ファサードの可能性 2


・ゴミのステンドグラス

瀬戸内「 」資料館は、いや、宮浦ギャラリー六区は、元パチンコ屋のリノベーション建築だ。
瀬戸内「 」資料館は、そこに寄生する形でプロジェクトは展開している。
建築として、パチンコ屋当時の面影を伝えるのは、入り口のガラスでできたファサード。

瀬戸内「 」資料館は、いや、宮浦ギャラリー六区は、直島観光マップに記載されている。
しかし、普段はオープンしていない。企画展が行われている時だけ開く。
そんな建築内で資料館で、日々仕事をしていると、レンタサイクルに乗った観光客が日々やってきて、開館していないことをぼやいたり、鍵のかかった入り口の扉をガタガタと動かして閉館を再確認している。

そのファサードに新しい作品を作ってみた。
漂着ライターのゴミのステンドグラス。光を通して美しい。
漂着物の標本のようなイメージ。資料館の新しい目玉。

海に流れ着く漂着物の100円ライターを浜辺で拾った。
でも、こういう漂着物は誰しもがオブジェにして”アート”にしやすいから”気をつけている”。
漂着物にはすでに偶然性や”味”や”物語”がある。それをパーツに立体物を作れば”アート?”になりやすい。僕も漂着物には魅力を感じるし、異国の南の島から流れ着いた椰子に思いを馳せる。でも、それで作品を作るなら、注意する。(見る人によっては微妙な差かもしれないが)漂着物を加工してくっつけて魚やロボットや何かしらの立体物にするようなことはしたくない、そのままに”並べる”だけで、よりシンプルでより深い作品にしてみたい。方法は、まず、漂着物ならなんでもいいからいろんな物を並べるのではなく、
・一つの漂着物だけを選ぶ
・並べ方や置く場所を選ぶ
・並べる順番は意味を与えない、偶然に任せる。
・なるべくシンプルに。なるべく複雑な意味を内包する。
それだけだけ。
ここには、瀬戸内「 」資料館のコンセプトである、”集めると並べる”のみの、標本的な見せ方、そして、パチンコ屋のイメージや大量消費社会に対する疑問などなど、いろんなコンセプトがあるのだけれど、ま、一言で言えば、”映え”を狙ってみたかった。
いやいや、”映え”というとSNSに振り回されているように聞こえるが、通常閉館しているこの施設は、いつも観光客が中には入れないが、そういう人が見たり参加できる要素を通りに向けて作りたかった、ということかもしれない。

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・「このギャラリーはいつも開館していない」

この建築で、ファサードの可能性や重要性を考える上で外せない理由は、「このギャラリーはいつも開館していない」ということ。閉館しているからファサードの重要性が高まっている。これは建築家の理由ではなく、使う側としての理由だ。(僕は通常開館したいが。)
地元民たちは「宮浦ギャラリー六区はほとんど開いていない」という。宮浦ギャラリー六区が、いつも開館していない理由をよく聞かれるので、そのことにつういて書いてみたい。

宮浦ギャラリー六区は、元々、ギャラリーとして作られたので、作品あっての空間で、ただの空っぽの空間しかない。その中で企画展が開かれた時に開館するために作られているから、企画展が行われていないときは閉館している。当然といえば当然。だからと言って、美術館のように常に新しい企画をここで展示し続けられるか?といえば、ここを管理運営する福武財団は、”このギャラリーを企画展で回し続ける”ためのギャラリストや学芸員はいない。つまり、宮浦ギャラリー六区は、通常、ハードのみが存在している空き家状態で、たまーに展示でオープンしている状況にあった。ただし、直島観光マップには他の施設同様に掲載されているので、観光客は回ってくる、しかし、基本的に閉館状態。というわけだ。(建築家の作品として外観を鑑賞する、という見方もできるが。)

瀬戸内「 」資料館は、僕は、そこに寄生することになった。
しかし、この企画の構想段階では宮浦ギャラリー六区ではない場所が想定されていたが二転三転してここに流れ着いたし、資料館の企画は宮浦ギャラリー六区という建築家によるギャラリー建築と合わないと直感で感じていた。(その理由は以前に何度も書いたのでここで書かない。)
結局、僕は移住し、通常は空っぽだった宮浦ギャラリー六区に、テーブルと椅子、空っぽの本棚を置き、毎日ルーティーンワークを始めた。月曜日から金曜日、9:00-17:00は、館長が作業をしていて、ふらりと立ち寄る島民と話したり、島民と何かを一緒にやったり、自分の仕事をしたり、アーカイブや企画展を構想し制作し始め、すでに3年目である。

