幻のシリーズ、自分でも忘れていたシリーズのこと

Artscapeのある作家の展評内に、自分のシリーズ作品が”意外な形で”触れられていた。

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…………寺田の作品における「ストゥディウム」としての明示的な意味が、「戦争遺構や近代産業化の象徴である製糖工場跡に残る沖縄戦の痕跡」であるならば、遅れて発見され、見る者をまさに刺し貫くような「プンクトゥム」は何に相当するだろうか。本シリーズの要諦は、銃痕を撮影し、穴を開けられた被写体に「神社の鳥居と狛犬」が含まれていることだ。「沖縄の風景に鳥居があること」は、一見、とりたてて注目すべき点のない、ごく当たり前の風景に思えるかもしれない。だが、これらは、戦前に、沖縄神社(首里城内に設置)や護国神社などの創建に加えて、沖縄の聖地である 御嶽 うたき を、国家神道における「神社」と見なして鳥居を設置した皇民化政策によって人工的につくられた風景である★2。異物としての鳥居に、違和感を感じないこと。それは、「沖縄は日本の一部である」という帝国主義的視線の内面化にすぎない。下道基行の写真シリーズ《torii》(2006-2012、2017-)は、台湾、中国東北部(旧満州)、韓国、サイパン、サハリンなど「現在の日本の国境線の外側に残された鳥居」★3を調査・撮影し、象徴性や機能を失った鳥居がそれぞれの土地や文化圏のなかでどう変容したのかを写し取った作品としてよく知られている。だが、下道の《torii》には 沖縄が含まれていない という、真にポストコロニアルな視点の欠落に、本展を見ることで気づかされた。…………

『高嶋慈|寺田健人「the gunshot still echoes 聞こえないように、見えないように」』
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(この紹介されている作家や展評を書いた方への批判の意味は一切ないことをまず触れておきます。)

この文章を読んでいて、ふと思い出したことがある。
それは、ある意味で幻のシリーズ、自分でも忘れていたシリーズのこと。
10年前の未発表の作品のことを書いてみようと思う。

●2014年沖縄にて

シリーズ『torii』を撮影して2006年から2012年くらいにかけて台湾、中国東北部(旧満州)、韓国、サイパン、サハリンなどを撮影し巡った。それぞれの国/地域では鳥居の残され方は違い、(韓国などは戦後に破壊されて現存は確認できない)その風景からは戦前の歴史をそれぞれの地域ではどのように意識され描かれてきたかを、日本人として自ら学び直す経験でもあった。それは2012年あたりに作品や写真集としてまとまり、色々な場所で発表してきたが、その後、2014年くらいから、その延長として、沖縄と北海道に興味を持った。もちろん、日本国内にありながら、近代に日本が植民地化したエリアだからに他ならない。つまり、現在の国境線の輪郭を外側をなぞっていくのではなく、次に内側から探っていこうとしていた。
まず沖縄に取材に入る中で、御嶽に建てられた鳥居に出会った。滑稽な形をしたそれは、沖縄の植民地化の象徴であるとすぐに感じ、撮影を始めた。さらに調査を進める中で、斎場御嶽など非常に重要な御嶽にも建てられていた鳥居を戦後に破壊した歴史を知り、「韓国と同じような状況が戦後の沖縄でも起こったのか」と気がつき、さらに興味を深めていった。

上は2015年に宮古島の豊年祭を鳥居中心に撮影したもの。こういう動画シリーズとして何箇所か撮影行っていった。
この鳥居には紅白の幕が巻き付けられ、聖域から地元の神様「ミルク神(弥勒)」が鳥居を超えて俗域へと出てくるシーン。見ての通り、シリーズ『torii』の続編として新しいモチーフになりそうだと撮影を続けた。
カラーの映像で撮影。フィールドワークを続けながら、作品になりそうな『琉球の鳥居(タイトル不明)』は、数箇所ほど撮影が進行していた頃、実は、そのフィールドワークの中で『津波石』に出会う。250年前に大津波で陸地に上がった岩と。結果から言うと、この鳥居と津波石との調査は並行して進み、その数年後に『津波石』が作品になる。

●なぜ沖縄で『津波石』を選んだ?

