出していることだ。アートをモノづくりだと考えるならば、彼らの実践はそこからはずれたちょっと「面白い」ものだが、果たして本当に「面白い」という言葉で片付けてしまうことがふさわしいかは疑問だ。それは、彼らの実践の根底に「美しさ」の発見があると思うからだ。人と人のコミュニケーションの課程で生じる笑いや、日常生活の中でさりげなく、あぶくのように生まれる創造性、普段何気なく使っている日用品がかすかに奏でる音、こうした現象にこの3人の作家は愛おしさをもって眼差しを向け、実践を通してアートへと昇華させる。
私たちが目撃する彼らの実践は、人が生活している場所であれば、「今、ここ」でも、「どこでもない場所」でも、共有されうるささやかだが普遍的な「美しさ」への誘いである。そのインビテーションは、今や世界のどこにでも開催されているアートプロダクツが溢れる市場優先型のアート界とは、逆の方向を指している。だから、わたしは彼らの実践を見聞したときに勇気づけられ、こう感じることができるのだ。日常生活の中で、もっともっと「美しい」と言っても良いのだと。そして、アートは「美しい」という言葉を発することのためらいから、解放してくれるものなのだと。

高橋 瑞木(水戸芸術館現代美術センター学芸員)

(1)Susan Sontag, An Argument about Beauty, Daedalus, Vol. 131, 2002


※この文章は、Mami、mamoru、下道基行、3人展「NOWHERE」の為に書き下ろされた文章です。


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The Freedom to Say That "It Is Beautiful"

Mizuki Takahashi / curator, Contemporary Art Center, Art Tower Mito


I would like to consider the issue of stating "beauty" by examining the works of Mami, Motoyuki Shitamichi, and mamoru. It must be worth discussing about it because of the fact that people no longer respond to the art works saying that it is "beautiful" anymore. Suzan Sontag, a critique, once wrote that the people recently tend to employ the word "interesting" instead of "beauty." In her essay, "An Argument about Beauty"(1), she raised an "interesting" discussion about how "beauty" as a word representing a sense of value has been replaced by "interesting."
The word "beauty" tends to give such an impression that it is referring to a standardized form; the form nearly stands as something absolute, together with a set of value which is rigid and restrictive. The alternatives that deviate from it are most likely to be excluded. Therefore, people prefer to say "it is interesting," hoping that it implies much broader and flexible senses of values rather than this binding and conservative "beauty". The word "interesting" is surely convenient as an opinion on the work that you cannot appreciate or understand at a first glance. You can avoid making your clear standpoint and postpone your final judgment on it for a while.
Mami, Shitamichi, and mamoru practice and realize their art with different media: body, photography, and sound. However, instead of producing art objects, all of them create ephemeral moments that do not have any physical shape, such as relationship between people, and the awareness to the subtle gestures that we normally do not pay any attention to. Therefore if I define art as the fabrication of the objects, then their artistic practices are off the grid, and in this regard, their works are "interesting". But I am reluctant to label them as just being "interesting" since I find the notion of “beauty” underneath their practices. They discover “beauty” in the humor that is brought into being through communication among people, in the everyday creativity that is indistinct and that may only last for a short while, and in the sound of the everyday objects that we use without any care. These three artists look into those elements with their affections and mold them into the art works.
They draw you into the understated yet fundamental "beauty." Therefore their artistic practices that we would be witnessing can be understood whether it is "now here" or "nowhere", any place where people run their lives around. They invite us towards the opposite direction of the current art world, which is market-driven, and full of commercial art productions. This is why I feel encouraged when I observe or learn about what these three artists are doing. I can feel free to say that "it is beautiful" in everyday basis, and feel also free to believe that art can break the chains of our hesitation and give us freedom to say that "it is beautiful."

