館長という肩書き

2019年末くらいまでは、外で制作の仕事をして、終わって帰る家/場所での日常は、休日であり次の旅や制作への準備期間だった。つまり、普通にオンとオフ。
それが、移住した小さな島での日常でコロナ禍も重なり大きく変化した。オンとオフが、オフとオンに。さらにオンとオンに。
小さな島に移住して、立ち上げた《瀬戸内「  」資料館》はある意味で架空であり、島での肩書きをその”館長”と名乗り始める。もう一つの肩書きは”娘のパパ”であり、島ではその二つの肩書きを持ち、日常を送り始めた。島という小さなコミュニティでは、都会の”誰でもない存在”はなくなる。(この監視社会に耐えられない移住者は少なくない。でも、僕自身、引っ越してから気がついたが、そんな小さなコミュニティで育ったから大丈夫なのかも。)生活や日常の中すらもフルタイムで、島で古い資料を収集する資料館の”館長”、そして”娘のパパ”としてたち振る舞う。それは、今までとは別の新しい人格のようだ。コロナ禍で外の仕事が徐々になくなり、逆に島での日常が仕事場というか、別の人格に生まれ変わったような、オンとオフがひっくり返ったようだった。
さらに、ここ”アートの島”では”設置された有名な作品”が日常なので、僕自身、”今を生きるアーティスト”として見られている奇妙な生活でもある。だからあえて”アーティスト”ではなく”館長”という架空の肩書きを自分に課しているのだろうと思う。つまり、アーティストとして自分ではなく作品が人に見られる存在から、小さなコミュニティで「娘のパパ」という肩書き同様に「資料館館長」という顔を日常化しているのは、僕自身が人に見られる存在になっている訳で、僕の手を離した作品という存在よりは、僕自身の存在/立ち振る舞い(もしかすると生き様みたいなの)が重要な気がしてきている。
おそらく、僕が”アートの島”に移住するとを自分で決断したこと、そして住み続け島民たちとさまざまな出来事や影響が起こり合っていること自体がとても重要で、《瀬戸内「  」資料館》というのはある意味でかなりパフォーマティブな舞台でありその残骸、いや、僕はミュージシャンやパフォーマーではないので、やはりこの過程やプロセスをどのように記録しながら収集し編したものを未来に投げ込むかを考え続けているのだが…。

そして今、ついにコロナ禍が収束。再び、非日常としての旅や制作の依頼が増え始めている。また外での制作の仕事がどんどん動き始めている。つまり、オンとオフが、コロナ禍で反転しオフとオンになって、今度は、小さな島での日常と制作、そして、非日常としての旅と制作、とが両方動く”オンとオン”になっていきそうな気配。
これはつまり外から与えられる役割をどのくらい意識的に内面化するか、さらに自分から新しい役割を作り名乗っていくかの話。「写真家/美術家」としての自分に「娘のパパ」としての自分が増えて、さらに「資料館館長」の自分。さらには「島の子供の研究室のリーダー」「写真研究会」「新美塾の塾長」などなどなどなど。これって大変だけど、結構楽しい。

東京などの外での仕事を終えて、家に帰る時、住む場所が島であるのは、独特の感覚である。境界線は海であり船であり。船に揺られ潮風を感じながら、「写真家/美術作家」から「館長(もしくはパパ)」へと切り替わる自分に気が付く。

さぁて、仕事仕事。

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