[ RIDER HOUSE ]


2005


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RIDER HOUSE
ライダーハウス/北海道オリジナルの旅小屋
写真・文/下道基行
2005年[spectator]掲載


あれは2004年の春、過去に本誌で連載していた「戦争の遺構」の撮影のために北海道を1人バイクで旅している途中の出来事だった。
「相席いいですか?」
阿寒湖から少し行った国道沿いにあるそば屋で食事をしていると、30代前半の男性に声をかけられた。
バイクのヘルメットを片手に少し日に焼けた顔の彼は、何年間か勤めた会社を辞め、趣味のルアーフィッシングを楽しみながら、2ヶ月以上も1人で旅をしているのだという。
バイクの旅の道中は1人で過ごす時間が圧倒的に長く、そのため食事や宿泊も1人で済ませることが多くなる。そんな孤独な旅人どうしが偶然どこかで出会うと、お互いの近況や旅の情報を交換し合うことになる。久しぶりに話をする相手も見つけた歓びからか、彼は過去に釣り上げた自慢の魚の写真をテーブルいっぱいに広げ、過去に自分が体験した旅のエピソードについて楽しそうに話した。僕は、同じ北海道のなかで、全く違う目的を持って旅する彼の話に興味を持ち聞き入った。
やがて、旅先の宿についての話題がおよぶと、長旅を続けていくうえで便利な施設のひとつとして北海道特有の「ライダーハウス」について説明をしてくれた。
ライダーハウスとは、文字通り「バイク乗りのための家」のこと。北海道を旅したことのある人なら、ライダー歓迎などと書かれた看板や奇妙なかたちの小屋を見たことがあるかもしれない。しかし、その実体を知る人は少ないのではないか。
ちなみに僕も、初めて北海道を訪れた前回の旅で、道路沿いに建つ何軒かのライダーハウスを目にしたことはあったが、宿泊した経験は一度もない。バイクを「機動力があり安価な足」としてしか考えていない僕にとって、お世辞にも綺麗とは言えない外観で、敷居の高さを感じるライダーハウスに宿泊することは少々勇気のいることで、なんとなく通り過ぎていたのだ。
北海道をバイクで旅しているにも関わらず僕がライダーハウスを利用したことがないことに彼はとても驚き、その役割やシステムについて熱っぽく話し始めた。
ライダーハウスは、バイク乗りだけではなく、徒歩や自転車で旅を続けている人も利用することができる「旅人のための簡易宿泊施設」の呼び名である。無料もしくは無料に近い金額で宿泊できることから、長期に渡って北海道を旅してまわりたいと考えている旅行者からは重宝がられ、その数は北海道内だけで100軒を超えるという。
食事の会計を済ませると、彼は今連泊をしているというライダーハウスを僕のマップに印を付けてくれた。僕は彼がいることの安心感もあって、その夜ライダーハウスを訪ねてみることにした。

●遭遇・初体験
屈斜路湖畔に建つ「みどりや」は、おみやげもの屋の一階部分を改装したライダーハウスだった。
半分まで閉じられたシャッターをくぐると、かつて店舗として利用されていた室内は、すべてが取り払われた土間の上に20畳ほどの床がベニヤ板で底上げされる。部屋の中には、緑色のマットとテーブルそして裸電球以外は何もなく、隅にそば屋で出会った彼のであろう寝袋が一式だけ広げられていた。
2階に住む管理人(※1)のおばちゃんに宿泊料の700円を手渡すと、共同のキッチンや近くにある温泉の話など、一通りの施設の説明を受けた。無料も多いという話を聞いていたので、一泊700円と言う値段が高く感じられた。
しかし実際に泊まってみると、徒歩数分の場所にある湖畔にせり出すように作られた無料混浴天然露天温泉は大自然を体感できる絶対に旅館の風呂が勝てるような代物ではなかったし、上に住む管理人のおばちゃんは「作りすぎたから」なんて夕飯や朝飯を持ってきてくれる。
「ライダーハウスは、地元の人の厚意で運営されていることが多い。数百円取るところもあるがそれは電気水道代などの設備・運営費として最低限のモノだ」と、そば屋で出会った彼が夜話してくれた。