ちょうどその頃、2011年の東日本大震災や福島原発事故を受けて、『戦争のかたち』や『torii』などのような過去の遺構ではなく、今まさに津波によって新しく未来への遺構が生み出された瞬間に自分は何に向き合うべきか悩み、近代や戦争の時代によって捻じ曲がってしまった日本をテーマにすることをやめようと考えていた。一つの理由は、福島原発事故自体がそれを強烈に視覚化するような出来事であったから、わざわざ作品として視覚化する必要性が自分の中で揺らいでいた。僕は100年前くらいの過去ではなく、この現在とその先へ、逆にもっともっと過去へ制作を進めようとしていた。
その中で、近代やポストコロニアルと向き合う(『torii』の延長の)『琉球の鳥居(タイトル不明)』をやめ、新しい挑戦として『津波石』の撮影に本腰を入れていく(もう一つ、民藝への興味から琉球ガラスをテーマにした『沖縄硝子』も制作。)。最初、『琉球の鳥居(タイトル不明)』の延長でカラー動画で撮影されていた岩の映像は白黒になり、2018年、高松市美術館で初めて展示を行い、その後2019年ベネチアビエンナーレ日本館での展示になっていく。

この先島諸島周辺には500年周期で津波がやってきていて、一番最近だと250年前の明和の大津波による津波石もあるが、2000年前のものもある。ある岩の上には木々がはいて森のようになり、ある岩の上には渡鳥たちが毎年コロニーを作りにやって、ある岩は地元の信仰を集め聖域になっている。
僕の興味は2011年を境に、時間間隔としては、近代から古代やもっと長い時間へとシフトした。さらに、鳥居や国境などの人間中心とした世界から、岩や木や鳥と共に人間が存在する世界へと興味が動いた。と言える。それは、津波や原発事故を受けて。聖域と俗域の境界線としての人工物としての鳥居から、人間が住めない世界と人間が住む世界を横断した(ニライカイからやってきた)境界石にたどり着いた。(と、自分では思っていた。)

この作品を初めて高松市美で展示した時、空間を二つに分けて『torii』と『津波石』を並列させて展示を行った。(展示空間) しかし、それを見にきてくれた学芸員さん(『戦争のかたち』や『torii』を評価してくれていた方)は「新作の『津波石』には近代や戦争などの下道くんらしい根っこのテーマ部分がなくて、作品として弱くなったように感じる」との率直な感想をもらった。
『津波石』はシリーズ『torii』に続く最新作で自信作だったが、結局ベネチアの1回の展示でこの作品はある意味で消費されたように感じる。実際には多くの日本人がこの作品を見ないままイメージだけが先行したし、さらにベネチアでは津波石はコラボレーションのネタになり僕の個人の作品としての意味合いが薄れ、『torii』の続編だという見方はされず、理解され評価されることはなかったシリーズかもしれないと、今思う。

●2011年以降の美術の動向

2011年以降、若い現代美術の作家の中では、戦争や近代やアジアをテーマにする作品は急激に増えていったのも感じていた。さらに、港千尋さんがディレクターの「あいちトリエンナーレ2016」では、ポストコロニアルをテーマに、沖縄と北海道を繋ぐような特集する展示が(沖縄や北海道の作家によって)作られたのを見ていた(つまり沖縄と北海道をポストコロニアルで捉え直す動き)。
そんな中で僕自身は、『戦争のかたち』や『torii』などの自己模倣にならないように、新しいテーマを持ち、先へと歩み続けようとしていた。

「下道の《torii》には 沖縄が含まれていない という、真にポストコロニアルな視点の欠落」は、正しい。なぜなら、『torii』には沖縄は含まれないから。さらに沖縄の作家がこのテーマを扱うのも現代的であり”正しい”。でも、僕という美術作家が継続し連なる制作の流れの中では、「沖縄が含まれていない という、真にポストコロニアルな視点の欠落」はあったのだろうか。しかし、発表されていないので、そう思われても無理はないのだ…。

