知らない世界を旅をしながら、まだ見ぬ世界に他者に出会いたい。
新しい世界を風景や人々と出会い翻弄されることから得ることは、より自分を深く知ることであり、自分の中に新しい細胞が生まれ自分が少し変わっていく、自分の新しい身体を獲得していくような、楽しさだったように思う。そんな気持ちで遠い遠い異国の風景や人々の中へと移動し続けていた。
その中で作品を制作し、本や展覧会を開くようになって15年になった2018年、僕と妻の間に娘が誕生した。子供を授かるというのは、意外と簡単ではなく望んでも得られないし、絶望することもあるだろうと諦めかけた頃、妊娠が分かった。
生まれてくる娘にどのような名前をつけようか、その時から自分の中で新しい思考が生まれた。生まれ、日々一人では生きられない小さな娘を妻と交代で世話しながら、僕の体の中に新しい細胞が生まれ動き始めたようだった。娘は日々成長する。原始人が言葉や道具を使うように、そして絵や文字を使うように日々進化していく。僕の中で生まれた細胞の一つは「育てる」ことだったのかもしれない。しかしそれは簡単には「教育」とは置き換えられないだろう。僕が無知の他者に何かを教えるのではなく、小さな生き物から僕自身が新しい「学び」をもらっているというか、自宅で「知らない世界を旅をしながら、まだ見ぬ世界に出会」っているような日々というか。つまり、僕の冒険への興味は遠い世界から自宅内に移ったのかもしれない。しかし、娘も小学生や中学生になればどんどん僕から離れ自分で生きていくようになるだろう。それまでの冒険は自宅で良いかのも、と。僕は今のこの冒険をもっともっと楽しみたいので、都市部から小さな島に移住した。(これをただの親バカとも言うが。。)
移住して数ヶ月後、今度はコロナウィルスのパンデミックが起こり、実質的に移動ができない世界に変わって、物理的に自宅に閉じ込められた。(さらに戦争が始まり航空便は高騰し、友人たちが暮す香港が急激に中国化し教育も大きく変わったり、さまざまな世界との距離感が急激に変化していくようだった。)そんな中で、僕自身、もう遠い世界を旅するのではなく、興味は、半径数キロ圏内、小さな島の中の族や人々の中で大冒険をすることシフトした。飛行機を宇宙船を飛ばして、遠い遠い世界を見なくても良いのではないか?と。
小さな島を掘っていき、過去と未来を繋ぎ、遠い異国に繋いでみたい。
十分可能だと思っている。まだ形は見えないが。