旅で思っている事/[Re-Fort PROJECT]トークで考えた事

山口を出て、10時間、走りっぱなし、夜になった。
兵庫県加古川。
プレッシャーとストレスと問題を積んだまま、考えっぱなし。
HONDAのCT110は、バッテリーが6Vだから、ヘッドライトが薄暗い。
前を走るワゴンのナンバーがやけにぞろ目が多い。治安が悪いのかと考える。
突然、バイクはブルンルッ…と遺言。動かなくなる。キックしてもウンスン。足が痛い。
初めての街で途方に暮れる。
バイクを押しながら彷徨う。
閉店後のバイク屋にバイクを残し、終電で宝塚の実家まで帰る。
バイク修理、修理代、また兵庫まで行くこと…、またいろいろと問題が増えた。

昨晩、青森で服部くんとトークを行った。
コレは、3月αM Galleryで行う予定だった[Re-Fort PROJECT]トーク。震災で中止になったもの、
リベンジ企画/中崎的にいうとパラレル企画。
ハッピーなトークではないのは分かっていたし、少し覚悟を持って行う。
1ヶ月近い旅の時間の中で、まとまりはじめていて、話せる時というか、向き合える時は、きているのかもしれない。
ちなみに、コレまで、[Re-Fort PROJECT5]DVDは、秋田、東京、岡山、山口で上映を行い、見にきてくれた人と会話を行ってきた。実は覚悟のいる作業だったりする。

[Re-Fort Project]は、軍事目的に作られ捨てられた日本全国に残る廃墟化した建造物を一時期のみ再利用し、イベントを行う。この行為は、僕が写真集『戦争のかたち』を作るために全国の軍事遺構の状態を探してまわるにあたって疑問に思ったことがきっかけとなっている。写真では伝わらないことや、場所性、記録ではないもの、発見する/出会うこと、保存か共存か、記憶をどのように残していくか、モニュメント化アンモニュメント化、などをテーマに実験的に行ってきた。
戦後、機能を完全に失った建造物に新しい機能を与える、そしてそこに実際に行く為の動線/きっかけを作る。

ただ、このプロジェクト、元砲台で缶けりをしたり、花見をしたり、不法占拠してパーティーを行ったりと、”戦争”という言葉に対して、コントラストの強い(ただ現代の日常的には当たり前ではある)行為/利用を行っているため、嫌悪感を持つ方もいる。

今回、[Re-Fort Project 5]の3月に行うはずだったが中止になったトークイベントをもう一度、震災後として踏まえた上で話せる機会が行えたことは良かった。やはり”戦争遺跡で不謹慎”という向きのコメントも出てきた。ただただ来てくれた人が「面白いトークと映像だった」という感想だけでは終わらなくて、それぞれが疑問を手にするような、着地点の美しくないトークイベントになったことは本当に良かったと思うし、そうでなくれば、ウソになるし、その曖昧なものを曖昧なままでテーブルの上に出しコミュニケーションしていくことにとても大きな意味はあるはず。
触れなくても生きていけるし、無視できる所を触れようとしているのだから、いろんな意見は出るはずだ。
僕の産み出すものも、その揺れている部分そのもので、モニュメント化されない/twitterのような短い言葉で格言するようなものではない/上手く言い表せない/そんなもの何だと思う。
分かり易いものも作りたいし、ひっくり返してニンマリお客の反応を見ていたいし、どうだ!とかいたいけど、そんな作品ではないのかもしれない。

現実はこんがらがっていて、その糸を解く為に奮闘する人もいれば、僕みたいにこんがらがった状況をそのままの形で視覚化する人もいる。
というか、こういう人がいてもいいはずじゃないか。
短い格言的な言葉の持つ強さは弱いものだし危険じゃないか。
分かった気持ちなんかになりたくない。
でも全部分かる事なんてできない。
なんじゃないか。