(1) Susan Sontag, An Argument About Beauty, Daedalus, Vol. 131, 2002


gallery αMで開催されている、3人のキュレーターによる連続企画展「成層圏 Stratosphere」。今回は高橋瑞木のキュレーションで、「風景の再起動」の3回目として下道基行の作品展が開催された。下道は2004年から日本各地に残る戦争遺跡を「再利用して」記録していく「Re-Fort」のシリーズを制作しており(リトルモアから2005年に写真集『戦争のかたち』として刊行)、今回はその第6回目の展示の予定だった。ところが、「3.11」以降に心境の変化があり、急遽用水路などに架かっている小さな板きれのようなものを撮影した写真を展示することになったのだという。A4判ほどにプリントされた各写真には、「11/05/17 09:18」といった撮影の日時が付されている。実は下道はいま、日本全国を震災直後に購入した小さなバイクで移動しており、これらの「橋」を見つけるとすぐに撮影し、データをギャラリーのプリンターに送信し続けている。プリンターから出力された写真は、随時壁に貼り出され、その数は会期中にどんどん増えていくわけだ。
旅の途上にある下道自身の移動と発見の状況を、ヴィヴィッドに定着していくその方法論は、とても洗練されていて気がきいていると思う。作品そのものも、一点一点の撮影のコンディションとクオリティが的確に保たれており、それぞれの風景の差異と共通性を見比べていく愉しみがある。下道が会場に掲げたコメントに書いているように、これらの「橋」たちは「生活/風景に必要な最小単位の物体であり、行為のひとつ」である。このような、さりげなくもささやかな営みの意味が、震災以降に変わってしまったことを確認していくのはとても大事なことだと思う。この作品が、今後の彼の制作活動において、新たな大きな水脈となっていくのではないかという予感もする。

2011/07/15(金)
(飯沢耕太郎)

artscapeより転用

Following leads from relatives and family friends, photographer Shitamichi Motoyuki traced the whereabouts of all the portraits and landscapes that were left behind by his grandfather, who had been a ‘Sunday painter’, and set about photographing them in their current domestic environments.

The paintings, representing various people and plein-air sceneries once seen by the late grandfather, have now been documented in their fixed positions within these new interior settings, then reproduced as photographic prints, and are now on temporary display as part of another living space at Tokyo Wonder Site’s artist residency complex in Aoyama.

Screening the bathroom mirror, sitting on chairs or straddling unmade beds, the images are treated as new physical objects amongst the generic furniture – the homely spaces they depict standing in sharp contrast to the impersonal and distinctly un-lived-in rooms housing them.

As with his other bodies of work, the Sunday Painter project considers questions of memory and its relationship to images, and prompted the artist to conduct research while trekking all over the country.

For his first peripatetic series Bunkers (2001-2005), he travelled around on his motorbike documenting deteriorating WWII ruins in ordinary settings, some of which had become playgrounds and garages; in another he recorded neglected torii gates at ancient Shinto shrine remains from Japan’s former colonies that have been incorporated into the natural landscape, or in some cases used as public benches.

Roaming around mapping these near-forgotten spaces, he is making an inquiry into how memories are contained in landscapes and in what ways the act of photographing them, placing them within new images, changes their status.

Giving yet another layer of re-presentation, Michi’s Sunday Painter exhibition at Art Tower Mito – now recreated for the Tokyo Wonder Site open studio – is accompanied by a beautiful new self-published book, where the artist’s own sketches of his grandfather’s paintings appear on folded pages that can be cut open to reveal reproductions of the ‘original’ canvases behind them.


amelia groom


 考古学者になりたかった下道少年は、カメラをもったアーティストになった。だが、感心を寄せる対象は少年時代とそれほど変わっていないとみえる。下道基行は、特有の歴史や記憶が有形無形に遺る場を訪れ、その場や物がたずさえる人々の記憶を取材し、写真に納め、ときにそれについて書くことを作品としている。題材は社会的なものから個人的なものまでと幅があるが、自分の足で歩き自らの五感で確認し、その場や物に留まる記憶に直にコンタクトする実地調査の手法は共通している。
 国内に遺る戦争遺跡や旧占領地に建てられた鳥居を追跡調査してつくった他の作品に比べると、私的な性質が際立つ本作《日曜画家/Sunday Painter》は、日曜画家だった祖父の遺した油彩を下道本人が訪ねつくった、写真とお手製の本からなるシリーズ作品だ。
 だが、不思議なことに、これらの写真は祖父の遺した絵を主題としながらも、必ずしもその肝心の絵に焦点があわされていない。絵はときに構図の中心から外され、ピントがあっていないものさえある。撮影者の視点は、祖父の絵というよりむしろ、絵の持ち主である人や、その人の営みがうかがえる部屋へ向けられている。下道が写真を通して本作でとらえているのは、つまり、絵そのものではなく、その周辺にあるものであり人であるといえる。
 一方、写真と対につくられた本は、下道が絵のもらい手たちから聴取した、祖父にまつわるさまざまな記憶に焦点をあてている。下道は、語られた記憶を話し手の口調やなまりをそのままに残し、口語体で文章化した。語り口調がいかされた文章の書き方は、取材した素材に忠実な記述であるという印象を読み手に与える。だが、私たちが目にするのは、語られた言葉のなかから下道が取捨選択したものにほかならない。記憶は編集されるとしばしば言われるように、事実のある部分は無意識的に誇張され、また別の部分は忘却される。本作で絵の持ち主が語った記憶もその例外ではないだろう。言い換えれば、この本は、「記憶」という名のもとに語られた脚色された事実を、下道がさらに編集して仕上げた、一種の「物語」なのである。
 人の主観によって知らず知らずのうちに変容する歴史や記憶。下道の視点の先にあるのは、有形の遺跡や遺品そのものではなく、潜在意識下で変形し、もとの形を失ってぼんやりとしている記憶ではないだろうか。下道が本作を通して行ったことのひとつは、過去から現在へと至る間にズレや歪みをうみ「かたち」の定まらなくなった記憶に改めて「かたち」を与えること、そして個々人のなかにかすかに残る逸話を引き出し、物語へと整えたことである。
 祖父の絵を追うという自ら定めたルールにそって、下道が人びとを訪ね、彼/彼女らの記憶を収集し編集した《日曜画家/Sunday Painter》は、「かたち」を与えられた記憶を通じて、どこか懐かしい身近な物語を見る者に伝える。すると、似たような想い出が鑑賞者の内奥からも呼び出され、それに付随する逸話が浮かび上がってきはしないだろうか。もしそうだとすれば、自らの「記憶」という名の「物語」に耳を傾けてみるのも一興だ。