ここがとても安価な旅人宿だということは分かったが、「本当に厚意だけなのか?」「なぜ無料で運営できてるのか?」「なぜ北海道で誕生し根付き、どのような歴史を辿ってきたのか?」など詳しい知識を、彼は具体的に持ち合わせていなかった。
僕はこの日本の北端の町で出会ったこの小さな旅文化について、利用しながらもっと深く探ってみたいって思った。

●「カニからハチへ」(ライダーハウスの起源とは?)
国内旅行は1970年代に、大きく変化する。その発端は、国鉄によって行われた「DISCOVER JAPAN(日本再発見)」キャンペーン(※2)だ。背景には大阪万博(70年)や高度経済成長により、マイカーの普及や国内航空路線の充実によって旅行客を奪われた国鉄の集客の思惑があった。さらに、創刊からのファッション要素に加え旅の要素を大きく取り入れた、雑誌「アンアン」「ノンノ」などの影響も大きく、若者達の国内旅行ブームが社会現象となった。その中、若者達が電車でバックパックを下げ横歩きしている姿は、北海道を中心に「カニ族」などと呼ばれた。(※3)
1980年代に入ると、今度はバイクブームが始まる。1978年に世界の耐久レースシリーズを意識して「第1回鈴鹿8時間耐久レース」が開催され、国内のバイクレースも飛躍的に発展し、バイク産業の激しい競い合いは「HY(ホンダ・ヤマハ)戦争」とまで言われた。さらに、バイクレースを扱った漫画「バリバリ伝説(※4)」(83年)や映画「汚れた英雄(※5)」(82年)など多くのメディアも取り上げ、ブームはさらに加速した。
しかし 、 80年代のバイクブームは都市部での暴走族の最盛期として大きく取り上げられる傍ら、国内旅行文化として70年代と比べ語られることは少なく、「ライダーハウス」についての文献もほとんど皆無に近い。

ライダーハウスの成り立ちとして、 北海道で旅する者の間で語り継がれるエピソードがある。それは 「かつて、雨に降られた旅人が困っているのを見た地元の人が、家の納屋を貸したのが始まり」という話だ。
実際に、 道内でも老舗のライダーハウス「白鳥の宿」(室蘭)は、80年代前半に駅の軒下などに寝袋だけで寝ていた旅人が多くて商店街の青年部が町の空き物件を改装し旅人に開放したらしく、 バイクブーム当時に誕生したライダーハウスの多くは、若い貧乏旅行者への厚意からは始まっていたのだ確かなようだ。この時代、北海道へはかなりのライダーがツーリングに訪れ、ライダーハウスが誕生し口コミで次々と増えていった。以前までの「カニ族」が形を変え、北海道を襲来したライダーたちはブンブンというエンジン音から地元の人に「みつばち族」「ハチ族」などと呼ばれ、現在でも「みつばち村」「ハチの家」などライダーハウスの名前にその名残を見ることができる。その頃のライダーハウスは「雨風が防げる小屋」といった極シンプルなものだったようだ。


●「電車の宿」(ライダーハウスの種類 )
苫小牧から少し東南へ行った門別からさらに内陸へ30キロほど山道を登ると、振内という集落にたどり着く。見過ごしてしまいそうなこの小さな町に、僕のお気に入りのライダーハウス「すずらん号」がある。
1987年の国鉄民営化にともない、この町で生活の足として利用されていた富内線は全国の他の赤字路線同様に廃止された。奇しくもその時期はちょうどバイクブームと重なり、駅舎の跡地はこの町を鉄道が走っていた記念にと鉄道記念館が建てられ、さらに国からいただいた2台客車は、そのままプラットホーム跡に横付けされライダーハウスへと転用された。
ライダーハウスとなった客車内部は、網棚やトイレや天井の扇風機などは元の機能のままで利用しながら、椅子は大半が取り外されフラットな自由空間に作り替えるなど、想像以上に仕組みが面白く、使い勝手も良い。料金は580円で有料だがシャワーがあるのもうれしい。 ハイシーズンの雨の日には、床一面に寝袋がしかれ泊まるスペースが無いくらいの人気だ。

