「torii」展によせて

 下道基行は岡山市で生まれ育った。家の裏山には操山古墳群があり、幼少期にはそれらを探検し、地図などを作ることに熱中したという。同古墳群には古墳時代前〜中期の前方後円墳などがあり、いくつかは石室が露呈していたらしいが、多くの名もなき後期の円墳などは、草木に埋もれていたのだろう。それらを探し巡った経験は、下道の作品に少なからぬ影響を与えているものと思われる。
 大学では油彩画を学んだが、大文字の美術史に従って制作することに、最後までなじめなかったという。2001年に卒業後、東京でアルバイト生活をはじめたころ、偶然近所で太平洋戦争の痕跡を残す建物に出会い、それがまもなく取り壊されたことに衝撃を受け、戦争遺構を探し写真に収めることをはじめた。当初は作品にしようとは考えていなかったというが、掩体壕(えんたいごう=航空機などの格納庫)やトーチカなどを巡る旅を繰り返すうちに、撮りためた写真を発表したいと思ったらしい。
 これらの下道の代表作となる「戦争のかたち」シリーズの初出は、2003年の武蔵野美術大学の教室における展示である。さらに同年の雑誌への写真掲載によって、下道の作品は脚光を浴びはじめる。
 2005年には終戦後60年というタイミングもあり、「戦争のかたち」は、INAXギャラリー2における個展の開催および写真集の刊行によって広く知られることとなった。これが実質的に下道の作家デビューといえるだろう。
 当時の下道が影響を受けた作家として、都築響一、ポール・ヴィリリオ、ベッヒャー派などがあげられる。都築からは日常の編集行為が作品となりうること、ヴィリリオからは戦争遺構の解釈の多様性を、ベッヒャー派からは、現代美術としての写真表現などを学んだといえる。
 「戦争のかたち」は多方面より注目されたが、ほぼ平行して、別の作品の制作もはじめられている。その一つが本展の「torii」シリーズである。
 かつて日本の占領、併合、植民地としたアジア、太平洋地域には、千を優に超える神社が建立されたという。戦後その多くは失われたが、いくつかの鳥居はほぼ完全なかたちで、あるいは姿を変えて残っている。下道はそれらを2006年より6年間かけて撮影した。
 「戦争のかたち」「torii」の両者とも、その被写体は、誰のものでもない、所有者を失った存在である。国内の戦争遺構は、かつて存在した日本軍という組織の管理下にあっただろう。国外の鳥居は、その地の日本人社会の共有物であっただろう。いずれも失われたのはそこに写されたモノではなく、その所有者すなわち軍隊や日本人社会という運命共同体である。下道の作品の多くは、この失われた運命共同体というべきものを、その断絶と不在によって明らかにするものである。
 コンセプトは共通しながらも、「torii」は被写体が固の宗教的、社会的シンボルであること、国外という場であることなどにより、その断絶と不在が際立っているといえよう。
 2004年より行なわれている下道のプロジェクト「Re-Fort」シリーズも、所有者の不明な戦争遺構を、スクウォッティングする活動からはじまったという。さらにいえば、幼少期に関心を持った古墳も、その土地の所有者はあっても、墳墓の継承者—所有者は存在しない。われわれにとって、1500年以上の歳月を経た古墳は、まさに無縁な存在に写るのに比して、戦争遺構や鳥居は、失われた共同体の温度を未だに生々しく残している。
 下道の作品すべてが、失われた運命共同体をテーマにするものではもちろんない。下道の祖父の描いた絵画を追った「日曜画家」シリーズは、祖父にまつわるささやかではあるが生きた共同体を追う試みである。
 また、ここでは多くは述べえないが、近年の実験的な試みのいくつかは、未だに実体化されない、不可視な共同体を模索するプロジェクトとも考えられよう。

後々田寿徳(梅香堂主)