竹久侑(水戸芸術館現代美術センター学芸員)


"Memories transformed into stories"

Shitamichi Motoyuki, who wanted to become an archeologist when he was young, has now become a camera-toting artist. The things that captured his interest as a boy, however, seem not to have changed much. Shitamichi visits places where trace of specific histories and memories remain, in forms that are both tangible and intangible. He interviews the people associated with a particular place or object, collecting information about their memories and recording the results of his research in the form of photographs, occasionally presenting his own thoughts and musings on these topics as part of his work. the subject of his research ranges from social themes to individual anecdotes, but what all of Shitamichi's work shares in common is its field study approach: first-hand investigations that consist in verifying facts using his own senses, and making direct contact with the memories that lie embedded in places and objects.
 Compared with other works that emerged as a result of follow-up investigations of war ruins in Japan and torii gates (typically found at the entrance to Shinto shrines) in Japan's former territories, "Sunday Painter" has a conspicuously personal tone to it. Comprising several photos and a handmade book, this series was created after several visits spent tracking down some oil painting left behind by his grandfather, an amateur artist.
Curiously enough, however, although the subjects of these photos are the works left behind by his grandfather, their focus is not always on the paintings. In some of photos, the paintings are removed from the center of the composition, and others are even somewhat unfocused. The photographer's gaze appears to be trained not so much on paintings, but rather on their current owners and the rooms that reveal something about their lives. In other words, what Shitamichi captures in this work through his photographs is the things and people that surround these paitings.
The book that accompanies the photographs, on the other hand, focuses on the rich variety of memories related to Shitamichi's grandfather that were told to him by the recipients of the paintings. Transcribed into stories written in a colloquial style, the recounted memories retain the accent, tone of voice and expressions unique to each person. Shitamichi's style of writing, which makes use of the distinctive voice of each speaker, gives the reader the impression that this is a faithful rendering of the material that was collected during his research. What we see, however, is nothing but a selective part of what was actually recounted to the artist. Just as memory is often said to be edited, elements with any truth to them become unconsciously exaggerated, while other parts are completely forgotten about. The memories recounted by the owners of the paintings in the work, as it turns out, are no exception. To put it another way, this book is a kind of "story" based on dramatized truths, recounted in the form in the form of "memories" that Shitaimichi father edited and polished.
History and memory are often transformed by human subjectivity without us ever being aware of it. Shitamichi's gaze is trained not on the tangible remnants or concrete traces left behind by history, but rather the things that undergo a metamorphosis, losing the contours of their from and becoming only a vague recollection in our subconscious. One of the things that he has done through this work is to restore a semblance of from to memories that have been shifted or distorted in the interval between the past and the present and become misshapen, so to speak. In so doing, Shitamichi teases out anecdotes whose faint traces still remain in the minds of these individuals, and reworks them into stories.
For "Sunday Painter," Shitamichi set himself the task of tracking down his grandfather's painting. by paying visits to the owners of the paintings to collect their memories, he transformed them into his own work through the act of editing. These recollections, which have recovered some sort of "shape" thanks to Shitamichi, recount to the viewer stories that are somehow nostalgic and familiar. Similar memories are evoked in the deepest recesses of the viewer's mind-and along with them, perhaps the anecdotes attached to those memories will also start to rise to the surface. If they do, perhaps the viewer will find his/her own joy in listening to the stories that their own so-called memories have been transformed into.

