《瀬戸内「漂泊 家族」写真館》記録集を手にして…

出来上がってきた《瀬戸内「漂泊 家族」写真館》の記録集を手にして、「これは僕らしいプロジェクト/作品になったなぁ」と、少し思うことがあったので書き留める。

この企画を簡単に説明すると、浜辺の漂着物から手作りカメラや写真スタジオを作り、写真館を開館して地元の人々の肖像を記録していくプロジェクトとなる。手作りカメラで撮影された銀塩写真は一枚を被写体の方にプレゼント、1枚を資料館でアーカイブする。

【流れ】

1、マレーシアより文化活動家で写真家のジェフリーを直島に2週間招聘。
2、ジェフリーや島の子どもたちと島々をめぐり、漂着物を集める
3、ジェフリーは漂着物からカメラを作る。子どもたちは漂着物から写真スタジオを資料館内に作る。
4、ジェフリーはカメラの作り方や暗室作業の仕方を、直島写真研究会や福武財団スタッフにワークショップを行い伝授する。
5、ジェフリーと写真研有志と財団有志と僕で、まず直島の風景の中で家族写真を撮影していく。
(この10組は無意識に選ばず、下道の娘の同級生の家族にお願い。)10組の家族にはインタビューを行う。
6、ジェフリーが帰国した後、10組の家族の家族の写真とインタビューをベースに展覧会《瀬戸内「漂泊 家族」写真館》を資料館でスタートさせる。写真スタジオもオープンして毎週土曜日に予約制で島民の写真館として機能させ、2ヶ月半の展示中に32組の島民たちが撮影を行った。(写真プリントはその場でプレゼント)
7、カタログ/記録集を製作
8、写真館の企画は人気もあるので、翌年の瀬戸芸春会期にも行う予定

《瀬戸内「漂泊 家族」写真館》は展覧会ではなく、活動体である。
さらに、僕の作品というよりは、複雑なコラボレーションの活動でもあり、だから逆に「僕らしいプロジェクト/作品」だなぁと思うのだ。

展覧会として見せながら、写真館/ 写真スタジオとして人々を記録し、それの蓄積も見せながら進んでいく。写真を撮影するのは僕だけではなく、写真研などの有志も加わる。さらに、それらは資料館のアーカイブに蓄積されていく。
資料館ではいつも意識しているのだけれど、ここでの「展覧会は置いて終わりではなく、人々から情報やさまざまな関係性が集まるきっかけ/呼水」のように機能すること(もちろん、外から見る人にとって展覧会として機能することは大前提)。展示は終わりではなく、情報を収集してアーカイブを活性化するカテゴリーの表出であり収集の軸になる。

で、「僕らしさ」を思ったのは。多分、僕が”アーカイブ”の面白さを初めて意識したきっかけは、映画「スモーク」(ポールオースター原作)を高校生の時に見た時かなぁと思っているし、この映画みたいだなぁと少し思い出した。映画の中で街角のたばこ屋さんの亭主が毎日、店の前で同じ時間に街角を定点で撮影する行為とその大量のアルバムが登場する。この見るに堪えないタバコや亭主のヘタクソな写真と退屈な行為とアーカイブ。しかし、そのアーカイブはあるお客さんの妻の物語へと接続していく…。

映画『SMOKE』より

今回僕は、島の片隅に写真スタジオを作って定点観測のように人々を記録していったが、やはり”写真作品”としては退屈だし質も高くない。でも、写された人々の表情や現在の島の記録自体の強さはしっかり定着している、それで十分ではないかと。それを継続することで徐々にアーカイブの力を発揮していくだろうと思っている。そして、時が立った後に、この写真館の写真は誰かの手に届き別の物語は接続していく存在にはなる(かも)。

もう一つ、僕らしいという部分で言うと、過去に制作し発表したシリーズ「14歳と世界と境」やシリーズ「沖縄硝子」などにも共通する部分を持っているなぁと感じている。それは【僕の個性が作品の表面から消えることを意図しコラボレーションを行う。写真とは別の記録性を持ち、その土地の小さな物語/歴史を記述し再提示する。固定した存在としての作品ではなく流動的な活動体としての側面を持つ。既存の美術館やアートギャラリーをまずは解さず、人々に共有され解放され、その蓄積が作品として美術館などでも展示可能な作家の作品になっていく。】

シリーズ「14歳と世界と境」は、中学校で授業して中学生たちの文章を地元の新聞の連載として発表(日常では新聞連載として子供の文章を読む体験)。次に、この活動をアジア各国で展開して最終的にその新聞記事のアーカイブが作品になっていく(=色々な大きな大きなニュースと子供たちの小さな物語がぶつかる環境を見せる新聞アーカイブ)。シリーズ「沖縄硝子」では、毎年琉球ガラスの作家さんと漂着瓶から食器のシリーズを製作し地元の工芸展で発表販売(=工芸家と美術家のコラボ食器として購入可能)。その後も活動を続け、その集積を別のインスタレーションとして美術館などで発表(=琉球ガラスの歴史を踏まえながら新しいサイクルの活動体として)。
《瀬戸内「漂泊 家族」写真館》はジェフリーとのコラボレーション。そして写真を撮影するのは島民たちの有志(僕も含む)。普段は写真館として地元の人々を撮影して写真はプレゼントし、もう一枚をアーカイブする。島民が島民を記録する。そのアーカイブは蓄積していき、地域の歴史を記録する存在になる。というわけ。

もしかすると、デビュー作「戦争のかたち」が雑誌連載を経て、作品としてまとまり、発表されていった経験が大きいのかもしてないが。プロセス段階で特別なアートの空間ではない日常生活の人々へ開かれる”1段階目の発表”があり(新聞連載や工芸店での販売など)、その後、それを継続していきながら、もう”1段階別の発表形態”として美術館などに持ち込まれること意識している。

ま、こんな感じで、《瀬戸内「漂泊 家族」写真館》は僕らしい。つまり、ある写真家の写真を見た瞬間に「誰々の写真だ!」と分かるような個性を表面的には持たないが、、、、、と言う話かも。それは僕の弱点であり、そこから発達した個性か?
まもなく、写真集『ははのふた』も出版される。この写真集の写真も出来がいいわけではない。僕は写真がヘタクソな写真家であるが、強い”眼差し”はあることを信じているからまだ活動できる。

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