RE FORT PROJECT 5について (2つの日記)

『jataniさんのコメントに対して自分なりに書いてみる』

” @jatani  花火のDVDをみたよ、花火はたしかに打ち上がったけど、そこにいた私たちはまるで人のコマで花火しかうつってないように感じた。あそこにいたみんなはどう感じたのか知りたい。あの日の何を編集したの?どこまでがRe:Fort5?”

あそこにいた人はこの映像をどのように感じるだろうか。
自分だけの時間じゃなくて、あの時間に他の人が何を見ていたかをこのような形としてみてみて。編集された形として。おそろしいけど、僕ももう一度聞いてみたいと思う。

よし
自分の思っていることを書きたい。
直接、jataniさんへの答えになっていないかもしれないけど。。
何を編集したかったかについて。
(僕は、実際のところ、いまだにすべてを明確に判断できていない。)


まず、Re-Fort Projectは、放置された建物や歴史を、少しの時間/期間だけ、新しい機能を上に載せ転用/可視化して、また元の何もなかった状態に戻す。それが中心にある。

How to use?
How to know?
(「戦争のかたち」の後半は「戦争のかたちの使い方」というコーナーになっている)
かな。


ただ、RE FORT PROJECT 5では、

日食で空を見上げた時。
花火を打ち上げた時。
花火の音を体で感じた時。
花火が見えた瞬間。
花火を撮った瞬間。
ヘリコプターが近づいてきた時。

僕はひとつの高揚感いや緊張感のようなモノを感じていた。
それは映像に映し出されている/しまっている。


花火のドン!という音。
花火や日食が一瞬であることの緊張感。
写真/ビデオでそれを狙うと言う事。
ヘリコプターが近づくパタパタという音、そこに仲間が乗っているということ。


砲台や戦争とリンクさせる為に仕掛けたであろうトラップ/落とし穴に、自分自身が落ち/巻き込まれていった。そして言葉にできない大きな違和感が残った…。


僕自身は、このRE FORT PROJECT 5(Re-Fort Project自体)を、人を感動させる為に作ろうとはしていないのだと思う。(いろんな意味で心を動かしたいとは思っているが。)

たとえば、写真本「戦争のかたち」内の韓国へ行った日記もそうだけど、旅先で日韓問題に巻き込まれていく自分たちをそのままの形で見たいと思った。
もちろん、編集されたものは事実ではないが、自分が巻き込まれている事をどれだけ描けるかだと思っている。そのことは大切な部分のひとつだと思うし、そこで出来上がってきたものはさらに自分に問いかけてくる気がしている。

実際、RE FORT PROJECT 5は、「海峡のこっちとあっちでのろしを上げてコミュニケーションを取りたい」という自分の発想があって、現場へ行った時に、花火をあげることになった。その後、5人のメンバーになり話し合いを重ねる中で、ただ花火を上げるのではなく、前日も遠足を行おうとか、日食の昼間にしようとか、展示にする為に見にきた人達にビデオを持って撮影してもらおう、などという構想になっていった。

Re-Fort Projectの作品は今まで、その現場のみでイベント/ライブでしかなかったから、空間やDVDを想定しての映像作品としての編集/再構成ははじめてで、たぶんこういうライブを展示にしようとすると、事実とは違う違和感が生まれてくるきがする。

じゃあ
限りなくシンプルにするか、
混沌としたまま出すか、
それを補う為にいろいろな意見をインタビュー形式で入れてバランスをとるか。
どうなんだろう。

ただ、
表現は再現ではない。と思う。
最近たまにインタビューを受けるんだけど、インタビューアーによって拾う言葉が違うなぁと感じる。気持ちのいいことばかり書く人もいれば、「この人は僕をこんな風な人間として書きたいかぁ」を感じる事もよくある。僕は、それに違和感を感じることもあるんだけど、そんなとき、基本書き直したりはあまりしない。なぜなら、彼はそのように僕を見ようとしているわけだし、インタビュー自体表現なわけだし、人によって見える風景は別だと思う。


この作品についてもっと人に聞いてみたいと思う。

あと、12日にもαMで「Re-Fort 5について」のトークを行うので、話したいし聞いてみたいと思う。
今、展示では、11台のカメラをひとつずつすべてほぼカット無しで流し続けています。
このDVDになっている映像は、一つ一つ一人ずつの映像は細切れに編集されています。
たぶん意味合いや見え方聞こえ方はかなり違うと思う。


jataniさん、いつも投げかけてくれてありがとう。
作家は出来上がってしまったものと、向き合う期間が長い。これも既に二年経過してるんだけど、普通に引きずっています。だから、みんなに分り易い説明が欲しくなったり、たまに逃げたくなったりするもけど、いつも違和感が何なのかをいつも問うていかなきゃいけないし、きれいに答えられるものでもないし、さらされなきゃいけないし。こんな空気の読めない能天気な自分が作品を発表していっていいのかと不安にもじばじばです。
とにかく、もう一度、トークでも話してまた書きます。

