美術大学の客員教授として

2024年4月より、京都芸術大学(旧造形大)の客員教授として働くことになった。
「下道くん、美大の先生とかには絶対ならない!って豪語してたのに!」と古い友人に言われた。確かに。その理由/言い訳をここで書いておこうと思う。

まずは、2018年、子供が産まれて「育てる」ことへの興味が生まれた。その自分の変化に対して正直に動こうと思い、さらに「我が子が可愛いという当たり前」と「育てることに興味を持ったこと」をごっちゃ混ぜにしないで、作品化というか意識化して活動に変化させてみたいと思い、コロナ禍で、島の小学生の表現の塾を始めた。あえて「他人の子の教育に関わる」ことを始めた、現代美術をベースに、本気で。毎週毎週放課後に子供たちと集まる日々。そしてそれは、国立新美と行う中高生の表現の塾へとつながった。半年間10人と向き合う。これらは明らかに「育てる」ことへの興味が「ミッドキャリアの作家が大学の先生になる」という自分自身の未来を嫌悪しながら、自分らしい教育との関わりを試行錯誤してきたと思う。これらが3年目に入り(まだまだ始まったばかりだが)、自分の教育への興味が徐々に自覚的になってきたのかもしれない。小学生→中高学生ときて、僕の教育への興味は大学生でも可能かも、と繋がり始めた。(これって、専門性の話だと思う。)このタイミングでちょうど声をかけてくれたのが、アーティストの鬼頭さんで、それが京都芸術大学(旧造形大)だった。

次に、実は2017年くらいに、一度だけある大学の准教授にならないかとお誘いを受けたことがあった。「美術」「現代美術」に特化した学部ではなかったのも良かったので前向きに考えた。その時に「准教授になるのなら長くその地方に長く住むことになるし、その土地と付き合うことや制作の仕事の仕方が変わるだろうなぁ」と想像してみた。しかし結局、その仕事は無くなってしまったが、自分なりに深くそのことを想像してみた経験が残った。それは直島移住に繋がっているし、今回の京都での大学の仕事をすぐに受け入れられたのも、学科が「美術」「現代美術」だけに特化していないことが自分と大学を結ぶ一つの点であるとその時考えたからかもしれない。
その”「美術」「現代美術」だけに特化した学部で先生業をする自分への疑問”の根本には、僕はかつて美術大学の油絵学部(現代美術も含む)に在籍しながら、僕よりももっともっと美術家や現代美術家になりたい!と強いモチベーションを持って頑張っている同級生たちをみてきたし、その中で僕は民俗学や陶芸や出版物にハマって方向がずれていったし、大学卒業後にすぐに美術業界ではなく出版業界を目指すようになった。旅をしながら、写真を撮って文章を書いて、雑誌に持ち込んだり、雑誌の編集者募集に出したり、雑誌に持ち込んだ写真シリーズが、本になってデビューした。調べて旅して写真と文章にまとめる。しかし、そのデビュー作の本/作品を見て興味を持ってくれた人々は、結局「芸術(美術・建築・デザインなど)」や「現代美術」の人々で、その後、出版業界ではなく美術業界を舞台に活動することが多くなっていった。(でも、出版社への持ち込みは続けていたが全くうまくいかず、デビュー作以降は出版社から出版することは叶わず、自分で出版レーベルを立ち上げて、出し続けている…。)僕は自分の”流れ”をそう考えているにすぎない。
長くなったが、つまり、美大で「現代美術」を目指す生徒たちを教えるのは自分の仕事なのだろうか?と強い疑問がある。それは僕自身が”アカデミック”に「現代美術」作家を目指す生徒ではなかったからと言える。中心ではなく周縁に漂う存在(しかし、現代美術は新しい現代の美術なのでその拡大する周縁が中心になるとも言える)。

最後に、ではなぜ、京都芸術大学(旧造形大)の客員教授か?について書く。
1、客員であること
現在進行中の直島でプロジェクを続けていく中で、日常は島での生活である。先生をするために別の土地に移住することは「今は」考えていない。その中で、専任ではなく客員として、月1回程度京都へ通うというのは、小さな島にいる身としてとても風通しが良く感じた。京都や関西の展示を見れたり、関西で活動する友人たちにも会える。距離感と日数感が今の生活にちょうど良いバランスであった。
2、色々な学部の院生を担当すること
上に書いたが、”「現代美術」を目指す生徒たちを教える先生”になることにある種アレルギーがある。が、今回のこの依頼は、平面や立体、映像や写真、さらに陶芸などを専門とする院生を見て回る。それはバランス的に良いと感じている。
3、極端なまでに”実践的”な教育を行っている
今回、鬼頭さんにこの仕事を誘われた。彼の担当する絵画の生徒たちは、大学生や院生のうちから、マーケット/ビジネスを意識している。今の美術業界でそれを意識しないわけにはいかないが、ここの大学はそれがより実践的に行われているように見える。(だから嫌う大人も多いのも知っている。)
でも、声をかけてもらって、アトリエを回ってみて思ったのは、『僕の学生だった頃は「自分と向き合い、制作をやめず続けること、それが作家になること!」みたいな(全然間違っていないが)モラトリアムすぎる空気が多すぎたなぁ」「その空気感は嫌いではないけど、マーケット/ビジネスの意識や作家の仕事の現実とかを学生のうちに伝えるのって、今として当たり前だよな』と。いや、学生たちが作品の内容ではなく、マーケット/ビジネスに飲み込まれるのはどうかと思うが、かつての美大が社会と切り離されすぎていたと正直思ったし、ここは僕の知らない方向性の美大。その先で生徒はそれに反発してもいいわけだし。そういう意味で、超モラトリアムだった自分がモラトリアム的に「現代美術」を学生に教えるのではなく、今の自分自身にとってこの大学と関わるのは色々と「考える機会」や「新しい出会い」になるような気がした。

最後の最後に、直島も4年目。3年間の町民住宅を出なくてはならず、昨年度から自分たちで家を借りたが、島の地価が高騰してて、家賃は6万円近く(さらに島の電気ガス水道はかなり高く)、 2008年くらいからずーっと家賃のかからない生活をしてきたので、このベースの出費でバランスが大きく変わってしまった。だから、金銭面ももちろん助かるのは書いておかないと嘘になる。しかし、この仕事のお金がないと生きていけないようなバランスにはならないように頑張らないととも思っている。
お金のために教育に関わるというのは、まだ僕の中では、違和感があって。だから、「しまけん」も「新美塾!」もこの「客員」も、自分の活動のため、新しい冒険だと思っているし、参与観察なのかもしれない。(これは綺麗事でしょうか?)

タイトルとURLをコピーしました