下道が近道?

美術大学の校内で、ムサビの旧友の画家Mと久しぶりにゆっくり話す機会があった。彼はこの大学で先生をしていて、学内の中間発表展での立ち話。

「普通さ、下道くんみたいに、美大の油絵科を卒業して、アジアを旅して鳥居を探して撮らないよね。だから、狙って作家になるタイプもいるけど、自分の興味のあることを突き詰めた先に何か職業があるタイプというか、下道くんの場合それが現代美術だったんじゃない? 美大で教えていると、たまに昔の下道くんタイプがいてさ、そういうのもわかんない部分もあるけどやっぱり可能性があるというか……」

そんなことを話してきた。
それは正しいと思うし、付け加えたい部分もあった。

僕が美大の油絵科を卒業する2001年の段階では、そこからまだペインティング以外の作家を目指す生徒は圧倒的に少なかったし、僕が日本全国の戦争の残骸を集めたり、アジアを旅して鳥居を撮ったりしているのを見ながら友達たちも「何やってるんだ?」と疑問に思っていたようだ。さらにいうと、今、美大生たち(若い作家たち)が、こういう社会的な問題を作品内に入れ込むのが常識になった2020年代に、僕が美大生だったら、それをしていなかったと思うしMのいうことは正しいかもしれない。
でも、それに付け加えたいのは。僕は、美大の終わり頃2001年に、テレビでNY同時多発テロを見て、その頃自国の半世紀前の戦争の遺物が遺跡になろうとしている様子に出会う。美術家や画家になることへの疑問もあり、カメラを手にして撮影を始め、写真を独学で学び始めて、多くの写真家の作品に出会っていく。さらにいうと、2001年の美術館では展覧会「手探りのキッス日本の現代写真」(東京都写真美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)のような展示もあった。ラインナップには米田知子, 小林伸一郎, 渡辺剛などの名前があり、それ以前の写真の文脈(写真集や写真展や雑誌書籍)の流れから考えると(まぁこれはジャーナリズムの流れかもしれないけど)、真っ当なことをその時代にやっていたに過ぎない。写真の流れに現代美術がぶつかった場所に立っていた(メディアとしての現代写真というよりは旅やジャーナリズム方向からの現代写真)、しかし写真学校ではなく美術大学油絵科から。

多分、僕は美術大学の中で、表現が現実世界からの断絶/乖離している状態が嫌いだったしなじめなかったのだと思う。だから、写真表現やジャーナリズムや書籍に興味を持った。だからそれはアーティストより写真家やジャーナリスト(やアクティビスト)に近く、現実世界へ直接的/間接的に出ていきたい/影響を及ぼしたいという気持ちが同級生たちより強いかった(学内でZINEを作ったりも)。2020年代になっても、美術は往々にして、美術館という守られた空間/時間の中で(社会と隔離した状態で)、しかし作品はより社会的になったが、美術館の中から社会に声をあげていて、それを関係者でもてはやしている。(僕も今では、その一人としてみられているのだろうが。)社会の問題を美術館に飾る自分の作品の”ネタ”として扱う作家と、何か同じ気持ちになれないのは、興味が美術史/写真史ではなく、社会/世界であり、よりストイックにそれと向き合う方向に舵を切る表現として、直島の《瀬戸内「 」資料館》はあるだろう。

でもまぁ、彼が言いたかった根本はこれだと思う。
従来の絵画のように守られた”軸”/リングの存在しなくなってきた現代の美術をやる場合(メディウムによる縦軸の崩壊?)、どこを軸にするかをみんな知恵を絞って考えていくわけで。絵画なら絵画の歴史の上に積めば良いがそれが崩れてきている。その中で、美術史との接続の掘り起こしや、新しいメディウムの選び方や、社会的問題事象を絡め方だのが、ロジック化してきていて、そういう意味では従来の軸がないはずの現代の美術の作品が狭いリング内で似たり寄ったりになっていて、学生たちはそういう作品をお手本として正解だと思って真似するので、さらに同じような作品ばっかりになっていて、だからMは、そういうのを一回無視して、自分の興味を突き抜けてみた方が、ある意味で自分らしい表現/テーマへの「近道」かもしれないと話したのだろう。

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さて、
ここからは少し写真の話。多分、さっき書いたが2001年あたりの興味として「メディアとしての現代写真というよりは旅やジャーナリズム方向からの現代写真」と書いたが、「メディアとしての現代写真」と「旅やジャーナリズム方向からの現代写真」というのには大きな開きがある。(2003年、僕はそれを十分に理解せずに、撮り始めたシリーズ「戦争のかたち」を手に、東京綜合写真専門学校の研究科に入る(先生には柴田敏雄さんや伊奈英治さんなど)。ただそこの学生たちは「メディアとしての現代写真」方向からの現代美術を目指す学生たちが多く、シリーズ「戦争のかたち」は「旅やジャーナリズム方向から」であり、さらに美大生が素人で撮り始めた写真だったので、自分が求めたような思うようなフィードバックは受けられなかった記憶がある。「結局どこの学校/業界もそれぞれのメディウム論なんだなぁ…」そんな気持ちですぐに学校へ行かなくなった。
これは、他の現代美術にも置き換えられるが、”軸”の話だろう。通常、大学ではその専門性を学ぶので、この”軸(=専門性)”をどこに置くかを意識しトレーニングするし、現代美術作家の場合もこの軸をわかりやすく示すことが評価へとつながる。その”軸”は、絵画、写真、映像、彫刻、建築など、メディウムの話に他ならない。
しかし、その意味で「旅やジャーナリズム方向からの現代写真」はある意味、この”軸”にはならない時代になって久しい。なぜなら、この方向の写真表現は基本的に”写真には真実が写すこと”を前提に行われていることが多く、メディアに対する言及が不透明でもあるわけだから。
別の言葉で言うなら、ほとんどの芸術表現は、そのメディウム史や美術史を元に自己表現を作ること。しかし、「旅やジャーナリズム方向からの写真」は人類学や民俗学のように、他者や既にある世界を観察し、自分なりに発見し記述する手段/表現である。

多分僕は、他者や既にある世界を観察し、自分なりに発見し記述する手段/表現として、写真や文章やその他さまざまなメディウムを行き来したいと考えている。メディウム/メディアにとらわれないその先駆者たちは現代美術にはたくさんいるのも事実。
写真は真実を写さない。だから、それを疑い揺らす方法やフィクションの方法に現代写真は進んできた。僕は写真というメディアをいじること自体に興味がない。フィールドワークを記述する道具。しかし、やはりもう写真は真実を写さない。《瀬戸内「   」資料館》では、直島の島民になって参与観察的にフィールドワークを続けるが、自分では写真を取らず、人から収集してそのアーカイブを作品としようとしている、それは僕なりの現代においてノンフィクションと写真と作品との関係性の作り方。

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