批評/review

《 写真展『戦争のかたち』INAXギャラリー 》 入澤ユカ

 ある日掩体壕や滑走路、トーチカなど、戦後まもなく生まれの私でさえほとんど見たこともない構築物ばかりを写したファイルを持って、若い作家がやってきた。紙焼写真に写っていた
ものは、道路を跨ぐように建設された弓形の曲線の奇妙なかたちの開口部をもったものや、海辺の突端に置き去りにされたような、窓のない四角な箱のようなものなどがいくつもあった。日本が第二次世界大戦に敗れて、そのまま放置された「戦争のかたち」だった。
下道基行は4年ほど前アルバイトの途中で、2階建ての廃墟に遭遇した。壁には弾丸が打ち込まれた無数の傷が残り、説明看板には太平洋戦争の折、敵戦闘機が打ち込んだ機銃の弾のあとだと書かれてあったと言う。まもなく様々な資料を手がかりに、その不思議なかたちを探し歩き始めた。戦争の遺物を探しながら、見つかるたびにきっとUFO基地か宇宙基地のような未来感に包まれていたのではないだろうか。対象物への傾倒は、劇画やアニメや圧倒的な映像に囲まれて育った、青年から大人になりたての下道基行の年齢でなければ起こりえなかった。彼の世代にとって、60余年前の戦争は、映像や書物の中にしかない。廃墟も戦争の構築物も、いま囲まれている都市の皮膜のつるつるぴかぴかしたものと対極にあるからこそ下道基行の目にとまった。
長い間私たちの父母や祖父母が語り伝えてきたのは、身近な日常をいきる些事や喪失ばかりで、戦争が残した遺物は、見えていても見えなかった。修羅のような日々では、これらは忘れたい装置だった。
今夏が戦後60年目だ。毎日のようにどこかの国とのあいだで、敗戦のぎこちない対応や処理が尾をひいているらしいとニュースが流れる。それらの画像に下道基行の写真を二重写しにしてみる。偵察のためのコンクリートの小さな箱のような建物や、飛行機を格納し飛び立っていく不可思議な開口部をもった構造物を、突貫工事でつくっている何千人もの人々の火の玉のようになって働く姿が見えてくる。槌音や掛け声、罵声や祈りも聞こえてくる。
長年にわたる放置ですっぽりと緑に覆われて輪郭のかたちさえ定かではなくなった掩体壕や砲台は古墳の面差しをしはじめている。都市に近い砲台の一部は、公園の遊具に溶け込んでいたり、民家と隣り合わせ、倉庫や仕事場に利用されているものもある。「国敗れてトーチカあり」「砲台やつわものどもが夢の跡」と、人口に膾炙したフレーズに紛れこませてみると、戦争とはコンクリートや鉄や木材やアスファルトを蕩尽し、そこここに奇妙な建造物を置き去りにするものでもあったことを知る。日本というオープンエアにたつミニマルアート、抽象彫刻に見えなくもない。これらの装置がふってわいたように建つどの場所も、どことも知れない非現実的な場所に見えてくる。どこも無音で、かげろうがたちのぼっているように揺らめいている。若い下道基行に掴み取らせこの光景が、深く眼裏に刻まれる。

INAXギャラリーチーフディレクター 入澤ユカ

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