14歳の小さな風景/旅する小さな物語

14歳の小さな風景/旅する小さな物語


 時が過ぎ、忘れられられてしまうような些細な日常を、記録しながら世界を旅して本にまとめてみたい。そんな活動に憧れていたのは大学時代に出会った『忘れられた日本人(宮本常一著、一九七四年、岩波書店)』を読んで以来だろうか。

 かつて、そんな表現活動に最も適しているのは「旅をしながら、雑誌に連載してプロジェクトを進め、最後に一冊の本にまとめる」という手法だった。大学卒業後に、旅をしながら制作した作品を手に様々な出版社を回った。そして一度だけ、雑誌連載と本の出版を経験した。ただ、僕が大学生の頃にはまだまだ元気だった雑誌や書籍はインターネットの台頭によって次々に出版が難しくなり、さらにスマホの普及で誰しもが日常を記録しアウトプットするような時代の急激な変化を肌で感じながら、表現手段を常に模索してきた。そんな中で、2012年に自分自身で小さな出版社を立ち上げ自ら本を作り販売を始めた。さらに、もう一つ、地域に根ざした芸術祭や展示への参加が増え、2013年よりそれらの枠内で、それぞれの土地の人々のインタビューを行い、それぞれ別の土地の新聞内に同じ連載を行なっていくことを始めた。それが「14歳と世界と境」というシリーズ。

 具体的には、様々な場所の中学校で特別授業を行い、授業の中で生徒たちに「あなたの日常にある境界線を探してきてください」という課題を出した。数日後、2回目の授業内で、彼らは日常の中から見つけたそれらについての文章を書く。彼らが書いた文章は、地元新聞の協力を得て紙面上に小さなコーナーを作り週1回の連載として発表した。彼らの小さな世界の境界線の話は国際問題などの大きなニュースと並んで発表される。

このプロジェクトは、あいちトリエンナーレ2013、アジアン・アート・ビエンナーレ2013(台湾・新聞連載は実現せず)、岡山芸術交流2016、光州ビエンナーレ2018(韓国)その他、香港や、今年(二〇十九年)はフランスで行う予定で進行している。生徒たちの文章を少しここで紹介したい(引用は原文のまま)。


・男女に違いがあるため、私は男の子と存分に遊べない。小さい頃はこんな感じはなかった。以前、ある男の子とすごく仲良くしてたが、いつも周りから付き合ってるみたいと言われたから、一緒に遊ぶのも気をつけるようになった。
(香港の14歳/将来の夢:看護師)

・僕は今まで犬を2匹飼ったことがある。一匹は、2年前にあの世に行って、一匹は1年前に連れてきて今飼ってる。今飼ってる犬を見るたびに死んだ犬のことが思い浮かぶ。死んだ犬によくしてあげられなかったから、今の犬にしてあげること全てが、死んだ犬を差別してる気にもなる。だけど死んだ犬は死んだ犬だし、生きている犬は生きている犬だ。死んだ犬に申し訳なさとして、今いる犬によくしてあげて、できることをしてあげるのが正しいと思う。
(韓国の14歳/ 将来の夢:小説家)

・僕は家で生物を飼うのが好きです。魚は飼ってもいいんだけど、この前に蛙を飼ったら、「汚いから飼っちゃダメ」と怒られました。なので、虫やカエルなどはこっそり裏の外で飼っています。
(日本の14歳/将来の夢:親の仕事を継ぎたい)

 中学生の心はいつも揺れている。その理由のひとつは、大人の社会の”常識”をまだ受け入れられない境界線の時期だからなのではないか。ただ、彼らはすぐに大人になり、”常識”を身につけていく。彼らの言葉にはまだ「常識に対する疑問や反発」がある。そして、彼らの小さな世界の境界線の話は、大きな世界の境界線を越えて世界を繋ぐ力を秘めているのではないか…。僕はこのプロジェクトでそれをすくいあげて形にしたいと思っていてる。

 2019年3月、香港の大館現代美術館でこの14歳のプロジェクトの展示をした際に、このプロジェクトを本にまとめることになった。日本語、中国語(繁体字)、韓国語、英語の4ヶ国語で読める本。300部制作。ただ、”販売はせず”、”朗読会を開き無料で配布する”ことを計画している。読み終わったら人から人へと手渡され、本が旅をする仕掛けを考えた。その理由は、中学生の文章を自分が売り物にすることへの疑問があったし、何千部も本を印刷してその本がどこかの誰かの本棚に並べられて眠ってしまうよりも、印刷は少部数でも特定の誰かが所有しないシステムを考えた方が本がより生きてくるのではないかとも考えたから。特定の空間に結びつくことがない図書館の蔵書や美術館の作品みたいになってほしいが、果たしてうまくいくだろうか。まずは、香港から50冊が旅立った。
もしかすると、ある日、あなたの元に誰かからこの本が巡ってくるかもしれない。その時は少しの間を共にしていただけたら。

(「国立国際美術館ニュース232」掲載)