《自由と芸術について》
島で小学生向けの「表現の塾」をやっている。そこの卒業生の中2の子と島のスーパーで偶然会った。 彼女は「最近、おじいちゃんにギターをもらったので練習してる」というので、何の曲を弾いているのか聞いてみると、「中学校の校歌だよ」というのだ。そこで、僕はとっさに「僕も中学生の時にギターを父にもらった。でもさ、ギターは自由の象徴みたいなもんじゃない?それで校歌を弾くってどうなの…」と言って、すぐに心の中で「自由」という言葉のいい加減さ/曖昧さが引っかかった。 翌日、僕はビートルズの「Black bird」のギター楽譜をコピーして、彼女に渡した。どうやら彼女の母親がこの曲が大好きだったみたいで、喜んでもらえたし、2ヶ月後くらいにはある程度通しで弾けるようになっていた。しかし、校歌よりビートルズは自由なのだろうか?笑
音楽は元々は鳥のように歌いたいと思った人類が始めたのだろう、と想像する。いや、洞窟の壁をみんなで叩いてセッションしてて始まったのか?
人間が喋り言葉を持っていて、文字というそれを伝えるための技術はかなり後になって作られたろう。そんな風に、「鳥のさえずりのように」と、音楽を生み出した人間はそれを誰かに伝えるために、音階や楽譜を生み出していったのだろうか。いや、僕はその専門でもないし、あえて、ここではgoogleやAIとかに聞いたりしないで書き進める。
では、自由とは何なのか?
表現の自由、というべきか、好きなファッションをきて、好きな歌を歌い、好きな文章をかく、自由。それがない国もあるし、時代もあった。
元々、自由とは「何でもあり」ということなのだろうか?
それとも、規則やルールがないことが自由なのだろうか?
平日に学校があるから日曜日に自由を感じるように、制服があるから私服に自由を感じるように。
でも、学校が大好きで、制服が大好きな人だっている。
じゃあ、規則やルールがあるから、自由がそこにあるのだろうか?
ファッションのルール、音楽のルール、文章のルール。
自由は外側にあるのか?内側にあるのか?
先日、整体に行くと僕がアーティストだと知って、整体師さんに「アートって何なのですか?」と聞かれた。それに僕はこう答える。
「アートを日本語で言うと、美術かもしれませんが、たぶん正しくは芸術だと思う。美術は絵画や彫刻などを指す言葉だけど、芸術はその美術に建築や音楽や演劇などさらにくわえたもの。だから、今日本人が使っているアートという言葉は芸術だと思うんです。」
さらに、 「芸術というのは、今は学問のジャンルをさす。学校で教わる他の科目。数学や化学や生物というのは、元々は自然を科学的に解き明かす学問で、自然界の神秘を科学的に証明する。芸術の一つ建築の専門家のアントニオ・ガウディは「世の中に新しい創造などない。あるのはただの発見である」と言ったが。つまり、すでに自然は全ての創造性を持っていて、(科学はそれを解き明かす学問だけれど)芸術というのは、自然界にすでに存在する”美しさ”や”創造性”を人間の手で発見し、人工的に作り出して人に見せる学問なのかもです。」とこんな内容を話した。
つまりは、鳥のように歌いたいと思って、やはり人は音楽や芸術を生み出したのではないか。
でも、実は、人間も自然だと思う。
幼い娘が紙に鉛筆で丸を書いた時の線の美しさ。絵画を学んだ僕がそれに驚く。
それは人間が持つ自然。幼い娘の線は鳥のように歌う。それは本能。
でもね。人は大人になる。本能は奥の方に追いやられ、忘れ去られ、すべては「知識」にそして「常識」に支配される。知識や常識を持った大人は、イノセントの子供には戻れない。6歳になった娘はすでに、その線をひけなくなった。少し悲しいアーティストの父。 画家のピカソは、めちゃくちゃ絵の上手い人だけど、経験を重ね、老人になってようやく子供のような線を描けるようになったと言っていたことを思い出す。
ミッション#05の「新しい楽器を作る」では、僕はダニーのアイデアが良いなぁと思った。軽やかだと。でもそれは、ダニーがある意味で”無意識”だったから、良いアイデアを出せたのかもしれない。(ごめん!) そして、逆に、こなつとかが苦戦したのは、それなりに音楽の「知識」があったからだと思うんだよ。 りおが今、美術部で絵を上手く描く練習をしているように。多分、他のみんなも、今、「知識」や「技術」をつけて成長していくのが楽しい時期なのだと思う。でも、新美塾!はその逆を行こうとしてるみたいな課題ばかり出すから、みんなしっくりこないのかもしれない。でも、すこし伝わってきた?
本来、学問とは、「知識」や「技術」をつけた者が勝者となるはず。みんなその真っ只中。
でも、実は、芸術はそうではない、ことがある。新美塾!はそこに挑戦/抵抗してみたいと思っている。
人間の歌声はやはり鳥には勝てないのかもしれないし、ピカソの線は子供には勝てないのかもしれない。
「表現の自由」というけれども、自由というのは「何でもあり」ではないと僕は思う。
「知識」や「技術」や「常識」を持ちながらも、その先に、それに縛られない脳や身体を獲得すること。 自由って何なんだろうねぇ……。笑
やはり柔軟性が鍵じゃないかなぁと思いながらミッションを作っているのだが、今回のオン会はどうでしたか?
オン会の翌日、京都の個展に向かう早朝の草津サービスエリアにて。
下道基行
2024年10/30