ー アーティストにしろ何にしろさ、人間って何かをするときは、必ずあるヴィジョンを持っているんだよ。それを現実化できるのは技術を持っている人。そのヴィジョンっていうのは自由でさ、別になんだろうがいい。どのプレーヤーも自分のヴィジョンを持って自分のサッカーをつくり上げようとしてるんだよね。ピッチだけじゃなくて、上からフィールド全体も見ながら、あらゆることをやってるんだよね。作家ごとにやり方が違うだけでさ。ー
小林正人
(美術手帖『小林正人と鬼頭健吾。知己の二人が語る「二人展の特別感」』より)
なんの職業にしてもクリエイティブな仕事をする人がいる。アーティストでもサッカー選手でも料理人でも。美術館主催で企画している「新美塾!」でも中高生に(アーティストになるのではなく!)そういうクリエイティブな仕事をする人になる種や芽を植えようと試みている。でも、そういう「クリエイティブ」って言葉は今、自分も使ってしまうし世の中に氾濫しているけど、すごくぼんやりしていて、言語化できていなかったりする。(なんでも「アート」で「クリエイティブ」な時代な訳だけど、それを言葉にして線引きしてみたい訳。)でも、この小林さんの言葉は一つのその解答だなぁと思った。これこれ。
自分だけの自由なヴィジョンを持っていて、それを実現するために技術を獲得し、自分をも俯瞰しながら、作り上げる人。つまり、目の前の与えられた仕事をこなしているのではなく、自分だけのヴィジョン(新しい視点を持った目標)を持ってそれを実現させるために、自分の技術や能力をさらに前進/開発して、さらに世界や業界や過去や未来を俯瞰してみながら、それを作り上げること。いや、これだと作家やプロの話になってしまうので、もっと小さく日常的な言葉にすると、与えられた仕事をこなしてお金をもらって買い物をして生きているだけではなく、その自分の手にした仕事(行い)の中に自分だけの目標やクリエイティブを常に持っているか、ではないか。
(今年もよろしくお願いします。)