朝だー

下道

2011-03-09 06:55


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『Re-Fort PROJECT について書きます』


どのように話していいのか。
自分が話せる事は、自分の中にある話だったり、
Re-Fort Projectを始めた経緯だったり、考えだったり…だと思うので、
誤解を恐れずに書きます。

ただ、このRe-Fort Projectは、「これはこういう意味なんだ」と明確なメッセージを誰かに伝える為のものではないと考えています。いろいろな人が違う意見をもったり感じたりしていいとも思っているから、揚げ足の取り合いではなくて、意見は丁寧に受け止めたい。あと、ただ、jataniさんのようなその時感じた事や彼女自身が考えた意見ではなくて、”馬鹿騒ぎ”や言葉や妄想だけが一人歩きしてほしくなはいとも思っています。
あと、僕自身ができた人じゃないことも、話す言葉も文章がいろんな誤解を生むことも、知っていて書きます。

これは、プロジェクトに関わった人達の総意ではなく、
このプロジェクトをはじめ、続けてきた僕の意見ですので。

【”きっかけ”について】

2005年写真集「戦争のかたち」を発表した。
2003年くらいから、その前身でもある写真連載「戦争のかたち」を旅系カルチャー紙「Spectator」で連載させてもらった。(それはメディアに写真がでて、展示とは違う人びとへの浸透の仕方だった。あと、自分で文章を書くということで、戸惑いながらも、沢山の経験をさせたもらった。)

元々、僕は絵を描いていたんだけど、真っ白のキャンバスの上に自分から何か新しく生み出すのではなくて、”既にそこにあるもの”を観察するスタイルに変化していって、それが戦争の遺構/遺構の残された風景との出会いによって、旅をしながらカメラで写すというスタイルで作品化/視覚化していくことになった。新しいアクションではなく、観察と編集。
じゃあ、僕は何を表現したかったのか、これらの戦争の遺構を対峙しながら考えていったから、それは今だから言えることも多い。一つとして戦争を後世に伝えたいという使命感とかではないとおもう。

(あともういちど書くと、これは本当に誤解され易い言い方かもしれないけど、)

例えるなら、アメリカの動物学者だったモースが、明治時代に電車の窓から見える斜面に貝殻の集積を見つけて、そこを掘り返してそこに人が暮らしていた痕跡(貝塚)を見つけたみたく、僕は東京の郊外で昭和初期に作られた軍事施設の跡を見つけた。それは知らなかった時代/世界と出会ってしまった。
もう少しくわしくいうと、その軍事施設跡は近くに二つあった。ひとつは柵で囲まれた”戦争遺跡”(と名前/意味の付いたもの)、もう一つは廃墟のまま建っていて、これをどのように残すか/使うかを市民の方が検討していたんだけど、数ヶ月後に跡形もなく壊されてコンビにと駐車場になっていた。
この公園内に残された”戦争遺跡”と壊されていった”廃墟”とでは、なんというか全く違うリアリティを持っていて、目の前にその存在感を感じたのは、”廃墟”とそれを取り巻く風景、そしてそれが失っていく変化だった。(それは壊された跡も含めて)

そして、旅をするようになって、日本全国に残るこれらの遺構や風景を見ていくと、
その機能を失って、転用されていて、風景と妙な馴染み方をしていて、忘れられていることに、自分なりのリアリティを感じるようになった。立て看板を立ててモニュメント化した遺構への興味はどんどんとなくなっていった。逆に”壊される前に撮影しよう”とともに”モニュメント化される前に撮影しよう”とも思うようになった。
たぶん、モニュメント化する理由も意味も分るし、肯定的ではある。ただ、自分はモニュメント化によって、終わってしまう/停止してしまうモノ/コトについて、もっと考えていかないといけないのではないかと思うようになった。それは、戦争のかたちの後半「戦争のかたちの使い方」とその後スタートする「Re-Fort Project」、さらには「Re-Fort Project」と同時期に始めたもっとプライベートな作品「日曜画家」になっていった。
祖父の絵の行方を追っていく「日曜画家」シリーズは、戦争という大きな歴史との対峙ではなく、自分なりの風景や遺構に対する同じ興味を別の形で作りたかった。(もちろん「戦争のかたち」も歴史を大きな物語としてではなく、僕自身が出会った今目の前で起こっている現実として表現を目指したもの)

How to remain? How to use? How to know?
どう使うか?どう残すか?どう知るか?