Yuu Takehisa (curetor, Contemporary Art Center, Art Tower Mito)


下道基行が撮影する対象は、自身の旅のなかで発見した、意外と思われる風景である。そのうえで彼が注目するのは、その風景が内包する過去の記憶である。
 彼がこれまで継続的に撮影してきたものに、戦後およそ60年を経て廃墟と化したトーチカ・砲台などの軍事施設がある。これらは負の歴史を呼び起こすものであるが、彼の場合そのような歴史を告発することが主眼なのではない。彼がまず注目するのは、日常風景のなかに廃墟としての戦争遺跡が忽然と現れることの意外性であり、そしてそれらが造形的にみて奇妙な面白さを持っているということである。彼はここを制作上の原点としながら、忘れられつつあるこの国の歴史をたどっていった。
 今回出品される『Pictures』のシリーズにおいて被写体に取り上げられるのは、故人である作家の祖父が描いた絵である。親戚や知人の伝手を頼りに、日曜画家であった祖父の絵の現在における持ち主を訪ね歩き、それらの絵の現状を撮影している。ここではお互いに関連のない空間のなかに、元々は同じ手から生まれた絵が存在しているという、意外な面白さがある。そしてこれらの絵やその持ち主をたどることによって、知っているようで知らなかった祖父の人生が浮かび上がってくる。
 作家は現在海外に滞在している。つねに旅がもたらす発見を制作のエネルギーとしてきた作家に対して、この経験はどのような展開をもたらすのか。期待しながら見守りたい。

廣瀬就久 (岡山県立美術館学芸員)


The subjects of SHITAMICHI Motoyuki's photographs are unusual landscapes that he discovers during his travels, and he is chiefly concerned with the memories of the past that they contain.
He photographs abandoned military structures and equipment, such as pillboxes and batteries, that have been left to deteriorate during the 60 years since World War Ⅱ. Although these images may cause people to think about the negative aspects of the war, the artist does not intend to make a histrical point. He is primarily interested in the strangeness and abruptness of the presence of wartime ruins in an ordinary landscape. He is also attracted to the strange formal qualities of these objects. By basing his work on this subject, he traces apart of the history of this country which is being forgotten.
In the [Pictures] series, included in this exhibition, he focuses on pictures painted by his late grandfather. After obtaining information from relatives and acquaintances, he looked up the current owner of paintings created by his grandfather, a Sunday Painter, and photographed them in their current environment. The paintings, executed by the hand of the same artist, appear in a number of different and unrelated spaces, showing an interesting incongruity. In addition, tracing the whereabouts of these paintings about his owners, he learned more about his grandfather's life, which he knew only vaguely.
Shitamichi lives overseas at present, and he finds the energy for making art in discoveries made on his travels. how will his work develop after the experience of this current project? I will de watching it with interest.


HIROSE Naruhisa
[Curator, The Okayama Prefectural Museum of Art ]

上野の森美術館で「VOCA 展2008」が開催されている。VOCA展は全国の美術館学芸員・ジャーナリスト・研究者などに40才以下の若手作家の推薦を依頼し、その作家が平面作品の新作を出品するという方式で行われており、今年で15回目を迎えるものである。賞は「VOCA賞」1名、「VOCA奨励賞」2名、「佳作賞」2名、その他に「大原美術館賞」と「府中市美術館賞」が1人ずつに授与されており、公式サイトでは受賞作品の画像も見ることができる。

今回は36人の作家からの作品の提出があったのだが、それだけの人数の作家の新作を目の前にすると、まさに作家の数だけ表現のフロンティアがあるのだということを実感させられ、軽い頭痛を覚えるのだった。だが36人全てにクリティカルマインドで向き合う必要はない。その作業は選考委員にまかせて、イソギンチャクの触手のように様々な方位に広がったこの表現たちの中で、自分はどれが気に入ったのか、今の自分の琴線に触れるのはどれなのか、ということを探りながら見るだけでも楽しい。