移住までした理由は、やはり子育ての環境が第一だったが。自分が島で資料館を作るのなら、その土地の日常を見ながら、ゆっくりと時間をかけて積み上げていくべきだと思ったからで。それは、これまで”置いて終わり”のプロジェクト作品をこれまで何度も見てきたし。プロジェクト型の作品はそのコンセプトの中に”継続性”と結びつきを持ち、従来の作品形態の”置いて終わり”や”完成”を嫌う部分もあるはずだが、結局多くのプロジェクト作品はその”継続性”を産まず、そういうコンセプトやデザインだけが残された、”置いて終わり”の作品ばかりであることへの疑問。そんな中で、僕自身、これまでの数年かけて旅をして写真シリーズを作ってきたが、さらにその先の新しい作品として、プロジェクト型の作品、本当の”資料館”であり”アーカイブ”を作るのであれば、間違いなく、”継続性”について考え、できる限り僕がそこにい続けることが作品にとって重要になると、なんとなく感じたし、それは移住の一つの理由であった。

話が大きくそれてしまったので軌道修正する。

では。
宮浦ギャラリー六区が、瀬戸内「 」資料館として、いつも開館している施設になることができるか?
について書きたい。
なぜなら、僕としては、瀬戸内「 」資料館を近い将来、本当の直島の資料館にしたいと考えている。(作品として資料館的な体裁ではなく、作品であり普通の資料館として。)僕としては、瀬戸内「 」資料館は図書館でありミュージアムなので、公共の施設として島民にも活用してほしい。企画展の時だけではなく、銭湯のように通常営業したい。つまり「鑑賞者が入館料を払って見れる」と「島民が無料で利用する」の両方、つまり言い換えると「現代美術の作品として見れる」と「普通の図書館として利用できる」の両方を持つものにしたい。さらには、当たり前のことだけど、継続していくためには、最低限赤字を出さない、ということが普通に大切だと考えている。(素晴らしい理念のもと、過去の遺物を収集した民俗資料館が運営できず休館や埃をかぶっている光景をよくみるし、そうじゃない民俗資料館の在り方を提示したいし実験したい。)
この施設を客に開くには、作品を管理する受付や監視をする人や光熱費が必要となる。(あり得ないほどどんぶり勘定で)簡単な計算をしてみると、1日人を一人雇い、他の費用も考え、例えば、10000円/1日コストがかかるとする。そうすると赤字を出さないためには、入場料500円だとすると、毎日20人の入館者が必要となる。監視の人が2人必要なら毎日の入館者はもっと必要になる。こういう簡単な計算なしで、スタートして継続できなかった資料館は全国にどのくらいあるのだろうか、僕の作る資料館がそうならないためには、こういうこともある程度考えておきたい。
宮浦ギャラリー六区の空間はとても小さい。空間内をゆっくり歩き回っても数分。入り口から全てを見回すことができる。さらに、僕には島内の他の作家のようなネイムバリューもない。そこに500円払って入館するか?

現在は、年間1-2本の企画を資料館内で行い、その1ヶ月や2ヶ月のみ集中的に開館している。さらに今回のような3年に1回の芸術祭の期間もあいている。
では、さらに、通常営業をするためにできることは?

今、すでに挑戦しているのは。
・受付と監視を1人でできる動線。
・空間を小さく感じさせない。(密度を増し、さらに裏のへんこつにつなげて展開を作る)

今後やっていきたいこと。
・Webサイトを作り、蔵書の検索やイベントなどを見られるようにしていく。
・さらに、空間内の密度や展開を増やす

さらに先の可能性。
・週1や週2で開館していく
・アーカイブを継続的に続ける
・島民によっての資料館になるために地域と連携していく

どちらにしても、ファサードは資料館の顔。
今まではギャラリーとして、いろいろな可能性を持った無機質な雰囲気だったが、
もうそろそろ、瀬戸内「 」資料館としての個性をむき出しにして、宮浦ギャラリー六区に閉じ込められた中身ではなく、殻を破る挑戦の時期がきたのだろう。
とにかく、元パチンコ屋の宮浦ギャラリー六区が残している当時の建物の部分はファサードだけであり、さらに、瀬戸内「 」資料館は内部(入口ホワイトキューブ以外)は撮影禁止にしているので、このファサードをどう使うかは、作家に投げられた一つのミッションであり遊べる場である。