あまり話していないし、発表していないんだけど、
この時期、ヨーロッパに軍事遺構の現状を見に一人で旅行した。
その時、こういった建物は、水族館になったり、クラブやオフィスや家として普通に使われながら、その建物の一部に歴史についての紹介も書かれていたりした。逆に、とても強いモニュメント(戦勝記念館的なもの)になっているものもあった。
歴史は変化していく、ただ、日本ではこれらの建物をどのように扱っていいのか、それはまだまだジレンマのなかにあったりする。
そして、遺構の権利の関係にも興味があった。なぜなら、戦後、軍から土地が地元に返還された時、その土地の上に多くの軍事施設の跡は放置されたままだった。(例えば飛行場だった場所には、戦後も飛行機の格納庫の跡が残されていた)それらは、地元の人にとっては、壊すのにもお金のかかる国(軍)が勝手に残して行った、どうしていいか不明の存在でしかなかった。つまり、建物の管理はグレーゾーン/曖昧なまま存在し続けていた。人びとがそれらを日常の中で使っていくことやその風景は、何かしっくり来る気がしている。
これが、「Re-Fort Project」をはじめるきっかけ。


【言葉によるモニュメント化】

これらの遺構は、近年、”戦争遺跡”という名前が付けられ、ある意味言葉で柵に囲まれてきている。これらの遺構には、明治の遺構も昭和の遺構もいれられているけど。
”戦争”とはいつのことか?
イメージはあっても、この言葉を日本の歴史に当てはめて使う場合、違和感が生じる。

Re-FortのFortとは要塞や砲台を意味する。砲台や要塞の作りは、古い時代の城などの流れを汲んでいるし、東京のお台場はそういった古い時代の城でもあり砲台でもある。
明治時代の砲台は、”戦争遺跡””負の遺産”と呼ばれるものもあれば、最近ドラマになった『坂の上の雲』の時代の遺構でもあって、”近代化遺産”という言葉でも語られる。これは、このころの日本は近代化を目指して…、といういいイメージの言葉でもある。
Re-Fort 5で花火を上げた山は古城山、昔の門司城あとでもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/門司城
あと、この場所は戦国時代15世紀には戦闘はあったが、近代要塞としてこの砲台自体の実戦はなかった。(幕末にはここの別の砲台での戦闘はあった)
ただ、日本で”戦争”という言葉は、太平洋戦争(大東亜戦争/先の大戦)の末期のイメージがすべてになっているのではないか。

ちなみに、下関の町の海岸のみもすそ公園には砲台のレプリカが設置されていて、みんなが記念撮影するスポットになっていて、100円を入れると、驚かない程度に「ドン!」と機会音がなる。この場所が幕末に実際に戦闘があった砲台をイメージして作られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/みもすそ川公園

では、Re-Fort Project 5で、砲台から花火を上げた事、さらに、前日に実際に砲台をみにいく遠足をしたり、クイズ(内容は砲台の距離や土地の歴史について)を行ったり、明るい雰囲気でそれらを行って、ユースホステルに泊まって、ビールを飲んだり…。これらの土地の歴史は実際に勉強として、まじめな姿勢でのみ、行わなければいけないのだろうか。勉強会、歴史散歩として、砲台の歴史を勉強する企画し、それで人びとを集めないと、土地の歴史に触れる事は出来ないのだろうか。
もちろん、”戦争”という言葉に対して、とてもデリケートに扱って行かなければいけないのは分っているけど、「砲台で花見」や「砲台で花火」というイベントがただ”馬鹿騒ぎ”として扱われて、”不謹慎”として終わっていいのだろうか。
かつての砲台としての機能はなく、記憶が薄れて行く中、今の方法で砲台があった事を少しだけ視覚化したり、知るきっかけをつくることは”不謹慎”なのだろうか。
第2回目は砲台跡で花見やカラオケを行った。砲台の上はステージになった。では城跡で花見をするのは?


【どのように触れるか】

今、テレビで流れている地震の映像を横にしている。
僕や一人の人間が語れたり、想像できることは、たかがしれているし、話してはいけないこともある。逆に集団の中で、知らない間に巻き込まれていくこともある。
ただ、終わってしまった事を、ある一定の曖昧な共感/共有の中に置いてしまっていいのだろうか。Re-Fortも自分もその恐れはいつもある。失敗を露呈もしている。
知らずに行う/行ってしまうのは簡単だけど、知った上であえて行うのは本当に難しいと思う。なぜなら、どこまで知っても知りすぎるこということはないし、いろいろな方向からの意見はあるから。

とにかく、うーーん、今は。。。

とりあえず、
戦争に無関係の建物や風景へのアプローチもやりたい。風景のレイヤーの一つが戦争という時代/1945年だったけど、そうじゃないレイヤーも使ってみたい。
僕の最近の作業の「見えない風景」や「Sunday Creators」はそういう繋がりから生まれてきているし、いい作品なんだけど、インパクトは強くないし、地域系アートの風景/記憶系を跳ね返すだけのヌケはまだないかもだけど。

また、書ける事が見つかったら書きます。
長々と読んでくれてありがとう。
この日記は、非公開にしたまま、何度も何度も書き直しました。なので、3/13の日記ですが、4/2にアップします。


あと、このブロブの下のコメント欄は、自由に書いてください。Re-Fort Projectのコミュニケーションの記録の場になればとも思っています。(あまりに非常識なコメントは削除する場合もありますが)


では


下道基行

2011-03-13 15:01