そのような視線で見た時に私が密やかに授賞した作品を紹介したい。下道基行《Pictures―遺された祖父の絵を旅する》である。「日曜画家であった祖父の絵の現在における持ち主を訪ね歩き」撮影したという説明もあるとおり、これは亡くなった過去の人への鎮魂の意味を見せながらも、その実、遺されたものが存在する「今」であり、「私」なのである。下道のこの作品は、中流という表現がしっくりくるような、あまり洗練されていない3つの生活空間を撮影している。3枚のうち2枚は生活風景の中に祖父の絵が飾られている様子を、そして残りの1枚には絵にかぶせられた透明なガラスかアクリルの額に玄関先の風景が反射しているところを写している。

その写真達にはどれにも「私」が静かに滲んでいる。この写真は、灯りの位置が黒マジックで書かれている電気のスイッチにふっと頬が緩むおかしみを感じ、だるまとトロフィーのある部屋に座る女性の顔に浮かぶ無表情の表情に未来を感じさせない気だるい絶望を想う、そんな日常の風景を見つめる極めて私的な視線の表現である。そしてその下道の視線としての「私」は、生活に必要なものを配置したり少々大事なものを乱雑にならない程度につめこんだりした「私」の空間、そして「私」が描きたいから描いたという絵という、他の2つの「私」と共に作品を構成し、この作品に私的な安らぎを与えているのである。それは3枚目の、絵のガラス(もしくはアクリル)の額に玄関が写った写真の中で、その絵に描かれた水の中にほどよく混ざり合って溶けていくように感じられた。
等身大の「私」に回帰した写真。エッジの効いた表現ではないが、その穏やかさが逆に心地よく見ている者の中に広がってくるのである。それは必ずしも、幾分かの「権威」になったVOCAにおいて賞を授けるか否かといった時の議論の俎上に載ったり、多くの票を獲得したりする表現ではないかもしれない。だが、見る者と作品の関係性という線上で考えた時、その私的な表現に共鳴するものがあったならば、たとえ少人数であっても見る者の中に残るのであれば、それは結果としてその表現にとっての幸福なのであろう。
…(略)


池端はな

『untitled(torii)』と題された写真を見ていくと、異国の風景の中に突如として「鳥居」が写り込んでいる光景に衝撃を受ける。ジャングルのような森の中に埋もれるように、あるいは半ば家の構造物として取り込まれているような形で、さらには、横倒しになったままベンチ代わりに使われているものもある。南国風のキリスト教の白い墓地の遠景白く塗られて立っているものも見える。その取り合わせを考えると、第二次世界大戦中に日本の占領下に置かれていた地域に、今も残る神社の跡であることに思い至る。
 展覧会のために、下道基行本人が寄せたコメントには、「現在の国境線外側に残された鳥居」とあり、「占領下」「植民地」といった言葉を注意深く避けて説明がなされている。下道が、この写真が政治的な意図の下に撮影したものではないことも同時に伝わってくる。それで、私たちは『untitled(torii)』の写真から、かつて日本が多くの地域を侵略・占領したことの事実を改めて突きつけられるとともに、敗戦から60年を経て(撮影は2005年からはじめられている)、それぞれの地域で、異物でありながらも、その地の暮らしの中に奇妙に馴染んでいる姿に、人間のたくましさを思うのだ。
 なお、下道には『untitled(torii)』に先立ち、日本国内に残る戦争遺構(トーチカ、軍用機格納庫、等)を写真とともにテキストと図解で示した本『戦争のかたち』(2005年)があり、注目を集めた。興味を抱いた事物に、等身大の日本人の「今」の視点から、対象を追っていく下道の次なるテーマにも目が離せない。

岡本芳枝(広島市文化財団学芸員)
HIROSHIMA ART PROJECT 2008

『Mémoires de guerre』
Exposition de photos par SHITAMICHI Motoyuki
Du 29 avril au 10 mai 2008


