2014年 1月5日 朝8時前


2014年 1月5日 朝8時前
コーヒーのフタをポンと開けて中を覗き込む。
豆がだいぶ減ってきていてる。あと10杯分くらいだろうか。
先日、内祝に後々田さんからもらったコーヒー豆だ、と気がつく。
急に悲しくなってくる。
豆は早く飲まないと古くなってしまうし、飲んだらどんどんなくなってしまう。
2杯分少し少なめに取る。椅子に座って、ミルをまわしてコーヒー豆をひきながら、涙がこぼれてくる。
良いにおいが漂う。

温かいコーヒーを手に机につく。

昨日見つけた、ちょうど4年前に書いた日記を貼付けてみる。


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書類つくりに追われている。
息抜きに、書くことにする。


展示中の梅香堂について。

ここは去年の秋にオープンした。
梅香堂は、和菓子屋ではない。
トタンのバラックのような倉庫を改装した秘密基地のような場所で、寝るとこもシャワーもトイレもピカピカのが付いていて、アーティストが一人滞在しながら制作し展示もできる、町ともマッチしている(駄洒落)、「過去からやって来た妙に近代的なシェルター」のようなスペース。
川の側に建っていて、台風が来たらそのまんま川にどぶんと行ってしまいそうな、そのまま、海まで流れて行きそうな…、それいいね、旧ユーゴの監督の映画みたい。

で、
オーナーは、今まで美術館などで学芸員として一線を走ってきながら、50歳を前に突然の転身(ドロップアウト)して、この大阪の画廊ひとつない超下町に、このスペースを作ってしまった。
長野でそば打ちをはじめるように…?
いやいや、何か違う…。「アートってなんや!?それ儲かんのか!?食えんのか!?」そんな大阪の下町に、「なにかよく分らない『場所』」を作ったのだ。
最近、町の人もおそるおそる近寄って来ている。
おかしなキャラの常連も増えて来てる。
なにか、はじまりそうな空気が満ちている。
窓から見える川には鴨がプカプカ浮いている。

僕はというと、
「新しいことをはじめた」
ここのそんな新鮮な空気を大きく吸い込んでいる。

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2010/01/04 01:11


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2010年年始、ちょうどこの日記を書いた頃、まだオープンしたばかりの梅香堂で、僕は展示させてもらっていた。
さらに、日記内で書いている「書類」というのは、アーティストインレジデンスTWSへの応募書類。
推薦状の一枚は後々田さんに書いてもらった。
本当に素晴らしい推薦状を書いてくれた。
お陰で合格し1年間東京で本当に素晴らしい出会いと経験をすることができた。

その半年くらい前に僕は後々田さんと出会った。
2009年夏、僕は山口での花火打ち上げのプロジェクトを終えて、そのまま、偶然にも大阪の梅香に住み始める事になった。理由は、その夏行なわれた「水都大阪」というアートイベントの為の作家や関係者様の臨時の宿の管理人として働く為。2ヶ月の期間限定の住み込みの季節労働。管理人仕事を始めてみると、昼間はお客さんもいないので、シーツを洗ったりしつつ、大阪の梅香という下町を散策するのが日課となる。梅香は工場で働く労働者の住む下町で、消毒されていないノイズが多くて本当に散歩していて楽しい。それを『昭和』とか「懐かしい」で片付けるのにはおしい程、「大阪らしい汚さと活気」を持っている町。(後々田寿徳・リレーコラム「大阪の優しさ」http://www.nettam.jp/topics/column/88/

「梅香に変わったスペースを作っているおじさんがいる」
最初はそんな情報だったと思う。
それが、梅香堂と後々田さんとの出会いだったと思う。

梅香堂はまだ、オープン前で、真新しい本棚に本を入れるのを手伝った。
「傷だらけの天使」のサウンドトラックが流れていた。「ここはこの人の秘密基地なのだ」と思った。
宿に来るお客さんを連れて、よく梅香堂に遊びに行くようになった。飲みながらたくさんの話しをするようになった。お金がないといいながら、いつもおごってくれたのはいつも心苦しかった。後々田さんは多くは語らなかったが、梅香堂をつくるにあたった経緯をぽつりぽつりと話してくれた。
「嫌なことをしていることを感じないように麻痺させながら生きて行くのが嫌になったんだ。あと10年遅かったら、もうこんなスタートは切れなかっただろうなぁ」
と大学教員を辞め梅香堂を始めた事を話していた。
後々田さんは、福井での学芸員生活→ICC学芸員→東北芸工大教員→梅香堂と、7年周期ぐらいで、今の場所に疑問を感じて、それを無視せず、変化し続けてきたのかなぁ、、と想像する。だからか、梅香堂は古ぼけた雰囲気でまったりとしているけど、どこか刺激的で新鮮だった。
そして、福井県美での経験も、ICCでの経験も、東北芸工大での経験も、あったから、梅香堂はあのような唯一無二の存在として、様々な年代の人が集う奇妙な場所になったのは間違いない。


