瀬戸内「 」資料館  ー移住3年が過ぎて、さらに3年住む決意ー

【これまでの活動内容】

・企画展 =1年1本。島民と共同で地元を調査して、展示と出版物にまとめ、さらに最終的に見えるアーカイブにまとまっていく。この活動と日常によって資料館の展示収蔵室は形成される。過去を未来へ。

・研究会 =常に資料館に人が集う空気を作る。横のつながりや新しい関係性をうむ。さらに、ここから新しい調査や実験や活動が生まれてくる。

・出版 =企画展同様に島民と共同で地元を調査して、新しい直島の地図を作っていく。

・島民ギャラリー =毎回クリエイティブな島民の活動を紹介し、アーカイブしていく。消えていく個人の活動を記録し収集。2023年スタート。年間3人ほど紹介

【問題意識】

《社会的な問題意識》

・島に郷土資料をもつ図書館がない。
・島に博物館が存在しない。その多くは香川県の博物館が持っているというが活発な活用されているかは不明である(島で見せたり活用できる可能性)。民具を集めた郷土資料室は小学校内に存在するが保存も活用も良くない。島民が写真や道具を教育委員会に寄贈するケースもあるが、やはり保存や活用はかなり良くない。あと、博物館が扱える民俗資料というのは近代以前の民具などが大半で新しいものが扱えない。
・島の産業である直島製錬所の歴史の資料館はない。エコや金の製造などの華々しい部分がメインである。他の地域の製錬所(別子)などはいろいろな歴史を伝えている。別に悪ことを暴露したいのではなく、島で普通に語られているが、記述されていないことを残しておきたい。
・観光によって直島のブランド価値が向上し、観光客も好調なのもあり、現在古い島民たちが外の開発業者などに土地を売っている。さらに、古い風景や資料などが無惨に捨てられていっている。

《アートも含めた問題意識》

草間彌生の赤や黄色のカボチャなどの多くのパブリックアートで有名な島。この島は1990年代から国際的なアートや美術館を島内に作り、徐々に世界中から観光客が来るようになって島は潤っている。私もコミッションワークの依頼を受けたのですが、このアートによる開発と大量に流れ込む観光客に疑問をもち、この土地にローカルの資料館/アーカイブを作るプロジェクトを提案して、さらに自分の意思で家族で島に移住した。
この地域の近隣の他の島々は人口減少が激しい中で、この島は学校や文化施設が充実し移住者も増えている。過疎化に対して何も出来ず、古い風景と共に滅んでいくのではなく、新しく産業を生み出し変わっていくことは素晴らしいことだ。ただし、私が気になるのは、消費や消費者のスピードが早すぎることだろう。20年前は限られたアートが好きな人々がゆっくりと宿泊して美しい風景を堪能する贅沢な時間を過ごす場所だったのが、今はinstagramなどSNSにアップされているアートや店に行列を作って写真をとって回って、数時間で帰っていくような人の波が押し寄せている。さらにそういうお客を目当てにビジネスしか考えていない業者による無秩序な開発が起こっている。アートによる開発が古い風景を壊している、そうとも取れるこの状況に対して、アートとして何が可能なのか。もう一つは、パブリックアートのように”設置して終わり”の作品や建築のあり方への疑問かもしれない。
その疑問への答えとして、旅人だった私はこの島に定住してもう3年以上日々暮らしているし、自ら制作する(カメラで写真や動画を記録することすら)ことを可能な限り放棄し、コロナ禍の中で観光客のいなくなった島で島民との関係を作りながら古い写真などの資料を収集し、それを展示しながらアーカイブを作るプロジェクトをやっている。しかし、その傍らで鑑賞者は駆け足で目的地を巡り、開発者たちは古い風景を壊され続けている。現在プロジェクトは4年目ですが、アーカイブを作る活動に終わりはないだろう。どのように継続できるのか、いつまで継続できるのか。
この島の国際的なアートに比べて、私の表現はビジュアル的には弱い。しかし、このプロジェクトは今を生きているし、視覚的にも徐々に成長する。時間をかけることでしか、発生しないものを作りたいと考えている。

【2025年への到達目標】

島内には存在しない郷土図書資料館をアーティストのプロジェクト作品として制作。直島の歴史的資料を島内に残し、視覚的に魅力的なアーカイブを形成し、資料を活用し見せていく施設。県の行政主導ではなく、地域側から世界へ発信する活動としてのローカルアーカイブとしての資料館。島民との協働で出来上がる。島の教育委員会とも協働できる関係を築き、島の小学生が郷土資料を調べ、島民が新しい視点の島の掘り起こし企画展を楽しみに見にきて昔話に花を咲かし、未来を考える場。外からくる観光客が島の歴史にふれ、論文を書く学生にも活用される。
もちろん、主催する福武財団の内部としては、新しい現代美術の作品や美術館を持ち込み開発するだけではなく、島の歴史に寄り添い、島の歴史を残していく一つとして重要な”語れる”活動になるだろう。
結局、アートのオブジェや映えを目的としたお客が満足できる施設にもなりえることは挑戦するが、もし可能なら、学生は完全無料にしたり、企画展(1年の2-3ヶ月)以外は毎週土-月曜日開館で無料で入館できるセミパブリックのような存在にしたい。

【こぼれ話】

昭和37年11月、民俗学者宮本常一氏がはじめて直島を訪れた。当時の直島町長の三宅親連氏は彼を直島に招き、直島に「瀬戸内海博物館」を作りたいから一度島をみてほしいということだった。(「私の日本地図12」宮本常一著、35-36頁)その計画はどのように変更され消滅したかは定かではないが、三宅町長は、北部に三菱マテリアル、南部に観光開発を進める、今の直島の骨格を作り上げた人物だが、実現しなかった構想の中に「瀬戸内海博物館」という瀬戸内海の郷土博物館を直島に作るアイデアがあった。

この資料館は、時を超えて、瀬戸内「 」資料館へと接続するはず。直島の島民のものとして。「瀬戸内海博物館」構想の新しい形として、直島町にも受け入れられる存在になりたいと考えている。

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