僕が実際に訪れたことのあるライダーハウスの数は30軒程度、おそらく総数となると100軒を超えるだろう。
現在ライダーハウスと名の付く仮設泊施設の料金は0円〜1000円とばらつきがあるが、これは各ライダーハウスの運営のスタイルの違いからである。
例えば「元祖ライダーハウス」とも言える、商店街の空きテナントを利用したものや、空いた土地に町が小屋を建てたものは、無料または光熱費や施設費として数百円程度を払う非営利的なタイプだ。他には、定食屋で食事したり買い物をしたら店舗の2階に泊まって良いタイプや、バイクや旅好きのオーナーがやっている民宿に近いタイプなど、運営者の多少の利益も関係している半営利タイプも多く。さらにはライダーハウスの看板を掲げつつ運営者が厚意のふりをして飲食をさせ、お金を請求するという話しも旅人から聞いた。
運営のスタイルは多様化し、暖房やシャワーなどの設備も充実した場所も増え、単に「親切心で運営されている質素な小屋」だけでもないようだ。

● 「沈没者の発生」(ライダーハウスの問題点)
「うちでは平成元年にサイクリングロードの休憩所としてはじめて以来、管理は地元の老人の方に任せていまして、いろいろと交流がありました。宿泊者ノートにもたくさんの思い出が描き込まれていて、管理人との交流を求めてくるリピーターさんもいたようです。昨年閉鎖になってしまったのは単純に町として維持していくのが難しくなったためです。本当にライダーさんには大切に利用されていたのですが・・・」( 「富野休憩所」※去年閉鎖)
取材を続けるなかで、「自分たちの土地で、いい思い出をつくってもらいたい」という住民の気持ちがライダーハウスを支えることを直に感じた。しかし、90年代以降のライダー数の減少と近年の不況を理由に、閉鎖するライダーハウスは少なくない。
ライダーハウス内に置かれた宿泊ノートの旅人達のコメントを見ると、旅の思い出や落書きの他に「管理をされている方、ご苦労さまです。一泊させていただきました」などという感謝の気持ちも多く書き込まれている。さらに「昨日泊まった○○って言うライダーハウスは最悪だった。布団はないし、汚いし・・。みんな行かない方がいいぞ。」などという描き込みにはわざわざ矢印がされ、他の旅人によって「ライダーハウスはおまえみたいなヤツが泊まるところではない!おまえみたいな奴は金を払ってホテルでもとまれ!屋根があるところを提供してくれただけでも感謝しろ!」などと書かれているなど、想像以上に旅人達も減少していくライダーハウスへの危機感を持っていて、「何とかここを残していきたい!」という気持ちは強く根付いているようだ。
さらに一方では「町に足を止めて欲しい」という気持ちが仇となってか、住み心地が最いいライダーハウスは沈没者(長期滞在者)の住処になっているところもある。ライダーハウス利用者の中でこの沈没者達は「主(ぬし)」と呼ばれ、長期連泊するだけならまだしも、ひどい場合は他の旅人を寄せ付けないくらいにライダーハウスを私物化し問題になることもある。さらには、そんな「主」への苦情から、連泊を禁止したり有料化に踏み切るケースもあるというのだ。
今でも営利目的ではないライダーハウスは、駐在の管理人を雇われているわけでもなく、スペースや貴重品など管理で旅人に委ねられている部分も多い。それはある種の適当さで、地元の人々が旅人を信頼しながら運営してきたライダーハウスの特性だろう。そして旅人もそれを知って自分たちでルールを伝え合って来たのだ。
しかし、一部のマナーを守れない旅人によってこのバランスは崩れ、せっかく地元の人の厚意で開設されたスペースが、有料化され管理人を常駐させるようになり、多くの規則が決められるようになると、今までライダーハウスの姿は失われていくのではないだろうか。