A l'instar de ceux qui se trouvent le long des côtes françaises, de nombreux bunkers ont été construits au Japon au cours de la guerre du Pacifique.
Pourtant rares sont les personnes qui en connaissent l'existence.
Un jour après son travail à l'université, le photographe HITAMICHI Motoyuki est tombé par hasard sur l'une de ces constructions en béton dans la banlieue de Tokyo. Cette rencontre l'a beaucoup marqué. Quelques mois plus tard, il est retourné à l'endroit où se trouvait ce bâtiment. Il avait disparu remplacé par une supérette. Voilà pourquoi il a décidé de faire le tour du Japon avec son appareil photo à la recherche de ces vestiges de guerre.
Plus de soixante ans après la fin du conflit, le paysage japonais a profondément changé, mais ces bâtisses en béton continuent à le marquer de leur présence. Ayant perdu toute leur utilité guerrière, elles ont été transformées en hangars, en bacs à fleurs, en bacs ou en maisons
d'habitation.
SHITAMICHI Motoyuki appartient à cette génération dont les parents n'ont pas connu la guerre. Il a donc voulu diriger son appareil photo vers ces espaces étranges qui s'effacent de notre mémoire et nous rappellent la réalité de la guerre. Au milieu des paysages de paix, il a voulu capturer cette atmosphère étrange qui se dégage des vestiges de la guerre qui apparaissent au centre des photographies.
Ces œuvres n'ont pas pour vocation de rapporter la réalité ou l'histoire de la guerre. SHITAMICHI Motoyuki n'est pas historien. En tant que photographe, il cherche à donner les moyens au public de réfléchir à la mémoire de la guerre, à déterminer comment elle s'inscrit dans le quotidien des gens, quelle place elle occupe et comment il conviendrait de la raconter.


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『戦争のかたち』

フランス地方の海岸と同様に、日本にも数多くの太平洋戦争中に作られたトーチカなどの建造物が多く放置され残っている。しかし、その存在を知る者は少ない。

写真家の下道基行は、大学卒業後のある日、東京近郊でそのようなコンクリート建造物に偶然に出会い、その存在感に惹かれた。数ヶ月後再びそこを訪れた時にその建物は姿を消し、コンビニエンスストアーに変わっていた。それ以来、彼はカメラを手に日本全国の戦争の遺構の記録を始めたという。
戦後六十年の間に日本の風景は劇的に変わったが、これらのコンクリート製品は壊そうにも壊せない堅牢さゆえに生き残った。戦うための機能を完全に失った無機質な建造物は、倉庫になったり、花壇になったり、ベンチになったり、人の住む家になったりしている。
戦争を知らない世代を親に持つ彼は、その戦争のリアリティ/記憶の薄れゆく奇妙な空間に興味を持ちカメラを向け続ける。カメラの先には平和な日常風景が広がり、写真中心に据えられた戦争の遺構が奇妙な雰囲気をかもしている。

下道基行は歴史家ではない。あくまでも写真家として、この作品が単に戦争の歴史や事実を伝えるものではなく、戦争の記憶がどのような形で残り存在し、今後どのようにそれを伝えて行くべきかを改めて考えさせ、見る者に多くのイマジネーションを与えるものでありたいと考えている。

(2008年4月 ESPACE JAPON/Paris)

One day, after he had graduated from art school, Shitamichi discovered a ruined twostory concrete building in his neighborhood, which had been used as a substation during World War 2, was pocked with bullet holes from machine-gun fire. The strange beauty inherent in the concrete's coldness attracted the artist.

Shitamichi, astonished by his encounter with the reality of the war ruins in such an ordinary setting, started to take photos of scenery of a seemingly forgotten war. First of all, he felt uncomfortable about the situation of creating "Western Painting" in Japanese art schools, so when he encountered the traces of the war, he strongly felt he should work "not in painting, but photography." Since then, he began to take photos of war-ruin buildings.

The first series of his works entitled "Bunkers" contains images of artillery batteries, pillbox structures, the institutions at which the weapons were tested, and bunkers that protected combat planes. For this exhibition organized around the theme of Articul 9, the artist has cosen to exhibit his ongoing project called "Untitled (torii)."

"Untitled (torii)" is a series of photos that capture images of Shinto shrine remains from Japan's former colonies. The Shinto shrines shown in these photos were constructed as a part of Kokka Shinto (Shintoism as the State's official religion) during WW2 in the area controlled by the Great Japanese Empire. Though the building of these Shinto shrines and the policy of forced worship, the Great Japanese Empire promoted Kouminka (Imperial Citizen Forming), which involved mandatory Emperor-worship, the raising of the Japanese national flag Hinomaru, and the compulsion of singing the Japanese national anthem Kimigayo in the Great East Asian Co-Prosperity Sphere.

As well as being a war device, some of these Shinto shrines had a function in trying to effect a good harvest, which is a character of primitive Shintoism. These shrines built, all over Asia. number approximately 1600.

In Shitamichi's photos, the gates of sacred Shinto shrines call "Torii" are left quietly in grass, desolate land, or jungles, and sometimes the Torii stand before the building of Shinto shrine. At times the Torii themselves have turned into benches.