:::::::「梅香堂日記」より:::::::::

『『大阪人』に紹介いただきました』   2010/10/01 13:13


『月刊 大阪人』11月号「特集満開此花区」に、梅香堂をご紹介いただきました。ありがとうございました。

関西以外で販売されているのかどうかわかりませんが、本屋さんに立ち寄った際にでもご笑覧いただければ幸いです。

此花メヂアさんも紹介されています。

最近、こうしたメディアへの露出がちょこちょことあるのですが、それにふさわしい活動をしているのか、と問われるとお恥ずかしい限りです。

梅香堂は家族をはじめ、友人知人の方々などの有形無形のサポートによってかろうじて続いているような状況ですが、今後ともご支援お願い申し上げます。

昨夜は下道君来堂。いろんなプロジェクトでほんとに忙しそう・・・。

先日KOSUGE1-16の土谷君とも話したのですが、日本ではアーティストは忙しくなればなるほど持ち出しが増えて、貧乏になっていきます。

彼や下道君のようなプロジェクト型のアーティストは、作品が直接お金に結びつくことが難しいためです。

日本のアート業界は、展覧会やイヴェントでアーティストを「消費」していくだけで、こうしたアーティストを「サポートする」という意識が低いように思います。

私にもっと力があれば、彼らのようなアーティストをサポートしていきたい、といつも思いますが、現実は厳しい。話を聞いてあげること(反対にいつも愚痴ってるような・・・)くらいしかできないのが残念です。

ただ、美術館などに勤めていたころとは異なり、最近はアーティストとのいろんな意味での「距離」が小さくなってきた、と感じます。つまり、彼らの気持ちがよりわかるようになった気がします。

単にビンボーになったから?かも知れませんが、それだけではない。社会的な立場が近くなったからだと思っています。

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梅香堂がオープンしてすぐに展示をさせてもらった時、
オルタナティブ・コマーシャル・ギャラリーを自称する梅香堂がはじめて販売した作品であり作家になったのは光栄な事だ。
「美術館で雇われた学芸員だった頃は分からなかった…」と話しながら、小さな自分のスペースで、若い作家が厳しい環境で制作をしている事を良く理解してくれて、控えめながら懸命に営業を行なってくれていた。
その後、岡山や水戸や東京まで僕の展示に足を運んでくれて、
「展示はむずかしいな…下道くん…」
とあの口調で、いつもしかられ。。時々褒められ。。
出がらしのお茶と酒を飲みながら。
そして、いつもお別れのときは、見えなくなるまで見ていてくれる。

2013年末、今回は、梅香堂4周年記念に、4年ぶりに2回目の展示をさせてもらった。
展示のオープニングの夜中、後々田さんの姿を探して1階に降りると、ひとりでぽつんと椅子に座って展示を眺めていて、
「いい作品だな、感慨深いなぁ…」
とはなしてくれて、とてもうれしかった。

本当に大切な人を失ってしまった。
残念でならない。。
俺の展示、途中だぞー!

僕は、大学を卒業するまで、学校とか先生という存在を無視したり反発してきたとおもう。自分でえらぶ事をせず、なのに、ひかれたレールには乗りたがらないたちの悪い生徒だった。
大学を卒業して、引っ張られていた糸やレールが全部外されてみて、はじめて「自分は何がしたかったのか」「何をしていくのか」を徐々に考えるようになって、自分や人と向き合うようになった。本当に遅すぎるしバカだ。
その後、自分也にあまちゃん也に歩み始めたが、本当にいろいろ甘かった。
そんな僕にいろいろな事をわざわざ教えてくれる先輩が何人もいてくれたのは幸福だった。それでも気がつかない僕を時にしかってくれた。
「誰に影響を受けましたか?」とか「誰が師匠ですか?」みたいな事をたまに聞かれるけど、僕は自分のせいで、学校では師匠と呼べる関係を作る事ができなかったが、卒業後10年で何人かの師匠というか先輩というか先生というかそういう人に出会えた。
後々田さんもそんな存在だ。
永久欠番。

最近でもたまに教えていたみたいだし、名古屋だったし、行っとけば良かったなぁ。
http://prj.smt.jp/~r2012b/?p=30

不思議なのは、後々田さんの死は、多くの人たちによって今からの未来に対して、生かされていく気がしている。
僕の中でも、既に現像され定着し始めている。
ただ、もっともっと会いたかったな。。
もっと褒めてもらいたかった。しかられたかった。。
いろんな話しをしたかったぁ。。


:::::::「梅香堂日記」より:::::::::

『死者のブログ』 2010/09/15 18:18


以前、Yangjahさんとホームページの話になった時、私が独自ドメインを取ってブログなども統合したら?と話したところ、「無料ブログは、書いていた本人がもし亡くなっても、その運営会社がある限り残り続けるのでよい」と言われて、「なるほど、確かに」と思ったことを想い出しました。

