日記

こっち着て、このブログが書ける環境になるまで、ノートに書いてた日記をアップします。
別にどうって事ないので、暇な人はどうぞ。

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9月4日

6時40分時間通りにパリシャルルドゴール空港着。
空港のアメックスでTCをユーロにして、Roissybus乗り場でシンガポール人の華僑系?カップルと話す。
彼らのパリ滞在は4日間だけらしく、こちらが1年というと「いいねぇ」とうらやましそう。今まで1、2週間程度の海外旅行中にこの反対の状態を経験して来ていたので、少し優越感。
バスに乗り、終点オペラガルニエを目指す。地下鉄の方が安いし目的地までのアクセスもいいのだが、ガイドブックに旅行者を狙った犯罪が大変に多く特に朝晩は要注意とのことだったので、市内へはバスを選んだ。バスに揺られながら、空港から兎町の中心に向かう郊外の閑散とした風景は、成田や台北やサイパンやどこも似ていると感じた。建物は町に比べて少ないが、廃墟がやけに目立つし、どこか牧歌的でそうではない風景。巨大なショッピングセンターIKEAがあったりして、部屋の事とかも考えつつオペラガルニエ着。
朝日に照らされたベタベタなゴッシック町並み、9月頭なのにもう冬の始まりのようなカチンと張りつめるような冷たい空気の中、背中に10キロ以上のカメラが入ったリュック、前に貴重品類を詰め込んだ肩掛け、さらに手には95リットツのスーツケースを押していて、数分歩くと汗が吹き出してきた。さらに先月日本で買ったばかりのスーツケース(リモア似の安物)のタイヤは石畳の通りでガタガタと壊れそうな音を出している。
まずはオペラ大通りをルーブルまで出て、そこからセーフ川沿いにひたすら歩く。仕事に向かうのだろう慌ただしい人の流れの中をもたもた歩きながら、あーーとんえもないパリ中心街に来たんだなぁと思いながら1時間、思った以上に遠い我が家に不安になり始める。何度か通り沿いの店の店員に道を聞きながら歩く。笑顔で自信満々で全然違う場所を教えてくるヤツも多かったが、文句の一つも言えず全て「メルシー」で。
目的地であり今日から我が家になるcite international des arts着。しかし、ノートルダム寺院要する超有名観光地でもありパリ市の発祥の地でもある「シテ」を名前に付けたかったのは分かるが、施設はシテ島の対岸を通り過ぎる事10分(手ぶらで5分)、サンルイ島の対岸である。
一階の受付で面倒くさそうに片言の英語を話すTシャツ姿の小太りの野郎に入居の作業をしてもらい部屋へ入る。4階のセーヌ川側の部屋、ガランとした10畳くらいのアトリエとドアは無く壁だけで隔たれた3畳ほどの寝室、あとキッチンとシャワー&トイレと1畳半くらいの倉庫。東京都内で借りるなら15万円前後くらいはする物件だろうか。(後日談によるとこの辺りでもそのくらいはする部屋らしい)広さは十分すぎるほど。
強いて言えば、入居前に学校の留学課や色々な人からも「セーヌ川沿いで、窓からノートルダムやエッフェル塔までも見える素敵な部屋ですよ」と聞いていて期待していた部屋の窓からの風景は、ノートルダムとエッフェル塔の上の方以外は建物のすぐ前に鬱蒼と茂る並木に阻まれことごとく見えない…。期待は残念の元。(造語)
何もないアトリエにぽつりと置かれたテーブルで小太りの差し出した書類にサインすると、契約完了らしく小太りは出て行った。

とりあえず、バッグを置いてシテ島に橋で渡りノートルダム寺院に行く。施設を出ると、もう町は朝の通勤モードから観光モードに変わって、通りに観光客が溢れている。やけに中国人団体観光客が目につく。中国人のおやじはNIKONの巨大なデジタルカメラでバジャバシャ写真を撮りまくっている。日本を発つ前に読んだ「ニューズウィーク」にそんな中国人観光客を世界の観光地の人々は「21世紀の日本人観光客だ」と書いていたのを思い出した。日本人観光客は数人単位でポツポツといて、意外と地味にしている。こういった話をすると「日本人観光客はもう成熟した」などと聞くことがあるが、本当にそうだろうか。多分人それぞれ。

