[ 戦争のかたち/Remnants ]


2001 - 2005




 ある日、東京郊外の団地の片隅で戦争の遺物と遭遇する。弾痕の無数に残る廃墟だった。薄っぺらく感じていた日常の中に突如「戦争」を発見した僕は、それ以来暇を見つけては、カメラを手に遺構を探すようになった。
 初めて触れる戦争時代の建造物の超機能的な形は(不謹慎なのかもしれないが)美しく感じられた。敗戦以来、忘れられ/忘れようとされてきた戦争の建造物たちは、忘却のなかで60年という人間の営みの中に埋没し、「住居」「子供の秘密基地」などそれぞれ新たな機能を与えられ生きていた。
日本全国に残る旧軍事施設跡を4年かけて取材したシリーズ。




The subjects of SHITAMICHI Motoyuki's photographs are unusual landscapes that he discovers during his travels, and he is chiefly concerned with the memories of the past that they contain.
He photographs abandoned military structures and equipment, such as pillboxes and batteries, that have been left to deteriorate during the 60 years since World War Ⅱ. Although these images may cause people to think about the negative aspects of the war, the artist does not intend to make a histrical point. He is primarily interested in the strangeness and abruptness of the presence of wartime ruins in an ordinary landscape. He is also attracted to the strange formal qualities of these objects. By basing his work on this subject, he traces apart of the history of this country which is being forgotten.






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掩体壕 Hanger





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砲台 Battery/Fortress





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●高射砲台跡に住む
 大阪の下町、東淀川区淡路。ここに戦後棄てられた高射砲台跡に暮らす人々がいる。 現在、道路建設予定地内にあり、取り壊しの危機にあるそうだ。周囲は新しいマンションが建つなか、道路はすぐ目の前まで開通している。しかしその一帯だけ開発はストップし昔と変わらない懐かしい空気が漂っていた。高射砲台跡は、すでに庶民的な生活感が染みついているが、コンクリート打ちっ放し具合が意外にもデザイナーハウスのようにも見える。現在は3基が住居、1基は鉄工所の基礎部として利用されている。住民の1人、Fさん(84)は取材に来た僕を砲台住居の中へ招き入れ話を聞かせてくれた。居住スペースは当時砲座の下の階、弾薬庫の部分。天井は少し低く感じられたが、中は意外に広く、居間やキッチンなどいくつかの部屋がしっかりと作られている。外に比べ内部はコンクリートが露出している部分も少なく、普通の家と全く変わりない空間がそこにはあった。

ーここに住まわれた経緯を教えて頂けますか。
「昭和16年に海軍に入隊、ミッドウェーの海戦にも参加してました。巡洋艦で兵隊を輸送する船の護衛をやってましてね。ガダルカナルで砲弾の破片で負傷して奇跡的に生きて帰ってたんです。その後は大阪で商売してまして。ここに住み始めたんは、昭和47年やったです。そん時ここに住んでた人がおって、ほかに移る言うんで譲ってもらったんです。おたくら、まだ生まれてなかったでしょ(笑)。移ってきた当時は、砲台そのままやったけど、ここで5人で住もう思いましてな。最初は住みづらい思いましたけど、改装しながら住み始めたんです。その頃はこの辺もどぶ川が流れてて、今みたいに建物もなかったですね。ここ10年ですよ、高い建物が建ったんは。」
「昔はここに戦争中おった陸軍の人も来はって、大阪を空爆に来たBー29を1機だけ落とした言う話はしてましたけど、もう亡くなられたんか、最近は来られませんね。私らも海軍で艦砲射撃とかもやりましたから分かるんですけど、飛行機撃ち落とす言うのはなかなか難しかったんですよ。あの当時技術も進んでなかったからね」
ー道路建設の話もありますが、土地の権利とかはどうなってるんですか。
「そうそう、十三吹田線言うてね。大阪市の予定ですねん。ここももう大阪市の土地になっとるんです。終戦後は農地委員会や個人が土地を持ってまして、40年位前に大阪市が道路つくるから買うたんでしょう。始めに道路の説明に来たんが30年位前ですけど、そのままになっとります。最近もここら7軒に立ち退きしてくれ来たんですけど、まだ当分このままですねん。(高射砲台跡の)保存運動も最近はしてもろうてるけど、なかなか道路は変更できんらしいですわ。もう、道路迂回させる他の土地もないですから。」
ーこの建物自体は誰のモノなんですか?
「元々は国のもん。まぁ、軍隊が建てたからね。でも、大阪市が財務局に帳物(権利書)を調べに行ったけど、もう無いらしいですわ。そんでまぁ、入居者のもんになってるわけですわ。書類とかは何もありまへんけどね。」
ー住み心地はいかがですか?
「夏は涼しいよ。中はね。昔はこの辺、鉄筋なんか少なかったから、台風とかごっつ風の強い日になんかは、避難さしてくれって来たりしてましたよ。阪神大震災でも、中におったら平気なくらいでね。60年以上も経っとるけど、雨漏りもひとつせえへんからね。
「住めば都」言いますけど、丈夫やし、屋上(砲座部分)では畑もつくれるし、なかなか住みやすいですわ。」

終戦後役目を終えたはずの建物は、移り変わる町の中で「居住空間」として価値を見いだされ立派に生き続けていた。それだけども驚きなのだが、戦争の記憶が薄れつつある近年、さらにもう一つ新しい価値も加わった。それは「戦争を学べる場所」であること。毎年終戦記念日が近くになると、地元の小学生がたくさん砲台を訪れるため、住人達は連日大忙しなんだそうだ。

(2004年)

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写真集「戦争のかたち」(リトルモア)/ Photo book [Remnants]



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