批評/review

《 その先の眺め 》 服部浩之

皆既日食で薄暗くなった白昼の空に花火を打ち上げ、その風景を眺め、響き渡る音に聴き入ったのは2009年の夏だった。花火は北九州市和布刈(めかり)公園の高台にある砲台跡地から打ち上げられ、我々は関門海峡を挟んだ下関側の戦争遺構跡がある火の山公園の展望台で、ビデオカメラを手にその様子を眺めていた。震災が起こる以前だったが、少し不吉な暗さをもつ空に美しい花火が散る様を眺めるのは、かつてあった、そしてこれからも世界のどこかで起こるかもしれない戦争について想いを巡らせ、日常生活が何らかの要因で突然途絶えてしまう可能性があることを意識するには充分な経験だった。下道基行を中心に僕も含め5人のメンバーが主催した《Re-Fort PROJECT 5─太陽が隠れるとき、僕らの花火が打ちあがる》の概要を書き出すとこんなところだろう。あれから既に5年が経過していた。

戦後放置された軍事施設の廃墟を探し出し、その新しい使い方を話し合い考え、そして実際になんらかの方法で使ってみて、また何事もなかったように元の状態に戻す、というのがRe-Fortの一連の流れだ。

日本の海岸線には、戦争のためにつくられた建築が役目を終え、姿を変えつつもまだ多数残存している。これらの建築の多くは実際に戦闘で使用されたことはほとんどなく、外敵の侵入を防ぐための監視の場、あるいは抑止力として機能していた。外敵を見張るために遠くまで眺められる必要がある軍事施設は、常に見晴らしのよい場所に設置された。この戦争建築がそもそも本質的に備える特性に着目したのが、《Re-Fort PROJECT 6─海を眺める方法》だ。兵士に替わって画家が、武器を絵筆に持ち替え、海を眺めその先にみえる風景を描く。絵画は風景を記録する方法として重要なメディアである。
この作品では、鋭い観察眼を持って風景を眺め独自に解釈して出力する専門家としての画家が風景を描く様子を、さらにその後ろから私たち鑑賞者が眺める構造となっている。兵士たちは海の先に存在するかもしれない外敵を必死に探していたのだろうか。あるいはその美しい風景にときに目を奪われていたのだろうか。眺めるための場所で、その当時とは異なった目的で異なった方法で眺めている画家の背後では、ほんの少しかつて様子を想像することができるかもしれない。遠くを眺めるための望遠鏡も戦争のために発展し利用されたのではと想像してみたり、女子中高生が着るセーラー服が元々水兵の服であったことが思い出されたりすると、意外と私たちの生活と遠くない地点に、戦争は常にあるということが見えてくるだろう。
戦争をきっかけに、眺めるという行為の本質的な可能性を問う本作を前にし、私たちはその先に如何なる未来を描出することができるだろうか。

服部浩之(キュレーター)

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