瀬戸芸初日

(執筆中)

瀬戸内国際芸術祭の1日。
4月14日は、学生の春休みも終了した平日だし、雨で寒いし、コロナも治まっていないし、観光客の姿はまばらだった。
資料館のプロジェクトにとっては、久しぶりに外からのお客さんに見てもらえる機会が素直に嬉しい。だからと言って「展覧会オープン」の特別な日かというと、何か変な感覚。なぜなら今日も、展示空間の裏では「窯工部」の人々がワイワイ集まっているし、夕方からは小学生向けの塾「しまけん」も動いていて、これまで2年(プロジェクト的には3年)の毎日毎日積み上げてきた日常の延長でしかないのかもしれない。

資料館は芸術祭や展示のために作るオブジェ的な作品形態ではない。「準備期間→完成→オープン」や「準備期間→完成しなかった→オープン(作業を見せながら)」とは全く違い、準備期間と完成が分けられないのにオープンしている。前回の2019年瀬戸芸では空っぽだった空間内の棚にもだいぶ埋まって重みが出てきた。しかし、作品の完成(完全な完成はないが)はまだ遠い。そういう状況でのオープンだ。


・資料館の変化

この1年くらいで資料館のプロジェクトは大きく動いた。もちろん地元を調査して展示を作りアーカイブを作ることは進行中だが、そのほかが大きく動き始めている。
一つ目は、展示や収蔵庫/アーカイブの機能を「宮浦ギャラリー六区」に集約させ、それとは別に裏の廃墟だった元焼肉屋「へんこつ」に島民との活動や財団スタッフの課外活動を展開すること。空間の拡張。
2021年3月に始まり1年経った「直島窯工部」は、島民やスタッフや移住組などが徐々に集まり、コロナ禍で家に篭もりがちの人々が作陶をしながら交流(日常の愚痴や他愛もない会話)を楽しむ、重要な場所になってきている。僕も含め移住組の同年代の部員にとっては、日常の多くが子育てや家族のために時間をさく中で、大学の部活動のような「窯工部」はそれぞれ自分自身のための時間を取り戻す場になるのかもしれない。それはさらに横へとつながりながらコロナ禍での小さな島で大きな意味を持っているのではないかと思っている。そして、「宮浦ギャラリー六区」では手狭になった「窯工部」を元焼肉屋「へんこつ」へ移動させるべく、大掃除とDIYが行われた。「宮浦ギャラリー六区」とお隣の元焼肉屋「へんこつ」の廃墟は徐々に接続していく。「へんこつ」自体は財団が管理する建物で、財団としてはゆるゆると使いたい思惑もあり、スタッフの課外活動「なおラボ」や「寺子屋」も動きつつあるが、雨漏りがひどく、焼肉屋の匂いもきつかったので、大きく活用はされない状況。「窯工部」や「なおラボ」や「寺子屋」など財団や島民の課外活動やさらには資料館のアーカイブに関わるような”野良”研究所的な部室的な場所を「へんこつ」を中心に動かしていく方向性が徐々に見えてきて、「へんこつ」の本格的な修理が始まることに。つまり、

瀬戸内「 」資料館=「六区」+「へんこつ」

「六区」=展示/アーカイブ/収蔵庫/プロフェッショナル →外のお客さんが直島を知る(有料)/島民の図書館(無料)

「へんこつ」=課外活動/”野良”研究/島民交流/勉強会/塾/憩いのば/食事会/レジデンス →島内のさなまな人々が集まり会話し学ぶ場所。ここでできた”野良”研究がアーカイブにさらに接続する

となる。
実は、密かに困っていたのが、これまで、「宮浦ギャラリー六区」で自分の作品/プロジェクトを行なっていて、外にPRする際に常に「宮浦ギャラリー六区」という(サイトスペシフィックな)建築家の作品に包まれてしまい見えにくくなってしまっていた。どうしても、それを消すことはできないジレンマがあった。島内のマップや瀬戸芸の作品紹介もまずは建築家の名前があり、その下に僕のプロジェクト名がくる。(美術館で展示した場合に、まず建築家の名前は来ないが、ここは特殊でそれを外すことができないのだ。)
ただ、「宮浦ギャラリー六区」を消す方向ではなくて、どんどん増幅して「へんこつ」も合体して、DIYで使いやすいように増幅して、ブリコラージュ的に、生命体のように変化していくイメージが徐々にできてきた。ある意味”スマートさやわかりやすさを放棄して、必要に応じて変化し増幅し、実験もどんどん行なって、カオスとなって進んでいく場”で良いのではないかと思うようになってきた。それは、初めの2年間、ずっと「宮浦ギャラリー六区」という建築家の作品に閉じ込められていたことへの反発かもしれない。”戦うより、もうどうでもいいや、やっちゃえ、カオスになっちゃえ”と。その場合、誰の建物かわからなくなると同時に、僕の作品であることも曖昧になっていくだろう、それを受け入れるということになる。
そういう意味では、資料館は僕の作品だけど、映画みたいにキャプションで、僕は「総指揮」みたいな感じで良いのかもと思えてきて、ではそこに「アドバイザー」「メインスタッフ」「空間設計」「デザイン」「スペシャルサンクス」なども書かれるようになっても良いかもだし。僕のものではなく、みんなのものとして手放しても良いのではないかと思うようになってきている。(その場合、さらに、この資料館を財団の物から島民のものへと”セミパブリック”?”半公共”にしていく必要も出てくるだろう。)