One thing that is clear is that these Torii in Shitamichi's photographs are mearningless. The Torii made for Kouminka (Imperial Citizen Forming) have been forgotten, without having achieved their original purpose. After the war, these Torii remain, still atanding, but in daily life serve as noting more than meeningless lumps concrete. The scenery of the neighborhood has changed dramatically in the sixty-two years since the war's end, and there is no reality of war in this lump of concrete that has survived. Shitamichi calmly portrays these relics as reality of war, which is connected to us somewhere but is now far from us. The posture of the artist has resulted in quiet, yet strong messages about the forgotten war.


Exhibition "INTO THE ATOMIC SUNSHINE"2008
Shinya Watanabe (independent curator)
渡辺真也

 表紙を見てヨーロッパのどこかの写真だろうと思ったが、ちがった。北海道の十勝沿岸。四角いコンクリートはトーチカだ。
 えっ、どうして日本にトーチカが?太平洋戦争で上陸戦が行われたのは沖縄だけで、原爆が落ちて降伏したので本土に米軍は上陸しなかった。だが軍部はもしもの場合を考えて全国の沿岸に無数のトーチカを造っていた。つまり使われなかったトーチカである。
  弾痕が残る廃墟を見て戦争の遺構に興味を持ち、もっと見たくなってバイクで全国を探してまわったと書いている。トーチカだけではなく、砲台、戦闘機を格納する掩体壕、兵器の試験場などを撮り集めた。
 こういう旅の興奮は理解できる。ハンティングの喜びに近い。ひとつ見るともっと見たくなる。探しにくいものほどおもしろい。だが、問題はどうとるか、撮られたものをどう編集するかだ。
 この本はその点が明快である。ひとつひとつに展開図がついている。トーチカならばどれくらいのサイズで、壁の厚みはどうで、入口はどこにあるかということが描かれている。砲台や掩体壕は現在どう使われているのか図解も載っている。つまり一個の建造物として見ているのだ。
 戦後六十年の間に日本の風景は劇的に変わったが、これらのコンクリート製品は壊そうにも壊せない堅牢さゆえに生き残った。物置になったり、倉庫になったり、ベンチになったり、人の住む家になったりしている。著者はむしろそのことに注目し、おもしろがっている。モノがたどる歴史に惹き付けられているのだ。
環境、建築、デザインとさまざまな方面にイマジネーションをかきたてる。その大元に戦争がある。

大竹昭子(作家)
『Esquire』(2005.OCT)

 大戦末期、戦闘機を敵機から守るべく建造された掩体壕の中は、畑や農業倉庫になっているらしい。(記事に付けられた写真の)原画はカラー。各地のトーチカや砲台跡などを、柔らかな色調でとらえた写真を収録する。戦争遺跡の粛然とさせるような存在感にモノクロで迫るのとは別種の、新たな視点を感じさせる。
 著者は1978年生まれ。取材・撮影を始めたのはピザの宅配中、ある戦争遺跡に出会ったのがきっかけだという。いわば偶然の体験から出発したことが、目の前にある戦争遺跡の姿を率直に見つめる視線につながっているのだろう。砲台跡はしばしば花壇に転用されている。掩体壕に住んでいる人もいる。戦争という非常時の建造物はいまや戦後の日常風景と不思議な形で同居している。
 それが戦後60年を迎える現在の、一つの「戦争のかたち」なのだろう。戦争の記憶がどのような形で存在するか、どう伝えていくのか改めて考えせられる一冊でもある。

『読売新聞』2005.8/14

 戦争が終わって既に半世紀が過ぎ去った。だが下道基行の遺跡写真は長年のあいだ凍結保存されていた戦争の記憶を鮮やかに蘇らせる。下道に鋭い視線が追求するもの、それは言うなれば「トーチカの考古学」だ。

暮沢剛巳(美術評論家)

