韓国滞在

●韓国3日目

韓国ソウルに来ている。いや、帰れないでいる。
高松ーソウルの飛行機も1時間45分、近所のスーパーにでも行くような短パンT シャツサンダルで、東南アジアバックパックスタイルのようなラフなスタイルでやってきた。京都や大阪(もちろん東京)などへ行くよりも、近所の感覚。
目的は、韓国の天安市美術館でのグループ展の搬出。シリーズ「沖縄硝子」を出品していたが、このガラスの作品は輸送すると非常にお金がかかるので、搬入搬出ともに手荷物と預け荷物にギッシリと詰め込んで運ぶことになったのだ。
5月31日、夕方に仁川空港に到着するとすぐにキュレーターから「今ちょうど最終日の展示を見てソウルに帰ってきたから、夕飯でもどう?」とメールが入り、宿泊先のソウル駅周辺のチキン唐揚げの韓国式居酒屋で待ち合わせて、労を労う。彼女とは10年以上の仲で同年代。最近の近況を報告し合う。中堅でフリーランスの生き方に共感も多く、良い時間を過ごす。帰りにコンビニでマッコリを買って飲みながらダラダラして寝落ち。
翌日6月1日、朝からアシスタントキュレーターと一緒にソウルから1時間の美術館へ向かい、搬出を済ませる。今回日程は、飛行機でソウルへ行く1日目、美術館へ行き搬出しバッグに作品を詰めて撤収する2日目、高松へ帰る3日目、という搬出仕事のみでそれ以外の予定は入れられないタイトなスケジュール…、そこで事件が起こった…台風で便が欠航になった。
台風が帰る日に四国に直撃することはもちろん、出国前からそれは知っていたが、展示はこのタイミングで片付けないといけないし、もしかするとギリギリ台風が来る前に帰れるかもしれない見込みがあり、韓国行きを決行したが、やはり昨日、美術館からソウルへ帰る電車で欠航を知り、すぐに飛行機を変更することになった。しかし、高松ーソウルは1日1便、帰国予定日6月2日とその翌日6月3日が欠航になったため、2日間ソウルに滞在することになった。この2日間、直島やその周辺で仕事の予定は全てキャンセルにせざるえなくなった。
それは、誰も知らない異国の地で、妻も子供もいない一人で、仕事もやることも決まっていない、誰でもない自分の空っぽの時間が急に生まれたのだ。

●韓国4日目

空白の1日目、ただの異国のバックパッカー状態になったので、まずはソウルの美術館巡りを。
朝、ホテルの近所をコーヒーを買いに歩いてみると、この辺りが意外とおしゃれなエリアだったのがわかった。昨夜は人気の参鶏湯屋に行った。観光客なんかがいない店で、店員さんや他のお客さんを見ながら、初めて韓国に来た20年前のように日本人ということで壁を感じることが少なくなかった印象を受ける。
コーヒーを買ってホテルで日記を書く。その後地下鉄で安国駅で降りてフラフラしながら、MMCA現代美術館にいくが、この日から国立美術館を火曜日休館になったらしく、ダミアン展はお預け。そのままアートソンジェへ。こちらは開館していて、地下のシアター空間も大胆に使ったジェンダーを扱う展示。このエリアは完全に観光地でお土産物屋やカフェばかりだから、歩いて楽しくない。夏日、お気に入りのクラフトビールやでIPSを飲みながら本を読む。その後、目星をつけていた最先端のキンパ屋さんで遅い昼食。その後、再び地下鉄でリウム美術館、ティノセーガル展、初めて彼の展示を見たがやはりいいね。リウム美術館近辺はポケットwifiの電波が誤作動を起こすようで、位置情報が得られなかったが、このあたりが高級住宅街であることも関係している?
夕方になってきて、リウム美術館から地下鉄でホテルのソウル駅まで帰るのも勿体無いので、山側をショートカットして5kmくらいだろうか歩いて帰ることに。リウム美術館の裏は超高級住宅街、それを抜け大通りを渡る逆に、ボロボロの路地や住宅密集エリアに切り替わる。南山の麓でソウル駅の方が一望できる眺めのいいエリア。長崎や尾道のような山の斜面に古い住宅がひしめき合い、その古い街並みを若者たちが移り住みおしゃれなエリアになっている。地図に「解放村」と書かれていて調べてみると、どうやら戦前日本人が住んでいたエリアで、その後1945年の終戦(解放(光復)後、帰国した人々や北の故郷に戻れなくなった人たちが定着し、バラック小屋が密集する貧困層のエリアだったという。街自体がイキイキしていて、景色も綺麗で観光客というよりは韓国の若者が集まっている感じ。アップダウンも激しく汗だく、クラフトビールやで一杯。全部で2時間くらい歩いてホテルへ戻る。近所の焼肉屋で冷麺屋を食べて、ベッドでyoutubeをみて寝落ち。普段は娘に本を読み聞かせしながら、一緒に寝落ちするので、この6年で一人でホテルで静かに眠れない体になってしまったのかも。

