新しい制作が始まる場合、風景や人など惹かれる対象物との出会いがある。
その対象の新しい角度から面白さを発見し、新しいアプローチで形/ビジョンとして引き出すことに興味があるし、これが自分の仕事/能力なのではないかと最近は思う。(最初はそれが仕事だとは思っていなかった。)こういうことを作家に話す場合、大体共感してくれるのは「写真家」が多くて、「美術家」は少し腑に落ちなそうなことが多い。これはノンフィクション作家とフィクション作家との違いにも少し似ているのかも。ある意味で、創造者は世界の方なのか?自分の方なのか?という制作の意識の違いがあるのかも。
僕自身、いろいろな写真家にも美術家にも影響を受けていて、それらがごちゃごちゃに混ざり合う中に表現はある。でもその作品は、写真業界の人には現代美術家だと思われていて、美術業界の人には写真家だと思われているような気がする。悩ましい。それは僕が「写真というメディア」や「写真史」を舞台に戦おうとは思っていないからかもしれない(≠写真家)。そして、「美術史」や「絵画や彫刻というメディア」を舞台に戦おうとも思っていないからかもしれない(≠美術家)。いや、もちろん制作するにあたって歴史やメディアを意識はしてるが、それが表現の中心ではないということ。
自らの表現手法やメディアが表現の中心として興味があること以上に、対象物から引き出される感覚が表現の中心にある。いやもちろん、どのようなメディウムを使ってどのように制作するかは深く考えるのが大好きではあるが、風景や人や対象物、時間とか光とか、つまり世界の方に興味がある。
ある評論家は僕のような作家を「NHKドキュメンタリーのような作家」と言っていた。それは相当な皮肉だが、間違いではない部分もある。でも、表現手法やメディアとしての「NHKドキュメンタリー」は「30分や1時間で編集されたノンフィクション動画」を指すのだろうし、テレビと言うフォーマットに乗せるために作られた表現。僕がやっているのはそれではまとめられないことをしているし、そのメディア(やNHK)では表現できない手法を探求しているので、やはりその指摘は正しくない。(この方にとって作家=フィクション作家であるのだろう。)
例えば、シリーズ「津波石」は、先島諸島の津波の岩をビジュアル的に掘り起こしたもの。しかしその表現手法は白黒映像で編集無し。16:10のスクリーンにそれぞれの動画はループ映像で写真展のように空間に展開する。音は空間内で別に発生させる。これは対象物を取り集める中でこの形になった。(これを見たテレビドキュメンタリーの方が今、番組を制作しているかもしれないが)僕はこの形がこの対象物の面白い部分が出ると思ってこの形にした。
自分の適当な肩書きが見つからないのは、いまだに悩みであるが、個性だから仕方なく、僕から見ると、
美術館や美術史と向き合い続ける、美術作家や学芸員や美術史家はある意味”清い”、し
写真美術館や写真史と向き合い続ける、写真家や学芸員や写真史家も”清い”。
それを見ながら、自分はそこから外れた道(=外道)を深く探求するしかないと思っている。
【外道】 仏教の信者からみて、仏教以外の教え。 また、それを信じる者。 ⇔内道。
↓↓↓
【下道】 美術・写真の信者からみて、それ以外の教え。 また、それを信じる者。 (無神論者、多神論者?)
しかし、このような表現活動を理解し、言葉にしてくれたり、誘ってくれたり、支援してくれる人々が少なくないのは、常に幸運だと思う。(現代美術自体が中心だけではなく、拡張する周縁自体も現代美術であるから、外れる方向性は間違っていないのだろうが。)このような活動を仕事にして生きていけているし、新しい挑戦を期待され続けられることは、本当に恵まれていると思っている。合掌…
バスの運転手になってみたい。というもう一つの肩書きへの夢を持ってもいるが。その話はまたいつか。
(後日追記)
先日、瀬戸内「 」資料館を訪れたお客さんにこのようなことを言われた。
「アートというのは嫌な日常から切り離されて楽しめるものではないですか?そういう意味で大竹さんの作品は好きですが、この資料館は分かりません。あと、私は、最近の地域に寄り添うアートや文化政策が胡散臭くて嫌いです。」のようなこと。
いや、ほんと、その通りだと思う。
僕の中にも、美術作品や美術館は「日常から切り離されて楽しめるもの」であって欲しいし、そうやって楽しんでいる。でも、写真家が嫌な日常を切り取って再提示したとすると、やはり日常から切り離す行為ではある。(これは、上で書いたフィクションとノンフィクションにも通じるかも。)さらに、「地域に寄り添う」というのが気持ち悪いのは僕もそうだ。寄り添っている風に近づいてきて、搾取する感じ。芸術祭が作家たちの作品制作の一つの中心になりこういう現象が起こっている。
そこで僕はこう答えた。
「それは僕も同感です。でも、いろんな作家がいて、僕の興味や仕事の根底には、「観察」して「記録」することがあって、だから一般的な”アート”よりはジャーナリズムに近いのかもしれません。僕にはそれしかできないし、僕の中には、過去の美術作家の作ってきた歴史や「地域に寄り添うアートや文化政策」への疑問もあって、今これを作っています。」
直島にもう4年住みながら、この島に対して嫌いでも好きでもない感情を維持している。
だから、「この土地が大好きだから島のためにプロジェクトをやってます!」というのとは違う。(でも、そう見せようとは思っていないが、そう見えていても良いと思っている。)
僕の興味は、子育て。そして、近代からの三菱という産業、そして現代のアートによる観光、その両者の極端な発展と歪みに興味を持っている。資料館は、前者の光と影を掘り起こし発表し残しながら、後者の中に入りながら内部から風穴を開ける、そういう作品にしたいと思っている。(そのためには、ただの資料館にするべきなのだと思っている。この作品は時が経たないと意味がない、今の現在進行形では、後者の中に取り込まれたと錯覚するだろう。その感覚が薄れてくる頃、この作品は意味を持ってくる。)
でもなんといっても、小さな娘を育てる環境として、直島は最高。現在進行形で、それを原動力にして住んでいる。それに限る。他に住みたい場所もないので、日常を送る場所は、今は生活では子育て中心に考えているので、直島はやはり面白いのだ。