「14歳と世界と境」


昨日終了した展示TCAAで、
「14歳と世界と境」に興味を持ってくれた人が結構いたようで地味に嬉しい。
2013年以来、発表してきたし悪くないと思っていたのに、全然反応はなかったから。(旅する本は反応はあったが新聞に対しての反応は皆無だったかと。)

興味を持ってくれた人が、深く知りたくてこのページまでたどり着いた時のために、作品の表面では見えないプロセスについて書いておこうと思う。いや、自分の頭の整理のため。(殴り書きです)興味ない人は意味がわからないと思いますので。


以前書いた「14歳と世界と境」の記事も添付する。旅する本について。(5ページ目)
https://www.nmao.go.jp/wp-content/uploads/2021/02/news232.pdf

「14歳と世界と境」という作品(シリーズ?プロジェクト?ワークショップ?)は今も継続的に制作していて、
一応、作り方を書いておく。と

①中学校の美術の授業の2コマ(二週間)使わせてもらう。
②1時間目、美術の科目の延長で社会人として活動する職業として”アーティスト”として大切にしていることとか作品の話や子供の頃の話をしながら(職業教育的に”芸術家”という仕事について話し)、「日常を観察すること」の面白さを話す。みんなもやってみよう!と宿題を投げかける。「それぞれの日常から「境界線」を探してください」と。さらに書いた文章の中から、地元の新聞に連載を作ることを発表。匿名でも発表できることなどを伝える。
③自宅や帰り道、家族や友人との関係、いろいろな日常の風景から「境界線」を探してみる。2時間目ではそれを文章として書く。基本、これらの文章は僕しか読まないことを先生にも了解を得ている。それは彼らと僕が共犯関係を結び、新聞の連載を社会に投げかけるため。文章が良くて採用する生徒には一人ずつ放課後に教室に呼び出しをして、実名か匿名かニックネームかを選んでもらい、掲載する許可をもらい、さらに文章を使わせてもらう代わりに僕から境界線の水をプレゼントする(文章と水の交換)。
④前もって交渉していた新聞社の方に出来上がった文章を二つセットにして10回程度の連載を新聞社の担当者と作っていく。毎回連載タイトルのロゴや文章の掲載方法は担当者との話し合いで決めている。
⑤週一で毎回2人の生徒の文章が掲載され続ける。人々が読む。コンビニでも買えるし、学校には送るので生徒たちも読むだろう。自分たちの文章が社会の中で公開されて、紙に印刷され、たくさんの人に読まれている。生徒達もドキドキしているだろう。
⑥展示する場合、掲載誌の連載部分に赤鉛筆で四角で囲み、紙面をそのまま額装して、展示する。ただ、街の中で新聞が売られ連載されている時点で作品としては成立しているが、それをアーカイブする場所を作るイメージで展示を作る。

※基本的に、このプロジェクトは中学校や先生が興味を持って手を上げてもらう必要があり、さらに地元新聞の無償の協力体制や理解も不可欠であり、あいちトリエンナーレに始まったが、その後も芸術祭とのマッチングがとても良く、芸術祭への参加の時に提案させてもらうことが多い。芸術祭側としては地元と関わりたいし、展示会場以外の街中で展示が行われることも期待しているし。つまり国内外の芸術祭を1回1回の連載のように繋ぎながらシリーズを成長させていると言える。ただ、芸術祭のために作ったシリーズというよりは、良い意味で芸術祭の置かれた環境や期待を”活用”させてもらっている。と思っている。
「下道、またあの企画を別の場所でやっている。ちゃんとサイトスペシフィックな新作作れよ」という外野からの声を聞いたことがあるが、国内は愛知と岡山(沖縄は芸術祭ではなく個人で実行)の2箇所のみだし、求められないのにこれ以上僕から押し付けてやる気はないし、その他は一つの国で1回しかやっていないし。それらが、大きな連載のようにつながりながら一つのシリーズ作品になる構想は、爆増する地域アートに踊らされて短期間にサイトスペシフィックな新作を作り続ける事を作家へ強いる現状への疑問と、それに対する自分なりの一つの回答/提案ですので。