●韓国5日目

台風によって帰国できず、誰も知らない異国の地で、誰でもない自分の空っぽの時間が急に生まれた。そこで僕自身の今の状況や未来についてぼんやりと考える時間になっている。
だから過去や未来のことを、少しここに書いてみようかなぁと思う。

欠航、いや結構。マジで書くのすが、心配はしないでください。私は元気です。

2019年ヴェネチアに参加し、2020年から直島に移住して、直島のプロジェクトと外での展示や教育やイベントの仕事で、結構忙しく動いていた。しかし、すでに2019年にこんなことを考えていたのだが、「きっと私はヴェネチアの後、多くの業界の人が一気に認知して”中堅”になり、徐々に仕事もスローペースになるだろう。私の場合、ヴェニスの機会や知名度をコマーャルではうまく使えそうにない作品スタイルだから、あえてマーケットから距離をとって、それを反転させるような活動を田舎でランニングコストを下げつつゆっくりと動いて、娘の育ててにもしっかり関わろうかなぁ」と。ある意味で業界的には天邪鬼な動き。それがちょうどコロナ禍もきて、地方でゆっくり地元や娘と向き合う時間、すごく充実した時間を送った。直島で地域との関わりとして始めた「子供の表現の塾」「直島窯工研究会」「直島写真研究会」などで培った身体は派生して、東京の新美術館での表現の塾を作る「新美塾!」(2021-2024)や、京都芸術大学でのアートとクラフトの院生への客員教授(2023-)としての関わりなどもつながっていった。つまり、ヴェネチアの後5年ほどは、急に島に定住しアーカイブを作るプロジェクトをメインで制作しながら、教育関係の仕事も意識的に作ってきた。

そして2024年あたりから、その予想はもっと現実になる。しっかりと「中堅」になってしまったというか、今までメインの仕事でもあった美術館や芸術祭の展示やプロジェクトを作る仕事は激減していった。昨年2025年は「これが中堅の壁ってやつかぁー!」と思うくらいの状況。今年2026年は展示は3本、あと月一回イベントが入っている程度。いや、美術館や芸術祭での展示に参加することはとても面白いし経験や学びにもなってきた、それは若い人々に譲るタイミングなのだりうし、自分で別のやり方から作る時期にきているのは理解しているし、だからこそ、直島に移住した自分のプロジェクトスペースを作ってきたのは正解だったと言える。多分、与えられるのではなく与える側になれるかの挑戦でもあるのだ。

しかし、もちろんそれも予想していたことではあるので、2年ほど前から次の挑戦への下準備や調査を始めていた。
もちろん今でも、中堅の壁と言っても、直島での日常と月2日の大学の客員、あと展示やイベントや文章を書いたりと、そこまで暇ではないんだけど、今までよりは欠航、いや結構、時間がある。でも、働き盛りでもありもっと仕事がしたい。なのに、この韓国の2日のように、2-3年くらいポッカリ時間が空きそう。河原でガチ草野球チームをやるように、私の場合は島でさまざまな研究会を主催し地域の文化に関わりながら、昨年から自ら企画を「持ち込み」を開始した。色々アイデアやできるスキルはすごく溜まってるんだけど、意外とそれをアウトプットできる急激に減少傾向ているなら、自ら持ち込もうと。編集者やキュレーターからは「こんな規模で予算の企画に下道くんは呼びずらいよ」とか言われつつ(これはただの言い訳かもしれないが…)、場所や機会を与えてくれる人もいて本当にありがたかった。

お金的には、死なない程度に回ってはいるし、地方でしっかりと子育てしているんだけど、子育てでは今後もっとお金がかかりそうだし、妻との関係性も変化してきているし。ま、次のフェーズを自分で新しく作るしかないのだ。直島の後の10年のデザイン。誰もやってくれない、自分でやるのだ、DIYで。

その中で、この数年、直島の”忘れられた写真家”を調査して文章を書き始め、その内容をその後も深化させて行ったら、「民俗学」と「表現」の間あたりにの話になってきて、もっとしっかりと勉強して書きたくなった。(雑誌「写真批評」に持ち込んだので8月くらいにその入り口のような文章が世の中に出る予定。)さらに専門的に書き進めていて、自分で大学の教授や専門家に話を聞きに行ってみたり、そんな事をしている。学部卒業したタイミングでは修士に興味はなかったが、25年の時を超えて進学するタイミングがきた?この歳で?あ、少し時間の余裕があるなぁ、と昨年より色々な大学のドアを叩いてみている。自ら学ぶこと、誰かを育てること、そう言う両方向の教育に対して興味は強くなるばかりだ。

あぁ、そうそう、韓国5日目は、朝から大学受験のための英語の勉強をやっていて、11時半に近所にご飯を食べに行き、この日記を書く。15半時にホテルを出ると、少し涼しい。そこから、キョンボックン駅に行って、行きつけの参鶏湯屋で食事、その後、MMCAでダミアン展を見て、庭でPCで直島と繋いで写真研のミーティング、その後21時からキュレーターと居酒屋でしゃべる。そんな1日だった。

●韓国6日目

朝、英語の勉強をして、飛行場へ。無事帰国。船で直島。妻と娘が迎えに来てくれる。
娘の一言目は「シール買ってきてくれた?見せて?」でした。

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