「ははのふた」と「給水塔」

これは、シリーズ「ははのふた」が、この秋に出版社から写真集になることがきっかけで、思考の整理をしたいから書いてみようと思う。自分で自分の批評を試しに書いてみるなら、現代写真の金字塔であるベルント & ヒラ・ベッヒャー「給水塔」と自分のシリーズ「ははのふた」を並べてみようかと。笑 
作家の自分語りが苦手な人はスルーください。作家の思考に興味がある方は、乱筆ですが、どうぞ。

左:ベッヒャー「給水塔」より 右:下道「ははのふた」より

私自身、初めてのシリーズ作品「戦争のかたち」を制作時(2001-2005)に、その内容から影響を受けてた(思考の一部に取り込んでいた)作家や作品を上げると、
・ベルント & ヒラ・ベッヒャー「給水塔」
・ポール・ヴィリリオ「トーチカ考古学」
・アトリエワン「Made in Tokyo」
・都築響一「Tokyo Style」
・柴田敏雄「日本典型」
など、だろうか。(これらの作品の影響はもちろん今の私の中にも残る。)
「戦争のかたち」は、戦争のためだけに設計され作られた超機能的な建造物(トーチカ、掩体壕など)が戦後捨てられ、現代の風景に妙な形で馴染んでいる様子をテーマにしている。それを、どのようにまとめ上げるか(作品化)するかを試行錯誤しながら、上のような作品を自分の先駆者と出会い意識していた。(もちろん、僕の美術的なバックボーンの中には赤瀬川のトマソンや、考古学や民俗学への興味もあったが。)
それらを撮りためる中で、まずは、挑戦してみたのは、モノクロで正面から同じ構図で撮影することを試みた。それはもちろんベッヒャー「給水塔」の影響であり、タイポロジーで表現することをまずは選んだ。そして挫折した。(直感的にこれでは表現できないと思った。)

「戦争のかたち」(TCAA展示風景より)

ベッヒャーがモノクロで表現した代表作「給水塔」(1963-)は、近代の遺したモダニズム的で超機能的な遺構/構造物を、客観性を持って、植物学者が植物を採取して研究するように、写真作品として収取し作品化してみせた。私は対象物に作家の愛着(主観)を感じるが、基本的には客観性と近代への批評が見事に混じりら、色褪せない作品に仕上がっている。この制作を始めたのは1963年、戦後間も無くの日本ではまた別の問題意識と写真の流れが起こっていたはずだが問題意識は遠くなかっただろう。

この戦後間も無くというのは、新しい経済成長によって、近代や近代以前の存在が消えていく時代。宮本常一が「忘れられた日本人」を書いたように、日本では失われる近代以前の風景や生活を記録する方向性が写真界でもみることができる。(これは戦争の時代への反省やそれによる左派の影響、さらに公害問題なども含め)日本の写真界でこの問題意識は、民俗学的やジャーナリズム的に発展したのではないか。

ベッヒャーの言葉では、この淡々と撮りためるタイポロジーという手法を「物体/オブジェクトのファミリーを作ること」と述べている。「自然界で古いものが新しいものに飲み込まれるように、人間化されて互いを破壊し合うモチーフのファミリーを作ること」とも。
ベッヒャーの「給水塔」に描かれる近代は「荒野に取り残された廃墟」的である。しかし、2000年台の私の目の前に残された戦争の遺構は、あるものは「荒野に取り残された廃墟」的であるがあっけらかんとした風景の中に存在し、僕が本当に興味があるのは、今の風景の中で、その建物の価値や意味が別のものにすり替わっていること(簡単にいうと”転用”など)だということに途中で気がついていく。そこで、出会ったのがアトリエワン「Made in Tokyo」や都築響一「Tokyo Style」などの調査とアウトプットだった。そこで、アトリエワンの影響(いや今和次郎の影響かもしれないが)もあり、「戦争のかたち」の制作時に写真以外に図面を描くことを始めた。
そして、白黒で撮影しようとしてたのをやめて、あえてカラーネガフィルムで浅いフラットな感覚で撮影していき、廃墟感や記憶色を排除していく方向へ変えていった。だから、「戦争のかたち」は2005年に完成したが、写真あり、図面あり、文章あり、地図ありの、色々な影響が入り混じったカオティックな完成になった。

この続編として、続くシリーズ「torii」は、写真のみで構成する写真作品としての純度を意識的に挑戦しつつつ完成するも。自分の写真家としての才能のなさに打ちひしがれる結果となる。作品テーマとして鳥居を主人公にしたことは的確であったが、これ自体をタイポロジー的に撮影することはもうなかった。

私は写真家を名乗ることもある。しかし、自分の中で、写真家として意識し制作した写真作品はシリーズ「torii」だけのはずだった。しかし、2011年の東日本大震災と福島の事故を受けて、また全然別の時間軸を持ったピュアな写真作品が生まれた。
それはシリーズ「bridge」と「ははのふた」。そしてはこれら(特に「ははのふた」)は、ベッヒャーの「給水塔」への自分なりのオマージュでありアンサーになっていると思っている。いやいや、馬鹿馬鹿しい写真ではあるが、シリーズ「torii」以上に写真作品として、実は”硬派”な仕上がりになっていると思っていると僕は思っている。

「ははのふた」と「給水塔」。
まずは、どちらも、「水を貯めるもの」である。
というのは冗談……。

僕のこれまでのテーマ(「戦争のかたち」「torii」など)は、ベッヒャー「給水塔」と同様に、産業考古学や近代考古学のようなのが根底にあったが、シリーズ「ははのふた」ではスッキリとそれが無くなった。だから、一見、時間の深さがないように見えるが、実は僕の意識はその逆で。近代という時間の深さから原始と現代との接続を意識している。それは何かというと。福島の原発事故を目の当たりにして、今までの自分のテーマであった「近代批判」など当たり前すぎて言及する気も失せた、という感じ。さらにいうと、この事故によって、近代的思考の危うさや歪みが露呈したはずだったのに、すぐにその開いた傷口は閉じて日常に戻ってしまったことへの怒りのような感情。そこで、僕の中に生まれた興味や表現がこれだった。

ある日、義母のふたを見て、原始人の母もきっと食料の備蓄に葉っぱで蓋をしてただろうなぁ、と想像して笑ってしまった。そういう、人間の変わらないクリエイティブな部分を視覚化して肯定すること。

ベッヒャーの「機能的な美」や「廃墟感」、に対する、私のは「歪な関係性への美」や「生き物感」。そして、ポストモダンやポストコロニアルではなく、人の中に潜む原始の野生。いや野生に回帰する!とか野生を忘れるな!ではなく、すでにみんな持っている当たり前の野生の視覚化。

あと、今は言葉にできないけど、シリーズ「ははのふた」は家族写真である。お義母さんのポートレートであり、2011年以降の日本の家族の関係性を描こうとしている。
それは日本の写真の中から生まれてきた写真であること。
とか?

浅い思考ですみませんでしたー。少し本などを読んでさらに深くしていきますー。笑

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