●「新しいライダーハウス」
ライダーハウスを旅していく中で、ニュータイプのライダーハウスの噂を耳にした。
場所はなんと九州の阿蘇。4年前にオープンしそれ以来1日も客が途切れることなく大盛況だいう。実際に訪ねてみると、バイクで日本1周を果たしたここのオーナーはまだ20代後半と若く。旅行で経験したこと特にライダーハウスでの体験を元に、「九州のちょうど中心に旅の拠点になるようなライダーハウスをつくりたい」と、旅でとても気に入った阿蘇の鄙びた小さな温泉地を選び運営していた。しかしライダーハウスを全く知らない町の人の「バイク=不良」と言うイメージを払拭し、説得するのにはかなり時間がかかったそうだ。
そして、地元の町と共に生きるライダーハウスを模索しつくりあげていくなかで、独特のルールが誕生した。
まず初めてそこを訪れると、いろいろと描き込まれた手作りの町のマップが1人1人に渡され、オーナーから直々に10分程度の説明を受ける。(初めて利用する人だけ)
例えば、騒音などで町の人に迷惑にならないように無料で貸し出してる自転車。光熱費や設備の維持費として1泊1000円で、連泊していくごとに100円ずつ安くなる料金システム。コンビ二もあるがこの町にはたくさん他にもいい店があり、是非利用して欲しいとつくられたマップや情報。ライダーハウス内には風呂がないが町の中には安くてとてもいい共同浴場(町湯)がたくさんあることと注意。小さなライダーハウスでよく問題になるが、宴会の音がうるさくて他の人が寝れないなどのトラブルを避けるために、飲食談話は談話室、寝室(女性用部屋もある)は寝るだけのスペースと完全にわけてあることなど。
それらは別に窮屈なものではなくて、町との共生や それは北海道と同様にライダーハウスを維持していくために重要なことで、実際に彼が 旅(ライダーハウス)の経験を元によく考慮してつくられた最低限のルールだった。北海道ではライダー同士が暗黙の了解というか見えないルールを伝えていく環境が時間をかけ整っているが、ここにはいろいろな旅人がやってくる。だから管理人が率先してルールを伝えているにすぎないのかもしれない。
常に日本全国から旅人が集まり、週末にはさらに九州全土から休日に旅の気分を味わいにやってくるリピーターも多い。地元の若者も集まってくるし、次の旅へ資金をためながら住み着いている旅人もいる。町をレンタサイクルで走っている時や共同浴場にいる時などに触れる、町の人の友好的な態度からもこのライダーハウスがすでに町にとけ込み共生していることを十分に伺える。
独自のルールは旅人を縛る窮屈さは全くなかったし、地元とのコミュニケーションをとりながら運営されていく姿は、もしかすると時代とともに形を変え残っていく新しいライダーハウスのスタイルなのかもしれない。



ライダーハウス原点は、「雨風を防ぐだけの何もない小屋」である。
地元の人の厚意で開いたスペースに作られたライダーハウスは、旅人達の宿や情報交換の場所、さらにはライダーハウスや旅のルールや感謝の気持ちを確認し合う場所として、20年以上もの間残ってきた。
ここでは旅行者と宿との間に「お金とサービス」の交換ではなく、「感謝と厚意」という目には見えない人間関係が双方を繋ぎバランスを取っているのである。