・資料館の作品性

僕にとってこのプロジェクトは、この2年を家族も巻き込み移住してやっているし、僕の中では、やはり、この20年、メインで長期で制作してきた写真シリーズ作品の流れの最新作であるという認識である。つまり、
「戦争のかたち(2001-2005)」→「torii(2006-2012)」→「津波石(2014-)」→「瀬戸内「 」資料館(2019-)」
さらにいうと、これまでの制作プロセスは、一人で旅を繰り返し制作してきたシリーズ作品に対しては、定住型。
「戦争のかたち(日本国内)」→「torii(日本国境外)」→「津波石(日本国境周辺)」
国内調査が国外へそして、沖縄という境界線上へ向いていき、ついに、生まれ故郷の近所の島に移住し、コロナ禍において移動を制限され、→「瀬戸内「 」資料館(故郷定住)」と流れきた。
制作スタイルも、
「戦争のかたち(旅/フィルム写真)」→「torii(旅/フィルム写真)」→「津波石(旅/動画)」→「瀬戸内「 」資料館(定住/アーカイブ・場作り)」
という感じで変化してきている。ただ、この流れの中に「Re-Fort Project(2004-)」が入るともう少しわかりやすい。このプロジェクト作品で2004年からやってきた”いろいろな人との協働としての作品”が、2019年のヴェネチアの「宇宙の卵」展でさらに加速して、そっちの流れと、写真シリーズ作品系の流れが瀬戸内で合流する形で、「瀬戸内「 」資料館」は動いている。個人の作品ではなく、個人の作品とは呼べない存在と向き合ってきたことや、いろんな人々と一緒に作って思いもよらない形になることを受け入れることを楽しめる土壌がここでさらに別の形態になってきているのかもしれない。

そして、もう一つ書いておかねばなのは、「戦争のかたち」「torii」はある意味で自分で始めて一人で完成させた作品に近いが、例えば「14歳と世界と境」はあいちトリエンナーレ2016のキュレーションがないと始まらなかったしその後の韓国や香港などのキュレーターや通訳など多くの協力者/並走者がないとできなかったし、今回の「瀬戸内「 」資料館」でも、福武財団による継続的なサポートや三木あき子さんによる並走、さらに建築の能作文徳さんやデザインの橋詰宗さんの力など、さまざまな能力の結集であることはさらに新しい。
作家の作品性を否定する動きが”地域アート”の中でもてはやされ始めているが、作家の作品性自体が変化し続けていることに僕は興味を持っているし、”なんでもあり”ではなく、(現代美術において中心ではなく周縁にいる)自分としても「作品」(英語では”Art work”であるが)として、批評性や評価軸の上で仕事を成立させることを放棄する気持ちはない。


・シリーズ作品の完成のタイミング

「瀬戸内「 」資料館」の完成とは?と考える。

「戦争のかたち(2001-2005)」「torii(2006-2012)」「津波石(2014-)」などの作品の制作プロセスとして、まず、①何かに出会い、疑問や興味を持つと、その対象を調査し撮影し収集を始める。(ここで途中で興味を失う対象も多々) 次に、②旅や収集を重ねて、さらに調査を進めていくと、ぼんやりしていた興味が自分の中でシンプルになっていく、その時、撮影/調査対象がはっきりして(写真で言うと風景の中に主人公が決まる)、シリーズ作品として流れとコンセプトができてくる。 ③さらに旅や収集を重ねて、ある量感やバリエーションやバランスが整っていく(主人公の決め方、シンプルに仕方、バランスと量感、あたりが僕らしさかも)。で、④ある時、それらすべてのバランスがある一定を超えた時、「あ、発表できるな」となる。その時、アウトプットの形が自ずと見える。ただし、⑤その後も、作品のバランスは流動的で、継続的に撮影/調査対象と向き合い続けるので、基本的に終わりはない。
と、簡単に書くとこんな感じ。
では、「瀬戸内「 」資料館」の今の状況は?完成のタイミングは?と言うと。
②から③へと移行し始めたあたりかと思う。
ただやはり「瀬戸内「 」資料館」にも完成はないかもしれない。なぜなら「瀬戸内「 」資料館」はアーカイブであるので継続的な収集が必要であり、プロジェクトを生き物だと考えると新陳代謝(展示や館長やスタッフの交代)しながらの継続が必要だと考える。そう言う意味で、まずは10年(あと6年程度)の継続は必要ではないかと思う。(その数字の根拠は僕のネタがそのくらいあるのと、僕が興味を持続し継続的にしっかり関われるだろう年月。)

さて。
朝5時からこの日記を書いているが、ただの覚書である。それともう一つ、瀬戸芸が動き始めた今日、何か、「瀬戸内「 」資料館」が自分のシリーズ作品の延長として、自分の作品になるという一つの手応えを密かに感じたからかもしれない。