表現の塾をやる理由を別の角度から考えてみる

日本の中学校や高校の学校教育は、大学に入るための受験のための、答えを導き出し点数をかせぐための特殊な競争。大学入学をゴールにして作られた高いハードル(とその合格後の放任)は、中国の科挙の影響があるという専門家もいる。階級などに関係なく全ての市民に開かれた関門であるのと同時に、関門を通過すること自体が目的化してしまう危険性を孕む。(中国や韓国や日本の大学受験のシステムはこの影響が少なからずあり、しかし中国は近年受験が目的かする学校教育の見直しをすでに行なっているらしいが、韓国や日本はある意味昔のままだという。)

日本の義務教育は、(大学の先の)日本社会で”一人前”として動ける社会人を育てるためにデザインされた理不尽な訓練のようでもある。それぞれの子供の特別な能力を認めつつも、実際はそういう”それぞれの個性/尖った部分”を削り取って、全員同じように丸めていくようでもある。さらにいうと、こういう教育を受けていた子たちが、大学に入って突然の放任的で専門的な教育に戸惑うことは多い。それは美術大学もそう。石膏デッサンしてたのに、大学で急に抽象画を描けみたいな。多くの大学生が、答えを探す競技から解放されたにも関わらず、学校/社会に認められる答えを探し続けることしかできない傾向は、大学で講師をするときにも強く感じる。

そういう自分自身の経験や問題意識は、僕の今実践している「島の子供の研究室」や「新美塾」に確実につながっていると思う。多分、僕がやっている塾は”表現の楽しさを学ぶ”という簡単な言葉で括られるだろうが、その根本にあるのは、中学高校で植え付けられる「学ぶ=勉強=答え探し」という柵(しがらみ)を取り外す”オルタナティブ”場所(でもあるかもしれない)を作ることでもある。その学校との距離的な立ち位置は”塾”に近い。でも基本的に中高生にとっての”塾”は、大学に入るための「勉強=答え探し」の更なる強化訓練場。だから、その真逆な場所を、あえて新美”塾”とつけたい。(新美塾というタイトルやロゴは、美学校を意識している。オルタナティブな表現の塾の先輩。赤瀬川パイセン。しかし、中学生高校生向けの美学校を作る計画。ま、誰も気がついてはくれないが。)
その新しい塾は「自分で考え自分で見つける学びの楽しさ」という(学校や塾も言うような)本来の教育の姿かもしれないが、その中で僕ができる専門性を言葉にすると「美術」か「表現」になる。さらに、僕の場合、日本の学校や社会への順応を強いるシステムが始まる中学生をメインのターゲットとして、全く別の角度の「学び」をぶつけてみたいと思う。こういう活動は義務教育/学校の中や関係性内では完全に柵を取り払えないから、義務教育/学校の外側でデザイン設計し作る必要がある。だから新美塾のように美術館が主導するのは一つの正解かもしれない。もしくは個人か企業か。

さらに、今の時代に僕自身がこれらのプロジェクトに力を注いでいる他の理由は。
一つ別の問題意識としては、多くの美術作家がミッドキャリアあたりから、仕事の質や単価は上がるが仕事の量が極端にへるという状況の中で、美大の教授になる作家が多く、僕の同じ世代たちもその辺りにいるが、その中堅アーティストの生きる道として、別に美大の教授(さらに美術予備校の教師)だけがあるわけではなく、他の道を作ってみたいのかもしれない。自分のために。つまり、アーティストが大学を含む学校制度や大学の先生になることへの疑問。美術家を取り巻く制度や慣習への批評的なアクションとして。だからこれを、美術館内で考えるのは間違っていない。美術館の開き方を変えるのだ。これは美術家の生きる道を問い直すことでもある。もちろん、美大で専門的に美術を学ぶ意味はとても大きい、しかしもっと前から、学校教育とは全く異質な「表現の塾」を作ることは別の意味で面白いはずだ。

さらに進める。”現代アート”とは社会批判や制度批判を多様に含むが、その多くの作品は、(美術館の中)問題の外から発する「ただのプレゼンテーション」でしかないことは多い。うまくいって意識は変われど、社会自体は変わらない。それは福島の時に痛いほど分かった。福島をテーマにアートをやっても、この国の方針は1ミリも変わらないし、さらにもっと実践的なデモでも変わらなかったわけで。
今回僕が意識している美術教育や美術館(WSなどの教育普及活動)などへの制度を問い直すとき、それを作品にこめて美術”作品”にしてしまった場合は、問題の内部に半分いながらの制度批判をする「ただのプレゼンテーション/問題提起」になっていることも多い。 僕は今の時代に対して「ただの制度批判のプレゼンテーション」ではなく、小さく確実に実際に社会を変えてみたいと思っていて、これらの実践を行なっている。3時間程度で終わるアーティストのワークショップでは”作る楽しさ”は伝わるが、上の書いたような意識を変えるためにはそれではあまりに短すぎる。半年間の準備と半年間の塾を作った。もちろんこれは、美術の枠内を射程にしているので作品制作の延長であるとも考えている。

(さらに、もう一つ。コロナ禍で移動が困難になりオンラインが発達し、戦争でガソリンが高騰し飛行機の値段が倍になり格安航空便が減り、そんなかなで従来の美術館のシステムに疑問を持つ。「外国や外から大きな作家を呼んで、大きな作品を輸送して、大きなコストをかけて展示を作り、何万人入りましたという物差しで成功を図る。」のではなく、「そういう莫大なお金を少し減らして、その一部でも美術館の地元の人や学生たちに開くプロジェクトに当てたら良いよね。」と言うのがわかったはず。なのに変わったかな?そう言うのを口では言っているけど、本当に変わってきてる? 新美塾はその新しい扉を開こうと教育普及と挑戦しているわけだけど…、少しでも風穴は開いたのかな?)

しかし、全く実践的ではないただのポーズの「(アートのロジックを入れた)ただの制度批判のプレゼンテーション/問題提起」の方が美術界では話題になり評価される。現代は炎上が重要な問題定義の方法であり、アクションなのは理解できる。僕の作っている塾は、参加した学生や保護者やその周辺から変わっていくだろう。足元から小さく変化を作る方法を選んでいる。時間のかかる方法。それはみんな分かっているけど、口にはするけど、やったことを見たことがない。だから始めた。3年目。少しでも風穴は開いたのかな?届いてるのかな?

何はともあれ、参加者との経験を第一に全力で動いている。その先に、今度は関係者に届くように、昨年は記録集と記録動画を作った。来週からは、記録展示を作って1ヶ月発表してみる予定。さて、反応は出るのか?それとも、暖簾に腕押しか…。新美塾、第1期生と2期生の生徒や保護者からは熱い期待やエールが届いているし、スタッフとの意思が共有できてるし、とても励まされる日々。

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