今日、埋蔵文化財センターの方々による直島調査の報告会に行ってきた。
会場では、直島ホールの畳の部屋に10人くらいが腰掛け、直島のご老人たちに聞き取り調査を行っていた。調査の方々は合いの手を入れるだけで、2人のご老人はどんどんと色々な思い出が出てくる、その思い出が連鎖しながら溢れてくる様子が妙に新鮮だった。昔ながらの民俗学のフィールドワークを見ているよう。その会話の内容/テーマはとりとめなく多岐にわたり、昔の畑作業の話、戦争の話、漁業の話、催事の話、好きだった食べ物の話…。その時、「あれ?専門の調査の方は、もっと漁業とか農業とか祭事とか自分の専門的なジャンルを掘り下げを行うのではないか?しかしこれは浅い思い出が散らかっていくような調査だなぁ…」と思う。ただ逆に”今探していた探し方”はこう言う方向に近いかもなぁとぼんやり思ったので、そのぼんやりを言語化しておこうと思い、ここに書いてみる。(←書けるかな?)
それは何かというと。
最近、考え始めている、新しい制作や思考の一つが、(まだぼんやりしているが)多分、「情報が先に存在する時代に、自分で調べて何かを生み出す楽しさはどこにあるのか?」と言うことだろう。(これは山下道ラジオでもテーマになることが多い。)
僕の制作には”調べる”ことが不可欠で、”自分自身が知っていく行為”事態が制作に大きく関係している。
僕はフィクションを生み出す作家ではないので、世界を新しい角度から光を当て切り拓くことが作品行為となる。
その中で、”情報との出会い方”の重要性で、”調べる行為”自体を非常に繊細に考えている。
しかし、現代は「情報が先に存在する時代」。すぐに検索結果が返ってくる時代、いや情報があっちからやってくる時代。うん。今のアーティストは、その溢れる情報や情報を手に入れて、組み替えて、意味をすり替えたり、フィクションを描く技術が、アートやクリエイティブとして求められる。そう言う意味で、僕の創作行為は、過去を掘る角度と現在との繋げ方、そしてビジュアル的なアウトプットにある。(味の濃い料理とかではなく、素材そのままで刺身の切り口の鮮やかさみたいな微妙なことをやっているので、料理(アート)だと思われないが…。)従来のアートの創作方法は集めた情報や物の意味を剥奪して作る”コラージュ”に対して、僕のは”調べる行為”を大切にしながら情報や物を意味をそのままに整列させていくので”スクラップブック”のようかもしれない。(でも、”スクラップブック”はアートではない。いやしかし、”調べる行為”や”スクラップブック”の中に含まれるアートを引き出せるのではないか、と資料館でも考えている。)
僕自身は、2000年あたりから制作をはじめ、『戦争のかたち』『torii』はインターネットが自由に使えるようになってきた時代だから、まだ本や雑誌も、それにインターネットで情報を収集しながら、フィールドワークを重ねていった。もちろん、フィールドワークにおいて新しい発見があるから、次の情報収集やフィールドワークへとつながっていった。『津波石』は旅の中で偶然に遭遇した津波の歴史と無数の岩たち、その情報はほぼ本にもインターネットにもなく、フィールドワークによって作り上げていく作業であった。
で、直島では、この小さな離島の情報や画像は、観光客によってSNSに毎日大量にアップされている状況の中、逆にインターネットの情報の狭さを痛感し、ある意味でSNSには出てこないような情報を収集しているのだと思う。うん、ここが今であり、この6年くらいの調べる行為と創作行為。
最近、SNSもニュースをほぼ見なくしている。そして、また旅がしたいなぁ。そう思い始めている。でも、2000年とは僕も世の中も大きくっ変わってしまった。
その中で、この埋蔵文化センターの直島調査は、ある意味で刺激的であったといえる。
あえてインターネットを使わない調査。しかし、この面白さは、インターネット以前に戻るような懐古的かもしれない。今はインターネットやAIが存在する世界であり、それを頑張って使わずそれ以前に戻るのが良いのだろうか?と疑問が湧く。では、なぜ彼らのやり方に、今僕が反応していたのか、今冷静に言葉にしてみよう、と言うのがこの日記なのだが。
きっと今日は、「地元の老人に集まってもらい、テーマを決めず選ばず、いろんな話を聞いていくこと。それが芋づる式に情報が溢れていく」状態がある意味でインターネット的でありながら、”インターネットを触らない老人たちの集合知”としての反インターネット的インターネット感覚(←ワケわからん)を感じてしまったのかもしれない。
でも、これが僕の探している”新しい創作行為”ではない。でも、資料館でもやっていることはこの行為の面白さに触れているし、この中に次の何かが隠されているかも。
つまり…、
小さなコミュニティの”インターネットを全く触れない老人たち”は、「インターネット時代の情報の海に発生した絶滅危惧種」(←攻殻機動隊的にいうと)。その老人たちに集ってもらい、検索ワードを打ち込んで行ったり、情報の海にダイブする行為は、楽しさがある。 なぜなら、僕ら世代が老人になる頃、全ての情報はインターネットが先に存在した後の情報だろうから。それは宮本が民具を集めたように、今まさに、消えていくのは民具ではなく、情報なのだ!?と。 これは、資料館の活動の根源かもしれないし、新しい情報を旅するきっかけとして感じたのかも。
はぁはぁ、、、で、で、で、、、
(続きはまた今度)