《瀬戸内「 」資料館》を説明するとき、「アーティストが島に移住して、島民たちと一緒に島の郷土資料館/郷土図書館を作っている」と話す。それは分かりやすいし正解だけど、その奥にあるビジョンを書いておく。これは作家のエゴ? いや、資料館は福祉センターではなく、現代美術であり表現であるので、その部分を書き留める。
【目的/意図】
●個人の作家の「作品/アートプロジェクト」として、「視覚化された資料庫」を目指す。
●写真家/美術家(ある意味アカデミックではない者)が作るビジュアル化された収蔵庫としての表現。
●「ベネッセアートサイト直島」の作品/コミッションワークとして保存/公開され、しかし、地元の「郷土資料館/郷土史図書館」として公共的に開かれる。(現在、毎週土曜日開館。町民無料。)
●美術作品として収蔵/保管されることで残される地域のアーカイブ。(←アーカイブは過去方向を向いているので、資料館を作るのは良いが、生産性が少なく活用も維持が難しく、継続性が問題になることが多い。)
●自分らしくあり、しかし実験的/挑戦的であること。
【直島やこの地域の状況】
●直島に郷土資料館や郷土史図書館がない。
←重要なものの多くは香川県の図書館や博物館が保存している。島やローカルに中心を持ってくることはできないか?
●直島には、すでに国際的な有名な美術作品や美術館で溢れている。
←僕のような作家がこの小さな島にさらに何か新しい制作物を置く必要があるか?僕なりのやれることを。
●3年に一度、芸術祭がくる。それに合わせて、作家たちがその土地をサーチして作品を作り去っていく。
←その中に自分もありながら、別の寄生やサバイブの仕方や制作のスピードを提示する。
●作品はあるが、アーティストは住んだことがない。(川俣さんが一度住もうとしたが。)さらに、ベネッセアートサイト直島や福武財団は、長期的に直島の風景や人と関わってきた成功や失敗など多くの経験や知識がある。
←旅を辞めて、定住してみよう。定住して作る方法。ゆっくりで作る方法。(コロナ禍が重なった。)
●直島は日々世界中から観光客が溢れている。彼らは写真を撮りSNSにアップし続けているし、情報に溢れているが、逆にそれによって「ローカル」や「生活」が見えなくなっている。
←さらに、島民自身が外から向けられる直島を内面化し始めている。
●移住者は、直島で「カフェ」「飲食店」「写真館」「ゲストハウス」「サウナ」「フェス」「島暮らし○○」「直島○○」などの、それぞれの夢やビジネスや自己実現をしたい人たちが集まってくる。夏の海水浴場や海の家のような状況が日常。来る人も多いが去る人も多い。日々何かが壊されて作られ、都会のような新陳代謝。競争は低いので、やったもの勝ちで、意識や質は低い。
←意識の底上げ。栄えやおしゃれではなく、本来のクリエイティブを通しての学び。
●近代に三菱の銅の製錬所が作られた。そして、現在、アートツーリズムが「生活の風景」を破壊していること。ある意味国や世界の縮図のような部分がある。
←この小さな島で観察し考えることは世界につながる。
●近代産業も観光業も、基本、前(生産)を見ている。
←アーカイブは過去であり墓場。光ではなく影、生ではなく死を扱う場。彼らの捨てるゴミ箱を漁る日々。しかし、それでオブジェは作らない。積層させていく。
●観光業は盛り上がっているが、自然などはそこまで豊かではない。”アート”のブランド力が観光のエンジンであるが、多くの人々は、無意識にそのアートブランドを消費して暮らしている。新しい産業を生み出そうなどと考えている人などはいない。逆に、島の半分以上を占める三菱関連の人々はアートがなくても安定した生活ができるので、アートと距離を持っていて、現状維持的。 歴史的に見ても保守多数。
【ビジョン】
●資料館は、直島の島民や地域の人々にとっては、1年に1回の地元の企画展が開かれる展示場(museum)であり、「地域の郷土資料館/郷土史図書館」(archive/library)。