これまで1年に2、3度の国内外旅行(取材)をして来た。そのほとんどがバイトの休みの関係もあって1、2週間の旅だ。そんな旅に出かける時は、ある程度の行く場所の予習計画を建てるし、それなりの意気込みというかある種の旅のテンションを持って出発し行動していたように思う。観光地は好きな方じゃないけど、「せっかく来たんだしとりあえずコレくらいは見とかないと」で、こういった場所も押さえてきた。つまりはこうした、その土地の有名な食事を食べて有名な風景をを眺めるのが「観光」というものなのだろうし、「観光地が嫌いだ」などと言う旅人でさえ、この巡礼的な「観光」からはなかなか逃れる事ができない。
でも今はこの場所に1年住むということで、テンションを見つける事もできず日本のままのテンションを引きずりながらここにつっ立っていた。昨日まで日本にいた自分がこのベタな観光地のど真ん中に目的の無くフラフラしている事の違和感に満ちているのだ。

お腹がすいたので、散歩で見つけた地元っぽいパン屋でクロワッサンとチーズの入ったパンを買い部屋に帰って食べる。ムサビから来ているもう一人の日本人ナホシ君に内線で連絡をしてみる。彼は寝ていたみたいで、一時間後にウチに来てくれ、この施設についてや町の事、便利な店、インターネット、居るものとかいろいろな事を教えてもらう。その後、実際に近所の安いスーパーや電気屋、雑貨やを教えてくれながら2人で2時間ほど散歩をして、その後、七星君の部屋でビールを飲みながら夜に夜になるまで色々とくっちゃべる。七星君は髪を後ろで束ね痩せた村上隆の様な風貌だが、温厚というか刺々しさが無い雰囲気、制作もコンセプチャルアート云々じゃなくて純粋に描く行為を楽しもうとするタイプみたいでいい感じ。ビールは500ml8本で8ユーロと意外と安い。

9月5日

時差ぼけのせいで、深夜2時、4時、6時と2時間おきに目が覚める。朝6時にはもう寝れなくなり起きだす。
倉庫に山積みになっていた備品や前の住人が置いていった家具をガランとした部屋に配置してみるが、絵を描いたりするような広いアトリエが、いくつかの家具で構成できるはずもなく、部屋はガランとしたままだった。
絵を描かない僕にとって、メインはフィールドワークであり、アトリエは文章を書いたりネットをしたり情報を集めまとめていく編集の場所となるだろう。
メインの仕事場になるだろう大きな黒いデスクを外に向けて置くか、今までしてきた様に壁向きにするかで1時間ほど悩み、結局中途半端な角度にしたまま散歩に出る。

Tシャツに上に一枚羽織って出ると冷たい空気がちょうどいいが、日差しが出るとすぐに暑くなった。白人の観光客なんかは元からTシャツ姿でウロウロしている。
昨日七星君に教えてもらったスーパーやショッピングモールを反芻する様に巡り、帰りは少し迷ってみる。

部屋に戻り、買う必要のある物をとりあえずリストアップして、ノートパソコンを持ってポンピドゥを目指す。最近パリは観光事業の一環で公共の場所に無料ネットサービスを行っていて、無線LANに対応していれば、ものの数秒でネットをつなげる事が出来る。展示を見る事も無く、入り口付近のネットスペースに腰を下ろし、ノートパソコンを膝に置いて溜まったメールをチェックする。
その後買い物をして部屋へ戻ると、ちょうどのタイミングで七星君からの内線が入る。この施設には最初から内線電話が繋がっていて、受話器を取って部屋番号をダイヤルすると、直通が無料で掛かるシステム。ここシテ寮で交流の為に月一で開かれるパーティーは、ナンパ目的の輩も多いらしく以前ここに住んでいた女性からは、むやみに部屋番号を教えるのは辞める様にとのアドバイスを受けた。
少し話が外れたが、ナホシ君からの内線は「今夜、ボザール(国立の美術学校)に通ってる女性がホームパーティーをするから一緒に行こう」というもの。待ち合わせの時間までまだ時間があったので、もう一度散歩に出る。
夜七時、外はまだ明るい。七別館(僕は本館)の前に時間通りに行くと、ナホシ君と日本人女性が待っている。女性はリエちゃんと言って別館の七星君の向かいに住むピアノの演奏者。3人でRER(地下鉄)でジュレス(Jaures)へ向かう。電車内も町も黒人が多く、七星君は「この辺りは治安がよくなさそうだ」と言っている。
部屋は駅から徒歩5分くらいの薄暗い建物の4階の部屋。中に入ると、家主のミロちゃん、ルームメイトのニーナ、2人ともボザールに通う予定で、あと国内の助成金を受けてパリに住む伸君。みんな日本人アーティストだ。どうやら今日ニーナはパリに着いたらしく歓迎会のようだ。ミロちゃんが作ったパエリアはとてもおいしかった。みんな歳も専門も違うけど、すぐに打ち解け、酒はビールからワインへいき、最後はよくわからない甘くて強いお酒へ移行し、記憶が無くなる。

9月6日

ソファーで目覚める。

2007-09-26 05:38