それはそうと、
このプロジェクトは複雑だけど、最終的に圧出され抽象化もできているし、何よりやっていて僕自身が苦しくも本当に経験になっている。
毎回、中学校に行き、廊下を歩きながら異物として見られながら、教室で教壇に(先生でもないのに)立って、話し始める瞬間の緊張感、中学生達の眼差しとガチのやりとり、彼らから出てきた文書を初めて読める読者になり、彼らが放課後に会いにきてくれたり、出来の悪そうな生徒がキラキラしてたり、彼らの文章が街の中で新聞連載として大々的に発表されていくことや、新聞社の方とのヒリヒリする交渉や、一緒に紙面を作らせてもらう楽しさや、新聞社の方々の感想を聞くときや、、、、、ホントに全てが緊張感にあふれ、一度だけのライブを作っている感じや、新聞を記録メディアとしてシリーズ作品が出来上がっていくことや、全てが楽しいし毎回感動してしまう。


ただ、これまで、いろいろな場所でこのプロジェクトを作品として見せてきたが、反応はイマイチだった。(プロセスでもある中学校と新聞連載まではいい感じなのだが)、芸術祭での展覧会出品作品としての反応は、本当にかなりイマイチだったと思う。まぁ、ものすごい長いプロセスを経て、新聞の小さい記事を作っているのに、そのプロセスを一切公表せず、新聞記事のみを展示しているのだから当たり前か。と諦めつつ、プロセスをダラダラと展示で見せるのを絶対にやらないようにしていた。
(プロセスを映像にまとめて見せながら、その横に出来上がった物を置く、みたいな作品って正直野暮だと思うし、できるなら「プロセスも内包した物だけ」か、「プロセスが面白いならプロセスのみがより際立つ作品」が良いし、「映像と物/プロセスと結果」みたいなのはやりたくなるけど、どうしても僕には中途半端に感じてしまう。)

多分なのだけど反応がないのは、このプロセスを見せないこともあるだろうが、僕の中では「14歳と世界と境」が何年も続けて成長した状態を頭の中で想像しながらやっているその構想のようなもの、完成予想図のようなものがあまりに分かりづらかったのかもしれないと今になって思う。
例えば、5年かけて作ったシリーズ作品「torii」と比べてみるとわかりやすい。シリーズ作品は出来上がるまで公開せず、何年も旅をしながら撮りたまり編集が出来上がった段階で初めて発表される。プロセスなどはもちろん公開しない。逆に、台湾で撮影した写真を採れたてで台湾で発表するとか、韓国で撮影したものを韓国で発表するかと、、、そういう感じでプロセスごと見せながら徐々にシリーズとして完成する、そういう作り方を「14歳と世界と境」ではやっているようなものかも。いや、逆算しながらやっている1回1回も成立するよう作っているんだけど。
今回TCAAでは初めて今までのアーカイブ展としてシリーズ作品的に見せられる機会になって、ようやく全貌が伝わったのかもしれないし、だから今回、初めて、反応が返ってきたのかも。(2019年に香港の大館美術館でもアーカイブ展を行なったが、その時も反応はイマイチだった。)8年続けてきたし、来年はデンマークでの開催が決まっているが、「14歳と世界と境」は間違っていなかったし、まだ成長して、下手するとA面作品になるかもしれない。

