下道基行―時間の層の積重ね


 下道の作品はいわば、風景の向こう側にある物語にそっと気づかせてくれるものだ。新作《津波石》(2015-)は《torii》(2006-)の延長線上にあり、本展覧会にて、はじめて本格的に紹介する映像作品である。下道にとって新たな領域への挑戦となった本作について筆者ながらの“気づき”を述べたい。
下道は沖縄県・石垣-八重山諸島にある、津波によって海底より運ばれ陸地に漂着した岩、津波石を撮影調査した。このプロジェクトを着想したきっかけとして、彼は東日本大震災(2011)で大津波により内陸にまで打ち上げられた船の存在を知ったことを挙げる。船の多くが震災遺構として保存される事なく解体されていったという。
日本統治時代、台湾に建てられた鳥居は戦後まもなく横倒しにされ神社跡地にできた公園内に負の遺産として残されたのだが、現在はベンチとなり人々が宿木にとまる鳥のように座っている。このように遺構は、年月を経ていくなかでそこに生活する人々の手により新しい価値や機能を与えられ、新たな風景を創り出している。
もし船が残されていたならば、鳥居のように価値や意味を変えながらも震災の記憶を未来へ繋いでいっただろうか。このような問いを抱きつつあった矢先に下道は、どんな遺構よりも古い時代から存在する津波石と出会った。
石のなかには数千年前の津波により打ち上げられたものもあるそうだ。悠遠の太古から地球の生命活動によって繰り返し起きてきた自然現象、津波。圧倒的な自然を前に、生物はどのように向き合ってきたのだろうか。例えば、宮古列島のひとつ下地島にある津波石は八重山地震(1771)で起きた30メートルを優に超える津波により打ち上げられたと伝えられる。帯岩とも呼ばれ、津波にまつわる教訓として市の史跡となっている他、近年では民間信仰の神体として崇められている。また、下地島の隣島、伊良部島の津波石はアジサシという渡り鳥の繁殖地となっている。このように、ヒトや動物は自然と共存しながらそこにさまざまな価値や意味を見出してきたのである。その手繰り切れない時の長さに思いを馳せると、静かに佇む岩に崇高を感じざるを得ない。
下道は、多くの尊い命を奪った東日本大震災に対しての向き合い方を考えながら、悠久の時のなかで渚へと流れ着いた津波石と出会ったことを契機に、《torii》のように近代という一つの時代をフォーカスするのではなく、より大きな枠組みのなかで風景を捉えようとしたのだろう。そのような尺度の変化が本作に表れている。
本作は定点観測された岩をループ再生するモノクロの映像作品である。《torii》は戦前に起きた出来事が現在どのような形で残っているのかを記録したカラー写真であり、カラーであることによって眼前に起こる一瞬を留めている感覚が強く表れている。これに対して《津波石》はモノクロであるため、一体いつの時代に撮られたものなのか定かではない感覚に陥る。同時に映し出されている人や鳥は絶えず動き続けているのだが、岩は一瞥するとモノクロの静止画像のように見える。何百年前、あるいは何千年前に動いてきて以来そこに存在する津波石と、短い命を紡いでいる生物との時の流れの違いが表れているだろう。ヒト、動物、自然。長さや速さの異なる時間の層が重なり合うことにより多様な価値や意味が絶えず生み出されてきたことを、下道が切り取った風景は静かに語り掛けている。

尾形絵里子 (高松市美術館 学芸員)

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