民藝ではなく民具

”用”に興味がある。
”日常的な道具”や”使うという行為”に興味がある。
近年巷では”民藝”がもてはやされているが、多分、”民藝”であるなら”民具”への興味に近い。
その時点で、僕の出発地点は、美術からほど遠い。
”民藝”は価値づけされると高価になり床の間に飾り、作り手は結局”作家/アーティスト”になっていく。”民具”はより名も無き職人により作られ、安価で購入できて常に身近な生活の中にある。しかし、"民具"の作り手もまた、時代とともに伝統工芸師のように保護され箔が付く。
さらにその先には、千利休のように朝鮮のただの日常雑器に新たな価値を与えるような転がし方もあるかもしれないが、やはりこの場合も、どうしても日常的な物の価値を転がすとそれはどうしても権威的な存在になってしまう。ま、権威的でも結構なのだが。
そう考えると、僕の興味は、さらにその権威的な存在がさらに転んで日常に転がり落ちる瞬間、ということかもしれない。生々しい創造性は、作家の手の中にあるのではなく、生活の中にあるのではないかと考えている。