表現が生まれる構造を木に例えて描いた(ある本を参考に自分の解釈で)。
表現されたアウトプットや作品を「花や実」に例えると、鑑賞者は普段「花や実」だけを見ているということになる。でも、「花や実」は木の先端の一部であり、それを深く理解するためには木全体を見る必要がある。この木全体はひとりの表現者の例えだ(芸術家はさまざまな表現者の中の一つ)。
まず、地上には目に見える存在があり、地下には目に見えないバックボーンがある。表現の根本でもある地下の「根」は、幼い頃からの経験や成長過程の興味や疑問などたくさんの方向に底力として表現を複雑化させて支える。普段の生活ではマイナスに感じている自分のコンプレックも地下の「根」として考えるとそれが深いほど表現の強さの一つの要素であることがわかる。その「根」を地上に持ち上げてたくさんの「葉や枝」や「花や実」をつける支柱となるのが「幹」。その「幹」は、発想力や技術力かもしれない。発想力と技術力はどちらかだけでは良い木が地上に伸びていくことはできない。(例えば、発想力が弱く技術力だけを強くつけていくと職人的になるかもしれない。やはり発想力や柔軟性がなければ色々な仕事に対応できない。)「根」を自分の日常や自分自身と向き合いインプットする場所だと考えると、逆に出会った人や他者からのコミュニケーションを通してインプットする力は「葉や枝」に例えられるのではないか。
普通、アートの塾というと”画塾”のように絵を上手くなるトレーニングを思い浮かべる。もちろん、デッサンや絵を描く行為から学べることは非常に多い。ただ、新美塾!では中高生(しまけんは小学生)を対象としているので、より新しい「根」を増やすこと、さらに”新しい美術の塾”という現代美術的な塾であるのなら一定のメディアを学ぶのではなく、横断的にメディアを扱える「幹」の部分の発想力や柔軟性を伸ばすことを重視しようと考えた。
「新美塾!記録集」より