 ある日掩体壕や滑走路、トーチカなど、戦後まもなく生まれの私でさえほとんど見たこともない構築物ばかりを写したファイルを持って、若い作家がやってきた。紙焼写真に写っていた
ものは、道路を跨ぐように建設された弓形の曲線の奇妙なかたちの開口部をもったものや、海辺の突端に置き去りにされたような、窓のない四角な箱のようなものなどがいくつもあった。日本が第二次世界大戦に敗れて、そのまま放置された「戦争のかたち」だった。
下道基行は4年ほど前アルバイトの途中で、2階建ての廃墟に遭遇した。壁には弾丸が打ち込まれた無数の傷が残り、説明看板には太平洋戦争の折、敵戦闘機が打ち込んだ機銃の弾のあとだと書かれてあったと言う。まもなく様々な資料を手がかりに、その不思議なかたちを探し歩き始めた。戦争の遺物を探しながら、見つかるたびにきっとUFO基地か宇宙基地のような未来感に包まれていたのではないだろうか。対象物への傾倒は、劇画やアニメや圧倒的な映像に囲まれて育った、青年から大人になりたての下道基行の年齢でなければ起こりえなかった。彼の世代にとって、60余年前の戦争は、映像や書物の中にしかない。廃墟も戦争の構築物も、いま囲まれている都市の皮膜のつるつるぴかぴかしたものと対極にあるからこそ下道基行の目にとまった。
長い間私たちの父母や祖父母が語り伝えてきたのは、身近な日常をいきる些事や喪失ばかりで、戦争が残した遺物は、見えていても見えなかった。修羅のような日々では、これらは忘れたい装置だった。
今夏が戦後60年目だ。毎日のようにどこかの国とのあいだで、敗戦のぎこちない対応や処理が尾をひいているらしいとニュースが流れる。それらの画像に下道基行の写真を二重写しにしてみる。偵察のためのコンクリートの小さな箱のような建物や、飛行機を格納し飛び立っていく不可思議な開口部をもった構造物を、突貫工事でつくっている何千人もの人々の火の玉のようになって働く姿が見えてくる。槌音や掛け声、罵声や祈りも聞こえてくる。
長年にわたる放置ですっぽりと緑に覆われて輪郭のかたちさえ定かではなくなった掩体壕や砲台は古墳の面差しをしはじめている。都市に近い砲台の一部は、公園の遊具に溶け込んでいたり、民家と隣り合わせ、倉庫や仕事場に利用されているものもある。「国敗れてトーチカあり」「砲台やつわものどもが夢の跡」と、人口に膾炙したフレーズに紛れこませてみると、戦争とはコンクリートや鉄や木材やアスファルトを蕩尽し、そこここに奇妙な建造物を置き去りにするものでもあったことを知る。日本というオープンエアにたつミニマルアート、抽象彫刻に見えなくもない。これらの装置がふってわいたように建つどの場所も、どことも知れない非現実的な場所に見えてくる。どこも無音で、かげろうがたちのぼっているように揺らめいている。若い下道基行に掴み取らせこの光景が、深く眼裏に刻まれる。

INAXギャラリーチーフディレクター 入澤ユカ

[2009]
・『毎日新聞』展示記事
・『見っけ!このはな』記事寄稿
・『読売新聞』Re-Fort PROJECT 5記事

[2008]
・『ART iT』(18号) 展示記事
・『Tokyo Art Beat』(08年3年)展評(展評者:池端はなさん)(web)
・『これからを面白くしそうな31人に会いに行った。』(08年6月)(著者:近藤 ヒデノリ、米田智彦、サトコ)インタビュー掲載 (amazon)
・『この写真がすごい2008』(08年8月)(著者:大竹昭子)活動紹介 (amazon)

[2007]
・『デジカメWatch/ Web写真界隈』(07年8月)インタビュー掲載 (記事:内原恭彦)(web)
・『TOKYO SOURCE』インタビュー掲載(07年8月)(web)

[2006]
・『日経WOMAN』(06年1月号)書評(書評者:三崎亜記さん)
・『Esquire』(06年3月号)

[2005]
・『日本経済新聞』(05年7/1)文化欄人コーナー
・『ダヴィンチ』(05年7月号)書籍紹介
・『spectator』(05年月7号)書籍紹介
・『日本カメラ』(05年8/1発売)書籍紹介
・『読売新聞(夕刊)』(05年7/26発売)書籍紹介
・『BRUTUS』(05年8/1発売)書籍紹介
・『週刊プレイボーイ』(05年8/9発売)特集記事
・『MENS JOKER』(05年8/10発売)書籍紹介
・『MENS NONNO』(05年9月号)書籍紹介
・『日経エンタメ』(05年8/発売)書籍紹介
・『読売新聞』(05年8/1発売)書評「よみうり堂本」
・『PHat PHOTO』(05年8/20発売)特集記事
・『Esquire』(05年8/24発売)書評(書評者:大竹昭子さん)
・『フォトステージ』(05年8月発売)展評(展評者:鳥原学さん)
・『流行通信』(05年8/27発売)書籍紹介
・『東京カレンダー』(05年8/27発売)書籍紹介
・『マンスリーM』(05年8/発売)書籍紹介
・『TOKYO STYLE』(05年11月号)書籍紹介
・『Free&Easy』(05年10/29発売)特集記事「21世紀の巨匠たち」