●もう一つの幻のシリーズ

そういえば、『torii』の続編として制作途中だった幻のシリーズ『琉球の鳥居(タイトル不明)』だけではなく、もう一つ『戦争のかたち』の続編として制作途中で断念した幻のシリーズのこともついでにここに書いておく。
パリに住んでいた2008年から半年くらいかけて、フランスの沿岸に残されたトーチカを『トーチカ考古学(ポールヴィヴィリオ著)』を下敷きにしながら調査し、『torii』と同じく4×5カラーネガで撮影していったシリーズ『戦争のかたちinフランス(タイトル不明)』。これも未発表のままだ。
未発表の理由は、パリのスタジオのオープンスタジオを企画したときに、ユダヤ人のアート関係者に「日本人のあなたがナチスがフランスに作った遺構を撮影する意味はなんだ!」と強い怒りと共に問われたこと。それは、海外でも評価されるような強度の作品には自分が日本人であるアイデンティティと向き合わないといけないことを強く感じるきっかけになった出来事。渡仏で1年間制作を中断していたたシリーズ『torii』をもっとしっかりと向き合い作る覚悟を新たに2009年帰国した。そういう意味で、『戦争のかたちinフランス(タイトル不明)』は『torii』を完成させる原動力や内面的に深みを増す材料となり、『琉球の鳥居(タイトル不明)』は『津波石』の土台になっている。

僕の場合、一つのシリーズが完成するのに、5年以上かかる。なぜなら、僕の作品は風景を撮影したものをそのまま表現にしたいので、主人公を絞り込み、テーマやイメージを抽象化し、情報を圧縮することで、切り捨てられるものも多い。それは仕方のないことだと思ってきたが、今回は少し、切り捨てた部分に触れる記事があったので、この自分のwebという自分の自由な空間で書いてみた。

●当事者ではないと語れない時代?

シリーズ『torii』はこの10年以上、本当に色々な展覧会を旅した。最初は、まだ未完成のこの写真が柳幸典さんの目に止まり2008年に「広島アートプロジェクト」で旧日銀跡で初めて発表することになり、その後2012年に写真集になり、初めての国際展光州ビエンナーレで新人賞に、、。
僕が日本全国やアジアを旅したのは2000年代であったが、2010年代後半あたりからは「あいちトリエンナーレ2016」でも触れたように、やはり加害者側の日本人である僕がアジアの国々や沖縄などで制作していく(自分自身は自らが置かれた内部ではなく外側から輪郭線を辿ろうとしたし、その歴史や関係性を新しく学び、描き直そうと意気込んで制作したが)それよりも、アジアの国々や沖縄や北海道など地元の作家側がその歴史を作品にしていくことが、より期待されている時代に入っていった(台湾にはグループ展で呼ばれる度に『torii』をプッシュしたが展示には至らず、後に台湾人の若い作家によって同じような作品が制作され賞を受けたりもあった時はそれを痛感した)。それは、フランスでユダヤ人に言われた経験にも重なる。その中で、2019年、僕は生まれ育った瀬戸内地域のとある島を移住し、島民と一緒に郷土資料館(コミュニティアーカイブともいう)を作るプロジェクトを、今でも島民として住みながら制作を続けている。ある意味、全く違う手法の新しい作品を模索している。

(こういう搾取構造や当事者性などのジレンマは古くから写真家や人類学者などは特に強く、東松照明さんが沖縄に移住したのもそうかもしれないし(調べてはいないので不明)。しかし、地元出身者(や当事者)じゃないとその問題を語ってはいけないような状況が強くなるのは、ある意味で当然であるけど、どこまでを当事者とするかや当事者が言う事の”正しさ”への疑問など、色々な危険性を孕んでいるとも思うが、、、その辺はまたどこかで)

●最後に

今回のArtscapeの展評に関しても、書かれていることは理解できるし、『torii』が日本美術史の中に位置付けられる作品になったから言及されたのだろうし、そういう意味では光栄なこと。
僕としては、前を見続けて制作し続けるしかない。

瀬戸内国際芸術祭2025 『津波石』展示風景

この前、ようやく、『津波石』を満足いく形で発表することができた。チャンスをくれた方々に感謝。

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