”遺品”か”作品”か

長野県上田市「無言館」(1997年開館)へ行く。画家を夢見た若い戦没者たちの絵を集めて作った美術館。この美術館を作った窪島誠一郎館長の言葉を借りれば、戦没者たちの家族から絵を収集し「彼らの作品を”遺品”から”作品”に転化させた」こと、それは独自の手法。引いてみると、この美術館そのものがプロジェクト型の作品のような成立の仕方だと思った。
実際に、僕がギャラリー内に入ると想像とは少し違っていた。長い列ができていて、学生たちが先生に引率され一列に並んで飾られた絵を鑑賞している様子に不自由さを感じ、さらに、ハンカチ片手に鑑賞するおばさんは、絵画を作品として見るのではなくその下に添えられた「○◯で戦死。」などと書かれたキャプションを熱心に読んでいる。この美術館/施設が原爆ドームのように平和教育の施設になっていることを感じる(後に地元のアーティストもそのイメージを持っていた)。自分はこの若者たちの絵画を”作品”して鑑賞しようと努めた。キャプション/物語を読まないようにしながら絵画を鑑賞し1周目を見て回ったが、しかしその場合、彼らの”作品”はやはり強くなく自立していないものが多い現実にぶつかってしまう。やはり、ここは慰霊の施設としての物語とは切っても切り離せない。しかし、そのアンビバレントな状態に僕は強く惹かれるし、何か自分の制作との共通点を見出さざる得なかった。

《瀬戸内「  」資料館》の未来を考える時間にもなったし、その後に開かれる長野での高原表現合宿についても静かに考える時間になる。

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