勘違い/読み違い/誤解を恐れず話すと、

少し被災地に行ったからって、何も語れないのは行ってみてよく分った。
津波で多くのものを失ってしまったマチを見て、僕はたぶん、風景の中に存在している人の生活や営みを発見するのが好きなのだと思った。
仙台から八戸まで海岸を下道で走った。そのなかで撮った写真は2枚のみだった(内陸での日常や[bridge]は除く)。一枚はバス停に置かれた椅子、一枚は小さな用水路の橋のようなもの。
自分が写真機で記録しないといけない風景なのか?今まで自分は写真機を持って何と向き合おうとしてきているのか?肉眼レフ(中平卓馬語録)でいいのではないか?自分自身に刻み込めばいいのではないか?…、いろんな事を考える。


これもこういうと勘違いされてしまうかもしれないけど、
”生”と”死”はテーマのひとつだと思う。”生”と”死”(”残るもの”と”消えるもの”)が隣り合わせで存在する事をなるべく意識しながら、そのなかで”生”をとらえたいと思っているのだと思う。ただ、こういう事をしうと”死”に引っ張られたコメントばかりになりそうだ。”死”は基本見えなくて恐いものであって触れたくないものだからかもしれない。ただ、僕自身、今生きているし死を意識しないと生きる意味は生まれないのかもしれない。
”戦争”という言葉も。ただただ”死”を連想するものかもしれない。ただ、『戦争のかたち』という作品でもやっぱり僕は”生”にフォーカスしたいんだと思う。おじいちゃんから聞く言葉は”生”を感じたし、目の前にはカラーの今の風景があった。”死”や”失った記憶”と隣り合う、”生”や”営み”を写したいのか。まだ言葉にならないな。

話は少しかわるが、
考現学を見つけた今和次郎は、元々民俗学をしていたが、大正時代の関東大震災の直後の、多くのものを失った土地に生まれ始めた”バラック”を見つけた。廃材を集めて立てられた家。人びとの営み。それを写真やスケッチに残した。
僕の今開催している展示は、この今和次郎の同一線上のあるのではないかと考える。小さな手作りの橋のようなもの[bridge]を撮影しながら、日本を旅している。小さな小川や用水路を渡る/隔たりをこえる為の橋のようなもの。どこにでもあるもの。
ただ今回、津波で多くのものを失ってしまったマチには、”バラック”という形はほぼ存在しなかった(見方によってはバラック的補修された家はあるものや山の方に仮設住宅はあった)。目に映るものは、重機で集められた4階建てのマンションくらいの瓦礫の山。家の粉々になったものや廃車の山。

東北の多くのものを失ってしまった巨大な風景を目の当たりにして、もちろん人の営みはあるのだけれども、初めて体験するにカメラを取り出す事すらできずにバイクで走り抜けて行く事しか出来ない。(もちろん立ち止まったりはするし、ただただ走り抜けている訳ではないと思う。)

ただ、”その現場に立った/実際にその風景を出会った人”と”そうでない人”は考える能力に差が生まれると思った。
ただ、その現場に立った人の言葉の持つ正論力を、その現場に立たない/立てない/立ちたくない人へ向ける必要はない。
暴力的な正義がそこらじゅうで拡散する。

3月11日、東京にいて地震を感じて、地下鉄に閉じ込められて、展示が中止になり、そこから数百キロ先で起こっている信じられない状況にテレビやネットから流れてくる情報で向き合う事しかできない。偏ったいるだろう現状報告や情報に惑わされる自分。
そのあとは、数ヶ月でやってくる速すぎる日常への逆戻り。

あそこはどうなっているんだろう?
なんかとんでもないことが起こっていたよね?
あれはなんだったんだろう?

僕自身は、そこに立ち、考え、話せる範囲/違う形としても、表現していくべきだとおもう。
みんな違う風に世界が見えている。そして、その違いの中で、自分なりにこの世界と向き合いたい。

つか正直、金欠の現実と向き合っている。

以上。

今日は、建築家の蟻塚学さんとACACでトークです。
今、客入りのラウンジで猛スピードで書きました。
隣の大学では、くまだまさし(吉本芸人)がお笑いライブをやっています。
くまだまさしに客を取られないか心配です。
調べてみると、お笑いライブではなく、ワークショップをしているらしい。なるほど。。


2011-07-31 12:22