【勝手にyoutube動画書き起こし】

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NHKスペシャル
「2000年への対話 第1回 日本人はいまどこにいるか 井庭 崇×宮崎 駿」


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井庭崇:
(アニメーションの「美術担当(背景画担当)の才能」について質問)

宮崎 駿:
例えば、美しい夕焼けを描く、なんていう時に。
(記憶の中に)自分がどんな夕焼けを持っているかによって決まるんです。
それは本当に面白いですけど。
持っていない人間はどっかのアニメーションのような夕焼け描くんですよ。あるいは、テレビで見たような夕焼けを描くんですけど。自分が郷里で育って、郷里で何度もその夕焼けをみてきた人間ってのは、特有の夕焼けを持っているんですね。
(略)
経験の違いではなくて、才能ですね。笑
だからその、どういう形であれ、風土性を持っている人が美術(背景画担当)になるべきだと思っているのですね。風土性を持っていれば、何らかの形で世界に対する手がかりになるんですよ。だから一番ダメなのは、多分、アニメーションが好きでずっとアニメーションの美術に憧れて、アニメーションの映画ばかりをずっとみてきた人が、一番学んでいないんだと思うんですよ。


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僕自身が背景画担当とかには興味はないんだけど。
どんな創造性のある仕事においても、こういう、過去の記憶のストックをどのように蓄積されていて、どのように引き出せるか、が、重要なポイントだと思う。
そう言うと。「学生の時に、たくさん作品を見ました。それも記憶のストックです!」と主張する人もあるだろうし、それもそうなんだけど。大人になって学ぶのはロジックとかが多くて。
作品とかと出会う以前の幼い頃の記憶や出会い。そういうもの影響力の巨大さを感じることがある。


と、
ここまで書いて、ふと思ったのは。
だから、
瀬戸内の島へ移住しようと思ったのだな。と言う確信というか。
僕の娘は2歳になるのだけど。
彼女が大人になったらほぼ忘れてしまうだろうこの今の数年に、どんな環境でどんな出会いや体験をできるのだろうか、と最近考え続けていた。その時間はどんどん過ぎ去っていく。そして、それは、住んでいた都市部への疑問になっていた。
愛知では、保育園へ行っても、他の子供や家族との繋がりはほぼない(それちがいに挨拶しても、それ以上踏み込むなオーラをみんな持っている)、保育園の後に、車が多いので遊ばせる場所も公園だけになるし、公園でも挨拶すらしない人々(挨拶程度で、それ以上踏み込むなオーラをみんな持っている)、家族や親しい友人家族以外ほぼ会話がない環境、路上も遊ぶには危ないし、自然のような場所も車で行かないとない。

一年前に直島へ滞在した時に、近所の子供達が年齢や性別を超えて元気に遊びまわる光景や、夜になると秋祭りの太鼓の練習が聞こえてきたり、海が近くて小さな森もあって、車のこない路地がたくさんあって、小さな島だけど、多分彼女には十分すぎる大きさだろうし、こういう環境の方が。まず、彼女が小学校に上がるまでは、本気でこういう環境へ移ってみても良いのでは、と思った。そしてすぐに家や仕事の事も考えると、色々な条件が「今の僕らの家族に」ぴったりだった。(「アートの島」にアーティストが住む必要はないかもしれないし。多分、直島へ住むことは全ての人々にすすめられることではないかもしれないし。「今の僕らの家族に」ぴったりだった、だけで、もっと田舎の可能性だってあっただろうし。これも偶然の出会い。)

直島へ移住して3ヶ月。
最近、娘は上手に挨拶をするようになって、ご近所さんにめちゃくちゃ可愛がってもらっている。
全力で「可愛いねぇ」と言ってもらって、たまにプレゼントとかももらってくる。
保育園の後も、校庭や公園で色々な子供達と遊んでいるし、日が暮れるまで外で遊びたがる。
公園に行こうと散歩に出ると、路地にしゃがみこんで昆虫や植物をじっと眺めて動かないくて、目的地であった公園にいく必要がなくなってくる。
もちろん、家ではyoutubeとかをみているけど。

ま、直島は僕自身の仕事へのチャレンジでもあり、家族のチャレンジでもある。
ま、そういう事を再認識した。