独自ドメインやレンタルサーヴァーは、維持費を支払い続けないと消滅してしまいます。亡くなった個人が運営されていた場合、そのご遺族などが維持し続ける例は多くはないでしょう。

「たかがブログなんて」と思う方もおられるでしょうが、個人のアーカイヴとしては貴重なものであり、一般人がその方を偲ぶ唯一のものである場合もあると思います。

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これを書きながら、後々田さんの日記を読み返している。
ここからもまだまだ学ぶ事があるな。前進。
文章化するというのは、自分の中で定着させる作業で、思い出があふれてくるのと、同時に過去になっていく感じとで、泣けてくる。後々田さーん。。

http://gogota.iza.ne.jp/blog/


:::::::「梅香堂日記」より:::::::::

『虫のいろいろ』   2010/08/12 23:26


小学校四年生の姪っ子の夏休みの宿題(生き物観察)のために、老父が庭から大きな芋虫を採ってきました。

姪っ子たちは「キモい〜」と大騒ぎです。

この芋虫、実は一昨日妹(姪の親)が見つけて、「キャー、でっかい芋虫がいる〜」と叫んだため、老父が裏庭に捨てに行ったやつらしい。

黒々とした長さ5cmを超える芋虫。頭が大きく、紫色の斑点をもつ彼は、おそらくアゲハチョウの幼虫でしょう。この幼虫は鳳仙花(妹たちが苗を持ってきたらしい)の葉を食べていました。

アゲハの幼虫は食べる葉を選びます。たとえば山椒の葉など。ですから産卵する場所は限られている。

そんな話を老父としたら、「そういえば毎年、庭に大きなアゲハチョウが来る」と話していました。私も見たことがあります。

ひらひらと縁側にまで入ってきて、「おや、母親の生まれかわりかな」なんて思ったことを思い出しました。

彼は昨夜台風の中、裏庭から庭まで戻ってきたのか。

虫に人格を投影する精神は、小泉八雲の指摘を待つまでもなく、われわれに共通する心性なのでしょうか。

空き瓶に入れられ、鳳仙花やレタスの葉を必死にかじっている彼を、小四の姪っ子は「意外とカワイイ〜」と、ながめていました。

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僕もよく虫とか蛙とかに人格を投影しますが、この文章、日本人っぽいし、優しいなぁ。


:::::::「梅香堂日記」より:::::::::


『5月9日に思う』    2011/05/09 22:34

今日、5月9日は、二年前に大阪に引っ越してきた記念日です。

もちろん梅香堂はまだ廃屋のような倉庫で(今でも外見は変わらない?)、大阪に知人などもほとんどいませんでした。

その後半年かけて倉庫を改装し梅香堂をオープンしたのですが、もうそのころの記憶が薄れつつあります。まさに「無謀」な計画でしたし、そもそも「計画」すらなかったとも言えますが、とにかく二年間大阪で生きてきました。

私を物心両面で支えてくれた家族、ご援助下さった大家さん、大工さん、作家のみな、関係者の方々、多くのお客さん、そして私のパートナーとそのご家族に、心より感謝申し上げます。

もう歳ですので、この二年間で成長?したことはあまりないと思いますが、決定的に知った─痛感したことがあります。それは「はじめて作家の気持ちが理解できた」気がしたことです。

かれこれ四半世紀もこうした業界にいながら、なぜ今さらそんなことを言うのか。それは私がいわゆる「サラリーマン」だったからです。何だかんだ言っても、実際に「アートでお金を稼いでいる」人は今の日本にどのくらいいるのでしょうか。私が経験した学芸員、大学の先生は「アートでお金を稼いでいる」人ではありません。行政などの補助金や助成金を受けるのも、お金を稼いでいることにはならないでしょう。

つまりこの国で「アートでお金を稼ぐ」ことの困難さを、ほんとうに知ったのです。そしてそれは同じ立場にある作家たちと共通するものであることも。

正直に言って、梅香堂をいつまで続けられるのか、今の私にはわかりません。ただ、この二年間は楽しかった。ちょっと大げさですが、幸せな二年間でした。できうるならば、どんなことをしてでも続けて行きたい。

吹けば飛ぶようなスペースですが、今後ともご支援、ご鞭撻をお願い申し上げます。

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:::::::「梅香堂日記」より:::::::::


『前谷康太郎展終了・ありがとうございました』     2011/07/04 00:45

本日を持ちまして、前谷康太郎 「(non) existence」展は終了いたしました。

お忙しいところ、また暑い中、おいでいただきました多くのみなさまに、前谷君ともども心より御礼申し上げます。

前谷君はまだまだ無名と言うべき若いアーティストです。しかしながら彼はアーティストにとって、必須の才能を持っている。

それは「人の言うことを聞かない」こと。すなわち、「頑固」であるということ。これは大切です。

頑固者にあれこれ言い続けることは大変ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

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(爆笑)