豊田市美術館[図書館]、愛知
Toyota Municipal Museum of Art [Library] 、Aichi, Japan
2015-2016
シリーズ[ははのふた Mother’s Covers]
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photo by Keizo Kioku
シリーズ『14歳と凹と凸 /14 Years Old’s 凹 and 凸』
欠落を補うもの
妻の実家に住みはじめた下道が、テーブル上で展開されるささやかな風景を新鮮な驚きとともに記録した「ははのふた」と、豊田市内の4つの中学校で行ったワークショップで中学生たちが書いた文章「14歳と凹と凸」は、一つながりのものである。まず10月にライブラリーで「ははのふた」が、そして年を越して2月に、隣の小さなスペースで「14歳の凹と凸」が始まった。どちらにも共通するのは、日々の生活の中で、「なにかがない、けれどそれを補っているもの」を発見すること。欠落や喪失は、不満や悲しみの感情を伴うが、それは生きていれば不可避なことでもある。けれども、改めて世界を見渡すと、それを補う“なにか”があることに気づかされる。その“なにか”は、コップやポットを覆う多様な蓋だったり、ハンカチにも使われる服だったり、兄弟代わりの猫だったりする。それは、親しみや温かさ、コンプレックスや淋しさ、滑稽やおかしみといった感情を孕みながら、日常の中のささやかな愛おしみを垣間見せる。
下道は、中学校の特別授業で「ははのふた」の写真を見せた後、生徒たちに「なにかがない、けれども別のもので補っている」風景や事柄を、見つけてもらうようお願いした。中学生たちは、学校や通学路、家の中、そして友達との関係や自らの心の内に、いつもとは違う眼差しでそれを探した。飾り立てしない中学生の言葉からは、ちょうど子どもから大人への移行期にある彼らの感情や現実がみえてくる。画一化された教室や制服、整然と並んだ机をみると、確かに学校は社会の秩序を子どもたちに植え付ける装置なのかもしれないと思えてくる。しかしそこで過ごす中学生たちの心の内には、豊かで多様な差異がある。取り立てて大きな出来事が語られるわけではないが、彼らのなにげない気づきや観察、また同調圧力を超える感情の発露からは、かつて確かに同じ時期を過ごした大人を微笑ませ、またドキリとさせる力がある。そんなふうに、「14歳と凹と凸」、そして「ははのふた」は、観る者に日常の些細な、けれど豊かな風景を思い描かせて、日常の微細な襞にまだまだ未知の発見が隠れていることに気づかせるのである。
能勢陽子(豊田市美術館学芸員)