島の新しい美術館

::::::::::::::::::::

直島新美術館

2025年春、本村地区近くの高台に、新たに直島新美術館が開館します。
当館は、ベネッセアートサイト直島における安藤忠雄設計のアート施設として10番目になります。地下2階、地上1階の3層からなる美術館では、日本も含めたアジア地域のアーティストの代表作やコミッション・ワークを中心に展示・収集します。また、企画展示の開催や、トーク、ワークショップといったパブリックプログラムなど展示以外の美術館活動にも取り組み、より多様な視点や表現、時代や社会に対する多義的なメッセージを発信するとともに、繰り返し人々が訪れ、島内外の多種多様な人々が出会う交流・連携の場としても機能させていきます。
直島新美術館が島の数々のアート施設をつなげ、美術館群として捉えることで、より一層自然や集落と一体化したアート体験を創出するとともに、アートと建築、自然、そしてコミュニティの調和・融合のさらなる発展形を目指します。

直島新美術館 | アート・建築をみる | ベネッセアートサイト直島
直島新美術館の美術館鑑賞案内・料金、アーティストなどの情報をご覧いただけます。

::::::::::::::::::::

直島新美術館のオープン記念展示「開館年記念展示(仮)」に参加することになった。ジェフリーとのコラボであり、島での資料館の活動の延長として。そこで、直島に5年以上住んでいる島民として観察者として、この新しい美術館について思うことを少し書いておく。

まず、直島の観光の歴史をおさらいしておくと。
直島南部の観光エリアは元々、1960年代に町長三宅親連氏により「観光開発」が描かれ、動き始めた。南部とは戦前より島唯一の観光名所であった琴弾地海水浴場の周辺のこと。開発業者の誘致を目指し、このエリアに1966年藤田観光によって海水浴場やキャンプ場やレストハウスなどを備えた「無人島パラダイス」が誕生した。しかしオイルショックなどの影響もあり「無人島パラダイス」の経営は難しくなり、1987年に藤田観光は撤退。そこに代わって地元企業の福武書店(現ベネッセ)が南部の開発に入り、直島文化村構想を開始。1989年に直島国際キャンプ場と共に”アート”が島にやってくる。ヤァ!ヤァ!ヤァ!。
そこから安藤建築と美術館とホテルによるリゾート開発は進み、現在に至るのだが、つまりベネッセの島南部の進出は1989年で、初めての美術館であるベネッセハウスミュージアムは1992年。大体の雰囲気として、2005年の地中美術館オープンや2010年瀬戸芸スタートまでは、アート好き(の富裕層)がやってくる静かな島だった。
今では想像しにくいが、この南部の開発地は、島の集落や宮浦港を通らず”直接南部に船を乗り付ける”イメージも当初から持っていたようだ。つまり、観光/観光客は、島の集落とは関係せず、南部は意識的にも隔離されきたということ。(島の北部は三菱の工場地帯があり、三菱の城下町としての直島の中央部はその従業員の生活の場。)「無人島」という名前が象徴するように、都市部から観光に来る人々にとって、離島とは取り残された遅れた非日常な場所であってほしいわけで、南部は集落や北部中部という日常と切り離されるべき存在であり、島民の日常からも意識的に切り離された場所として開発されたのだ。

最初に、(島民が日常生活を送る)集落内にアートが進出したのは1998年に始まった「家プロジェクト」である(期間限定ではなく恒久的な意味で)。 この時期は”地域アート”流行以前だったこともあってか、島民の日常の中に展開させた「家プロジェクト」は非常に繊細に集落に馴染むように同化/カモフラージュされている。ちなみに、集落に観光客相手の初めてのお店カフェまるやができたのは2005年なので、やはりこの時期はまだまだ静かでのんびりした島だったのだろう。2010年の瀬戸芸やSNSを境に、集落内に観光客向けの飲食店や宿が急激に増えていき、現在は外からの観光開発が急速に進み、空き家や土地は見つからなくなってきたし、価格も高騰してきている。

そう考えると、”ベネッセアートサイト直島における安藤忠雄設計のアート施設として10番目”の「直島新美術館」は、島の立地としてこれまでとは違う意味を持つ。
今回の「開館年記念展示(仮)」の作家ラインナップを見て思い浮かぶのは、コレクション作品を見せるベネッセハウスミュージアム(のアジア版)のような施設としての側面。しかし、この美術館は本村集落の中にあり、ある意味で島南部だけに展開していた美術館が、はじめて集落内に展開するのだ。島の生活や日常に、島の南部の非日常が出会う/衝突する出来事ではないかと僕は考えている。それは面白い展開になるかもしれないし、逆もありうる。(本村集落は、内部の日常生活空間が失われ完全に外からの客体化するかもしれない。)その意味では、この美術館のコンセプトである、「繰り返し人々が訪れ、島内外の多種多様な人々が出会う交流・連携の場」であり「島の数々のアート施設をつなげ、美術館群として捉えることで、より一層自然や集落と一体化したアート体験を創出するとともに、アートと建築、自然、そしてコミュニティの調和・融合のさらなる発展形」は”面白い展開”の未来であり、「せっかくできるならそうなってほしいなぁ」と僕は思う。(この展開をするためには、長い時間をかけて地元との関係を意識しながらソフト面をどうデザインし継続するかにかかっているだろう。それは「家プロジェクト」のような”置いて終わり””その後は維持する”ではなく、有機体的として施設の在り方をどのように作るかになるだろう。)

この美術館の在り方は、アート開発にとっても、島の環境にとって、大きな分岐点かもしれない。
そして、僕はそれを非常に至近距離から、観察しそこに関わる立場でもある。島民としてそして”アーティスト”として。あと3ヶ月で家の近所にオープンするこの美術館に対して、未来を想像しながら、言及し、関われなら関わってくかもしれない。基本的に僕にできることはやはり島を客観的に観察し記録していく資料館であり、すでに「繰り返し人々が訪れ、島内外の多種多様な人々が出会う交流・連携の場」でもある。資料館が新美術館とどのように関わるかはわからないが、すでに一つの観察対象の一つにはなっている。

タイトルとURLをコピーしました