さて、
もう少し踏み込んで別の角度から書いてみる。

「14歳と世界と境」は、”作品”として、変な構造を持っている。
生徒たちにとっては「ワークショップ」であり、新聞読者には「連載」であり、美術館の来館者にとっては「プロジェクト作品」として映るように、時間によってプロジェクトの”役割”が変化していくのだ。もちろん意識的に。つまり、まず、中学校を舞台に生徒たちが体験する時は、アーティストが美術の授業にやってきて、自分の仕事のことや日常を観察する方法を聞いて、自分でも日常の観察を行って、その文章が地元新聞に連載として載るという出来事。次に、僕は新聞社の方と協働して連載を作るが、その新聞を舞台に人々が体験するのは、新聞を購入して読むと毎日の様々な記事の中に、中学生が書いた文章と出会う出来事。さらにその先に、美術館でこのプロジェクトを見る人は、すでに国内外様々な場所の新聞で連載された新聞紙(に連載の部分だけ作家が赤鉛筆で囲んだもの)が額装されて並んでいるのを鑑賞することになるだろう。で、僕は、ワークショップという中学校でのライブ体験を作ることと、その成果を別の形で社会の中にぶつける場所を作ること、さらに新聞紙面の束という形で美術館に持ち込む、という全体のプロジェクトを設計して形にしている。

プロジェクトは中学校や生徒たちや新聞社の協力によって成り立っているし、下手すると作家作品への搾取構造になるかもしれないので注意している。(ワークショップで子供の作った●●を使って、最終的にはアーチストが大きな作品を作りました、という時に搾取は起こりやすい。)そうならないように「ワークショップ」「連載」「プロジェクト作品」というのをプロセスを同等の力で行ない、それぞれがその場で成立するように心がけている。プロセスを展示で見せないのはそのせいもある。多分、「プロジェクト作品」にすることだけに力を入れると搾取の構造が生まれるのはないか。


僕自身、美大で教員免許を取得まではしたが、常勤として中学教師/高校教師になることは考えなかった。でも、どこかで、中学校の美術の授業の可能性を感じているのは確かだし、「14歳と世界と境」への想いはそれもあるのだと思う。毎回、常勤の先生への敬意を忘れないようにしながら、思いっきり普通の授業ではできない授業をやってみる。生徒も先生もびっくりするが、上手くいくとものすごいグルーヴ感が生まれる。

岡山のある中学のクラスでは、少しやんちゃな男子が一番後ろに座っていてクラスの空気を支配していて。さらに、他の男子のグループが前を向かず会話をしていて、明らかに授業を妨害する空気が流れていた。結構辛い状況の中で聞いてくれている生徒に集中して授業を進めていると、一番後ろの席のその男子が急に「お前ら黙れ!授業が聞こえん!」と男子グループの態度を制した。放課後に担任先生から「彼が今まで一番興面白い授業だった」と興奮してたと教えてもらった。
他にも、フランスのパリ郊外の少し荒れている中学校で授業をやった時、やはり何人かの生徒の妨害によって、授業が進まないとき、こちらから「じゃ、僕が中学生の時に好きだった歌を歌うから聞いてよ」と言って、歌を歌った。そうしたら少し空気が良くなったので「誰か、好きな歌を聴かせてよ?」と聞いたら、何人かが教壇に立ち、歌を歌った。それは何かメッセージソングだったみたいで、みんなが聞き入った。そのあと、授業の集中力がすごく上がっていったし、「授業面白かった!」と感想を言ってクラスを出て行く生徒がいた。他のパリの学校でも、放課後に一人の女の子がわざわざ残っていてくれて、授業の感想を一生懸命伝えてくれたり。韓国では、日本のことや歴史のことを質問してくる生徒に面と向かって色々話していると、質問大会みたいになったり、校長先生が授業内容を気に入ってくれて話し込んだり。
一つのクラスを1年間担当するという先生の仕事は本当に大切だし難しい仕事だし、
僕がやっているのは”美味しいとこどり”なのかもしれないけど、
何か重要なことに少しだけだけど関わらせてもらっている責任を感じながら、毎回楽しみながらやっている。

あと、このプロジェクトで、作品では見えなくなる、影の立役者。すごく大切なのが、通訳さん。
結局、僕の話たギャグやメッセージはその通訳さんによって生徒に届く訳で、教壇という舞台で僕と通訳さんは一心同体で、毎回授業の後に、反省会をしながらライブをより制度を上げて行く。文章を読むのも大変だし。

まぁまぁ、長くなってしまいましたが、「14歳と世界と境」について、作品では視覚化されていない部分を思いつくままに書きました。
いやもちろん、作品を見るのに必要な情報ではないので。