アートを鑑賞しに外からくる人にとっては、直島やこの地域の「郷土資料館/郷土史図書館」(archive/library)であると同時に、「アートプロジェクト/作品」(artwork)として受け取れる存在にする。つまり、”寄り”で一つ一つの本や資料を手に取る人には「郷土資料館/郷土史図書館」になり、”引き”で全体像を見る人には「アートプロジェクト/作品」になる。本や資料を手に取らない人々を強く意識しながら表現の域に持っていく。その”寄り”と”引き”の両方を意識。
●圧倒的な情報量を目の前にして、思考停止にさせない存在の作り方
●日本の”地域アート”での制作で陥りがちな、プロセスやネタ探しとしての「リサーチ(実際にはサーチ)」ではなく、リサーチ自体がアウトプットになること。
●美術とは別のジャンルの研究者(民俗学や産業考古学や社会学など)や、さらに、地元の美術館や博物館との越境が行われ、双方向での刺激が起こる。
●リサーチのアウトプットとして、アカデミックな論文や映像以外のアウトプットとしてのこれまでにない「視覚化された資料庫」の表現。
●近年美術館で増えてきている「見える収蔵庫」(収蔵作品展として一部見せていくのではなく、収蔵庫自体をガラスケースにして見えるようにする発想)ではなく、「資料庫自体が表現」であ理、全ての収蔵物が基本手に取れるし、過去の調査発表展示は棚から出して再展示可能。
●直島に関する書籍の収蔵は、国会図書館の次に多くなる。(現在、岡山県立図書館と香川県立図書館に接近)
●直島出身の写真家中村由信に関する資料(写真プリントやフィルムはしっかりとした写真アーカイブへ)は、日本一を目指す。(東京都写真美術館の図書館とはすでに同等)
●インターネット上にHPを作り、資料の検索などができるようになる。
●地域出版社としての資料館。
【手法】
●かつての民俗学者や郷土史家がそうであったように、その土地に移り住み、学校の教員などを生業にしながらその土地を調べて、小さな資料館を作るように。その土地に住み、住民との関係を作りながら。
●1年に1テーマで調査を行い、その成果を展覧会にする。それはその後、空間内の棚に収蔵される。これを一つのルーティーンにして継続。徐々に収蔵庫が成長。この一つの調査発表展/企画展は、収蔵庫から出して何度でも再展示・復元できるようになっている。
●先に棚や空間を作らず、必要に応じて、空間は動きながら、広がっていく。有機体。
●政策としては、自分で写真を撮影することはメインでは行わず、できる限り搾取構造を減らしながら、地元の人々の協力を借りて、寄贈/寄託などで収集を行う。(調査発表展/企画展で借りたものを展示しながら保存したいという意思を伝えることが多い)
●”地域アート”で制作する作家が口にする「リサーチ」のほとんどは「サーチ」である。さらに、自分の制作のための”ネタ”や”補強”のための「サーチ」がほとんど。資料館では「サーチ」をメインの制作として考え、アカデミックな「リサーチ」の成果の論文とは別のアウトプットの可能性を作る。
●自分の創造/創作を極力に避け、集めて並べ、蓄積していく。しかし、短期間で、大量に収集し、並べたり積んだりして、視覚化することを避け、自然な流れで資料を蓄積していくこと。その先に自分だけの表現のビジョンを見て。
●直島には、すでに国際的で有名な美術品や美術館で溢れている。さらに、移住者は世界中からくる観光客に向けて、直島で「カフェ」「飲食店」「バー」「写真館」「ゲストハウス」「サウナ」とか「島〇〇」「直島〇〇」などの夢やビジネスや自己実現をしたい人たちが集まってくる。夏の海水浴場の海の家のような状況。日々何かが壊されて作られ、都会のような新陳代謝。
そこで自己実現やビジネスを表面的に徹底的にやめてみる。いや半分やめる。セミパブリックな存在としての作品。自分のこれまでに培った能力を無償で島内に解放する「子供の塾」や「研究会」をルーティーンで行う。これは資料館との関わりしろや協力関係を増やす意味もあるが、物として残すのではなく人の中に育てていく感覚。さらに、「三菱関係」「福武関係」「移住者」など隔たりのある関係性を繋ぐ。「研究会」は新たなコミュニティであるが、さまざまな世代から地元の情報を常に手に入れる「検索サイト」でもある。
●プロセスは分け合うもの。学びを島民と分け合う。