制作における社会事象への反応とフィールドの変化

作品を作る時、新しいテーマに出会う時、自分自身の潜在的な興味が関係している部分が関係しているのは確かだろう。例えば、幼少期の考古学への興味や美大時代の民俗学の影響などなど。
ただ、さらに事件のように起こる社会的な事象や身の回りの出来事によって、環境やテーマは大きく変化してきた。ただし、僕の場合それが「東日本大震災があって福島をフィールド/テーマに」というふうに直接的に”ネタ”になるというよりは、その出来事を自分の日常内で受け止め、別の形へと変化させ、それが次へとつながっていった。それを少し書き留める。備考録。

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―2001年 米同時多発テロー

( 2001年大学卒業 )

2001年ー2005年
《日本の内側》
「戦争のかたち」=日本全国をバイクで旅しながら戦争の遺構を調査撮影、その延長で台湾や韓国へと。「日曜画家」「Re-Fort Project」

2006年ー2012年
《日本の外側 東アジア》
「torii」=日本の国境線の外側を旅しながら日本人によって作られた鳥居を調査撮影

―2011年 東日本大震災/福島ー

( 2012年結婚 )

2011年ー2013年
《自宅の近所》
「bridge」「ははのふた」=自分の日常の周りから、無名で小さな創造物を探す
「14歳と世界と境」=日本やアジアの中学生のインタビューで新聞連載を作る

2014年ー2019年(コロナまで)
《日本の境界線上 沖縄》
「津波石」「沖縄ガラス」=日本の内側と外側の後に、その境界線上の沖縄へ興味が移行する。

( 2018年娘生まれる )

― 2020年 コロナウィルスパンデミックー

2020年(コロナ禍)ー
《瀬戸内海の島》
「瀬戸内「 」資料館」=生まれ育った瀬戸内の島に移住して、旅をせず住みながら地域のアーカイブを作品として制作
「島の子供の研究室ーしまけん!」=毎週水曜日、島の小学生に表現の塾を行う
《仮想空間/オンライン》
「山下道ラジオ」=2020年3月から毎週水曜日に収録しyoutubeで放送中のラジオ。山下陽光氏と。
「新美塾!」=国立新美に関東の中高生むけの表現の塾を作る。半年間13人と向き合う。

2023年(コロナ後)ー
新たな制作活動へ

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2001年に大学卒業して間も無く、アメリカ同時多発テロ事件を目の当たりする。住んでいた東京の郊外で60年前に捨てられた戦争の過去の遺物に出会い、日本全国を旅して集める。「戦争のかたち」デビュー。

その10年後、2011年
東北で大地震と原発事故が起こり、住居を東京から愛知に引っ越し、そこで新しい家族の風景を撮り始める「ははのふた」。そして、沖縄の宮古島などで「津波石」に出会い撮影を始める。

そこから9年後、2020年、
コロナウィルス流行という世界同時に大変な状況に巻き込まれていき、その中で福岡に住む友人と毎週月曜オンライン接続して日常を話す「山下道ラジオ」。生まれ育った瀬戸内の島に移住し、その島の郷土図書資料館を作るプロジェクト「瀬戸内「」資料館」を行う。資料館内で毎週月曜木曜の「直島窯工部(島民の陶芸部)」を開始し、さらに島の子供に表現の塾「しまけん」(毎週水曜)をはじめ、国立新美で「新美塾!」(半年間の中高生向け表現の塾)に発展。それらの毎週月曜木曜日水曜日のルーティーンを今も続けている。

まぁその中で次の活動を始めるぞ!って、頭の整理でした。

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