ガラスの旅

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沖縄と八重山諸島を旅した。
台風19号の後だということもあり、美しいビーチはゴミの山だった…。ペットボトルや発泡スチロールが多く、その他にも漁業の道具やビーチサンダルや生活用具など。台湾、中国、韓国、東南アジアなど、様々な国から色々な物が流れて来ていた。
旅のなかで、島々の海岸を漂着物を見ながら歩くことを日課にすると、すぐに風景の風景の見え方が変わっていった。まずは、漂着物が多い海岸とそうではない海岸があることに気がつく。理由は様々あるが、季節風や観光の為の清掃や海岸の地形などが関係するようだ。もうひとつ気がついたのは、実は少なくない人数が、頻繁に海岸の漂着物を見て何かを集めてまわっていること。朝、浜辺に新しくできた漂着物のラインには必ず新しい足跡が残されている。西表島のある海岸で出会った人は、海岸に打ち寄せた藻を集めて干していて、「肥料として畑に蒔くとトマトが美味しくなる」と話す。その他、漂着物の中で種子やおもちゃを集めている人や漂着物を組み合わせてお土産物を作っている人々や様々な人々にも出会って、いろいろな話しを聞く事ができた。全く知らない世界と住人がいることに気がついた。
数ヶ月前、福岡県の玄界灘の海岸を歩き続ける漂着物の第一人者石井忠さんにお話を聞く機会があった。「漂着する木は、かつては集めて薪にしたり、海辺の社は寄木や寄船で造営されることもあった」と話されていた。さらに、「見つけた物が大きすぎる場合、石をのせて印を付けたり、隠したりするが、再び戻ると無くなっていることがある。」と悔しそうに話されていた。
海の幸は、漁で取れる魚介類だけではなく、浜辺に寄せる物も生活の資源になるし海の幸だ、ということを感じた。そして、そう考えるとペットボトルや発泡スチロールが簡単に再生できないのは非常に残念に思えてくる。
沖縄には様々な国から様々な物が流れつく宿命をもった地理。船も人も文化も流れてくるし、文化も侵略者も…。ニライカナイという沖縄の思想には、海の向こうから神が豊かさをもたらしまた帰るとされる。沖縄という土地は様々な善くも悪くも「寄せるもの」を受け入れ、付き合って来た(編集してきた)歴史がある。武器ではなく、生きる力で戦って来たように感じる。

沖縄には琉球ガラスの工房が沢山ある。琉球ガラスの歴史は、明治時代に長崎や大阪からやってきたガラス職人によって始まったが、戦後は、進駐軍が使用し廃棄されたコーラやビールの瓶を材料に再生ガラスとして彼らのお土産用の器が作られ始め、現在に至る。現在でも多くの工房は、コーラの瓶にかわり泡盛の空き瓶を回収して再生し食器を作っている。
「海に流れ着く様々な漂着瓶でガラス食器が作れないか?」そんなことを思い、海岸に流れ着くガラス瓶を集めるようになった。漂着する瓶から再生ガラスを作る。調べたり相談してまわると、そこにはふたつ大きな問題が出てきた。「ガラスは種類によって膨張係数が違うので、色々なガラスを混ぜると必ず破れること」と「工房のガラスの窯の坩堝に外から持ち込んだ色々な見知らぬガラスを入れることは大変な労力のいることで、やってくれる職人はいないのではないか」ということ。
普通に使用するのにむずかしい食器は職人は作らない。使えない食器、などあり得ない。ただ、形成した後、ガラスが破れてしまうことも含めて興味が湧いて来た。そして何よりガラスに関わる人が口を揃えて「破れるからやった事はない」と聞いていると、逆に作ってみたい気持ちをかき立てられた。
制作協力をお願いできる職人さんを捜した結果、奇跡的に興味を持って協力して頂ける方に出会うことができた。素敵な出会いの連鎖だった。
拾い集めたガラスボトルは、ハンマーで砕いた。炉の中に入れ、1日かけて溶かした。翌日、職人さんの指導で溶けたガラスを吹いて食器を作る。熱せられ赤々と光るガラスにはいくつものスジが見え、職人さんは「これは混ぜたからだし、普通より吹いた時にも丸くなりにくいな」と話した。
出来上がった食器を除冷を行いさらに翌日、工房に行く。制作した食器は破れていなかった。「混ぜ合わした様々なガラスの相性が偶然良かったのかも。奇跡的」と。少し亀裂が入る事を期待していたこともあり、少し複雑な気持ちで見ていると、「これから数ヶ月後に突然破れる事もあるよ」と職人さんは言った。
ガラスは固まっているように見えて、非常に流動性のある存在だという。陶芸は土と言う生ものを焼くことで固める感覚があるが、ガラスは少し逆の感覚を受けた。漂着したぼろぼろの瓶は窯で焼かれ新しくより生なものに生まれ変わったように、緊張感がある。
出来上がったグラスに光に当てると、置いた台に、様々な瓶の混ざりあわないガラスの層が影として見えて、非常に美しい。何より、実際に見えないが、このコップの中に様々な場所や時間が混ざりあっているということが、不思議な気持ちにさせる。
出来上がったグラスの中の2つを自宅に持ち帰り、家で乾杯した。洗っている時に、コップの中に少し亀裂がピキッと入った。嬉しいような悲しいような気持ちになった。

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