A面/B面

『…… 下道基行は旅するアーティストだ。文字通り各地に滞在し生活するなかで作品を制作する「旅人型」という意味もあるが、それ以上に「旅」に喩えることで、その創作活動は非常に捉え易くなる。旅は、ある明確な目的地を設定しそこに到達することを最終目標とするタイプのものと、具体的な目的地は定めず移動すること自体や移動の過程での街・人・ものとの出会いなどを求めるものの、大きく2通りに区分できるだろう。下道は作品の質に応じてこの「旅」の両極を探求し作品として提示する。ここで、レコードやCDのA面曲/B面曲という構成を範として、前者のような明確な目的地(対象)を目指す活動/作品を「A面」、後者のように具体的な目的は明瞭でなかったり、何らかの目標へ向かう過程で発生する副産物的なものに着目するプロセス自体に重点を置く活動/作品を「B面」と定義すると、下道はときにA面を目指す過程でB面的な作品を生んだりと、A面/B面を往来することによりバランスを保ち、自身の両極を横断する活動を補完しているように思われる。……』

と服部浩之氏がレビューで書いてくれたことがあるが、この自分の制作の中でA面B面というのが最近、よりはっきりしてきたなぁと思ってきたのでここで書いておく。

CDや音楽で言うとこういうイメージを持っている。
A面=メイン  B面=サブ
A面=売れそうな曲  B面=売れないけど作家がやりたい曲

僕の制作の場合は
A面=メイン  B面=サブ
A面=プロセスを大きく切り落として抽象化  B面=プロセスの面白さを詰め込んだ雑多さ
A面=純度の高い「作品」として  B面=プロセスを重視したプロジェクト型「作品」
A面=ひとりで制作  B面=いろんな人と一緒に制作

ま、ざっと書くとこのようになる。で、毎回、5年程度のフィールドワークや制作をしていくと、このA面的作品を目指していると、そこから少し遅れて B面的プロジェクト型「作品」が生まれてくる。その両方で自分の中のバランスをとってきたのだろう、自然と。A面制作で抽象化し純度の高い「作品」を作ろうとすると、そのプロセスで巻き起こる重要な出来事を切り捨てることになる、その部分への欲求がB面へと繋がる。

●A面「戦争のかたち」→  B面「Re-Fort Project」
日本全国の戦争遺跡を一人で旅して調査した「戦争のかたち」(2001-2005)、に対して、その戦争遺跡の観察ではなく実際に使ってみるアクションとして美術家や建築家などと行ってきた「Re-Fort Project」(2004-)。

●A面「torii」→  B面「14歳と世界と境」
東アジアを日本残滓を探して旅した「torii」(2006-2012)。国家の境界線を扱ったA面に対して、東アジアの中学生に”小さな境界線”の話を聞いて新聞連載にする「14歳と世界と境」(2013-)。一人で制作時に、東アジアで日本の戦争の歴史を調べるときに現地で起こる摩擦を日記に書いていたが、「torii」には反映されずシンプルな写真作品になったその反動と言える。

●A面「津波石」→  B面「沖縄硝子/Floatong Monuments」+「宇宙の卵」
沖縄の浜辺をフィールドワークして津波の岩を撮影する「津波石」。に対して、浜辺で拾ったガラス瓶を沖縄の職人さんと食器にして販売する「沖縄硝子/Floatong Monuments」。さらに、服部くんが企画した「宇宙の卵」は外からの依頼でコラボレーションが起こった B面と言えなくもない。

しかしそう考えるうと《瀬戸内「 」資料館》はA面とB面の一体化を目指しているのかもしれない。
旅人感覚を持ちながらある土地に定住すること。
ギャラリー六区の展示とアーカイブはA面、へんこつの研究会はB面。
それらが一体化した《瀬戸内「 」資料館》、いや、今回の企画調査展《瀬戸内「漂泊家族」写真館》が一体化された姿のように感じているのかも。

独り言

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