前回の日記を書きながら、少し古いインタビューを読んでいた。2000年のインタビュー記事(全文は上のリンク)。
これは”一人の視点からの言葉”であるので事実であるかはまずは置いておいて。今の直島では想像できない、30年くらい前の島民の感覚や、島民の生活とアートとの接触があったことを想像するには良いかと思う。家プロ誕生以前の直島の空気感。この30年で島の感覚は大きく変わったと言うこと。もちろん、古くからの島民は覚えているが、僕らのような移住者や観光客は想像もできない。
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(略)
岡部:直島文化村は少しずつではあるけれど、「家プロジェクト」を通して地域との関わりももってますね。最初は島の人達とは別の世界のような感じでしたが。この島には三菱の工場がありますが、ここで働いていたり、住んでいる人たちはほとんどが三菱系の仕事の人ですか?あとは1割くらいが農業その他という感じでしょうか?工場や農業で物を作っている人達だから、物との関わりという意味ではアートと遠くないわけですが、そういう人達との当初からの関わりはどうだったのでしょうか?
秋元:始めのころはやっぱり随分苦戦した時期もあるんですよ。島の人たちは三菱マテリアル関係の人か、住んでいる人くらいしか島の中には来なかったので、言ってみれば、観光客というか外の人ですよね、そういった人が島に来るということ自体がなかった。だから、最初は“何でこんなのが出来ちゃったの”っていう拒絶反応があった。フェリーの中に島の人以外が乗っているということがなかったみたいなんですよ。
岡部:海水浴にも来なかったのですか?東京だったらすぐに島に海水浴に行きますけど。
秋元:あと、三菱の島っていうイメージがすごく強かったから、みんな行きにくかった。
岡部:今は三菱の島っていうイメージがなくなってしましたね。直島に取られた、ベネッセに取られたみたいな感じはないのかしら?
秋元:(笑)そうでもない。うまくバランスはとれてるかな、という。
岡部:(三菱)マテリアルにとっても間接的にプラスにならないでしょうか?
秋元:なってると思います。一時期、銅の精錬を大正時代からずっとやっていたので、公害問題とか結構あったんですよ。その中で、近隣の本州側の人とか高松側から見ると、ある意味で三菱の島=公害の島みたいなイメージもあったんです。それは段々環境問題が盛んになってきて、今は非常に良くなっているけれども、かつてのイメージがあったので、直島自体がそんなに遊びに行くとか観光とかそういうのはありませんでした。始めは何で直島なんかにっていうのがあったんですけどね。
岡部: “福祉をやる人が何で公害の島に?”と思ったのではないですか。イメージが違うと。でも地理的には島の向こう側だけですよね。
秋元:えぇ、こちら側は国立公園に入っていて、全く手付かずの状態だったんですね。うちもオープンした時点で、町民対策として町民の方たちからは施設料は一切いただかないで開放してますし、年に1回はつつじ祭りというお祭りみたいなものも町と一緒に共催のかたちでやって、公開してますし、何か新しいコレクションが入ったら、必ず町民向けの案内をしてます。
岡部:最初は反発があって、ボイコット!みたいな感じだったんですか?とくに現代をやるとどこでもそうですね。
秋元:そうですね。“何だかよく分からん!”とかね、“自分たちが今まで散歩してた所を取られちゃって”みたいな。でも、5年目くらいからかな。大分理解してくれる人も増えていって、よく遊びに来てくれるようになったんですね。今なんかだと、法事の後の食事会とか結婚式みたいなものをここでやってくれたり、お盆なんかで親戚の方が東京などから帰ってきた時、ここで食事をしたりとか。直島にも立派な所あるんだよって。
岡部:だんだん誇りになってきたんですね。
秋元:自分たちの施設になりつつありますかねぇ。
岡部:そういうふうに変わりつつあって、いい関係が出来てきた時に、「家プロジェクト」の考えが出てきたんですね。
秋元:えぇ、前から島の、特に本村の地区の町並み、直島の集落をある程度残していこうというのがあったんです。
岡部:町長さんと?
秋元:三宅親連町長(故人)とうちのほうで話し合っていたんです。町のほうも総合計画みたいなものを出していて、本村の集落を何がしか残していこうと。初めのうちはもっと町並み保存みたいなイメージが強かったんですよ。文化庁にも色々聞いてみたりしたんですが、集落の残り方がほとんどそういう対象にはできないような状態になっているので、なかなか難しいなということもあって。何か直島の伝統的、歴史的な流れみたいなものを見せていきたいということがあって。
岡部:古い家は壊してしまったら二度と造れないですものね。
秋元:えぇ、そうこう考えているそばから家は確実に壊れてしまっている、だったらもうベネッセのほうで見本になるようなもの造っていったらどうかな、と。それで住民のなかでそういう意識が少しずつ高くなっていって、自分たちで保存していこうという気運をつくっていって、やれる範囲でやっていこうということで、やり始めたんですよ。
岡部:買い取ってしまうんですか?
秋元:今うちがやっているのは相手方の条件で買い取る、もしくは借りるというかたちにして、その代わり借りる場合は20年という契約にして。初めは買い取っていこうということにしてたんですけれど、なかなか売りたくないという人もいるので、それなら20年とか長い期間借りて、状況が変わればこちらが買うようにしていって。
岡部:買うといっても、そんなに高くはないんですよね。
秋元:いや、もう土地代だけですよね。
岡部:京都のすごくいい町屋で現代アートのインスタレーション(1940年生まれで60年代からミラノ在住の彫刻家長沢英俊氏の個展)をやったことがあったのですが、あのすばらしい家屋を壊してしまったのです。京都市は何をやってるんだ!って感じですね。もともと存在しなければ仕方がないけど、あるものをどうして平気で壊させてしまうのか…
(一同深い溜息)
秋元:二度と造れないですからね。
岡部:だから、「家プロジェクト」はすごくいいプロジェクトですね。
秋元:こっちでもみんな2×4とか新しいほうがいいわけで。言ってもあんまり分からないんですよね。これを残すんだというものを見せると、ボロボロなわけですよ。“何でこんな汚いもの!早く壊してくれよ”みたいな感じだったんですよ。“台風が来ると潰れるぞ”みたいな感じで。
岡部:確かにそれもあります。(笑)補強しておかないと危ない。
秋元:もう、とりあえず買ってしまって、全部直していって、ということですね。土地代だけですから、建物自体はほとんど何にも価値がない訳ですから。それを一度瓦とか壁とか落として、そこからまた直していくという感じです。
(略)
秋元雄史(当時、直島文化村総括、現在、アーティスティックディレクター)
×江原久美子(当時、直島文化村企画担当、現在、家プロジェクト担当)
×岡部あおみ
日時:2000年5月6日
場所:ベネッセアートサイト直島