数年前、話し相手の誰もいない静かなユースホステルで、色あせた70年代の宿泊ノートを見つけた。そこには、旅の情報そして人との出会い騒いだ様子、さらには人との出会いがなかった者達が書いた「よかったら誰か手紙を下さい」「ペンパル募集」といった出会いへの欲求などが沢山書き込まれ、その時代の若者達が新しい出会いや経験を求め、国内を彷徨った熱い空気が充満していた。
僕は暇つぶしに何冊も読み進めていくなかで、過去の幻影を追い廃墟を探検するかのような錯覚に陥った。若者たちの国内旅行ブームは遠い過去の物となり、数十年で旅の感覚は大きく変わってしまったのだ。

今や、世界中の情報が目の前に溢れ、人とので合いも出会いは自宅で簡単にできてしまう(錯覚の)なかで、旅への感覚が変わらない方がおかしい。旅の中でも様々サービスが溢れ、お金と携帯電話さえあれば、他人との会話がほとんど無くても旅は成立してしまう。
旅は知らないモノを見つける冒険ではなくなり、また帰るであろう個人的日常を一瞬忘れさせてくれるご褒美に過ぎず、旅の中にこそ贅沢を求めてはいないだろうか。

都市部だけでなく、旅行者の中にも、過剰な個人主義の中で公共意識は薄れ、人間関係が希薄になっている。それは、独自のルールを持つ九州の例や「主」などの出現など、ライダーハウスへも少なからず影響をあたえているのではないだろうか。
しかし、ライダーハウスが全滅する事なく残っているのは、旅人と地元の人々との気持ちの交換が今でも成り立っているからだ。
今後も、一見何もないこの宿泊施設は、ここが人との出合いや発見が溢れる貴重な旅の拠点であることを知る人々によってしっかりと残っていくことだろう。

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(※1)管理人…ライダーハウスで旅人から宿泊費を集金したりや掃除などの仕事をする人。運営する人(オーナー)と管理人が違う場合が多く、ここでは「管理人」と統一する。

(※2)ディスカバージャパン…新企画「いい日旅立ち」がはじまるまで6年間も続いたキャンペーン。アメリカの農商務省が行った「ディスカバー・アメリ」を参考にしたらしい。

(※3)帯広市が運営する人気のライダーハウス「大正カニの家」は、その名の通り元々かに族のために作られた簡易宿泊施設がライダーハウスに変化したもので、ライダーハウスの原型と言える珍しい例だ。

(※4)通称「バリ伝」。1983年から8年間、で連載された、漫画「頭文字D」著者しげの秀一の本格的デビュー作。同時期の週刊少年「マガジン」にはもう一つバイクを扱った人気連載「あいつとララバイ」もあった。 

(※5)草刈正雄・木の実ナナ主演、角川春樹監督のハードボイルド・バイクレーサー・アクション映画。

《参考資料》
・『TUORING MAPPLE 北海道』(昭文社)
ライダーが使いやすいように計算され作られているライダー御用達のマップ。スタッフが実際に取材して得た、いろいろな情報書き込まれていて非常に便利だ。

・『0円マップGO!GO!北海道』三栄書房
ライダーハウスやキャンプ場など安く北海道を旅する情報が多く掲載されたガイドブック。利用しやすいが、お土産物や食事の店情報は広告的な部分もあるのだろう、あまり当てにならない。

・『振り返れば地平線』(佐々木譲著)集英社文庫
旧友との約束の地「開陽台」を目指す北海道ライダーを描いた小説。82年に出版された当時のバイクブーム時代の雰囲気を伝える貴重な資料と言える。

・『旅行ノススメ』(白幡洋三郎著)中公新書
・『anan』(no.1〜74)

《注意事項》
・布団がある場所もありますが、基本的には寝袋持参。ロッカーなどはないので、貴重品の自己管理。
・他人との共有スペースです。当たり前のことですが、他人への思いやりを持って行動すること。
・ライダーハウスを管理されている方への感謝を忘れないこと。出ていく際は、軽く掃除、整頓しましょう。
・道内には素晴らしい無料のキャンプ場も多いので、晴れた日はキャンプもおすすめ。

※記事内の「白鳥の宿」は閉鎖してしまいました。(2015年更新)