日本で、作品制作で「リサーチ」が”当たり前”になって久しい。(でも、誰でも何かを調べてたはずだった。でも、2011年以降から特にこの「リサーチ」と言うの言葉自体が作品制作で普及した?)
そして、最近では、作品制作で「アーカイヴ」をよく聞くようになってきてる…。
でも、それ……、「リサーチ」と「アーカイヴ」ではなく、「サーチ」と「記録(もしくはただ本や物を並べただけ)」ではないのか……、よくそう思うことがある。
「アーカイヴ」では、近年美術の学芸員の中で注目され、研究が活発化している動向は非常に面白い。
しかし、作家が自分の表現したい作品の強度を増すために、「サーチ」をするのは当たり前で、「そのプロセスや資料を展示の一部として並べる」展示行為も、その「サーチ」を作品内に閉じ込めらないのであればスマートではないのではないか?と個人的には思う。
もちろん「アーカイヴ」自体を手法として制作する場合も、「記録(もしくはただ本や物を並べただけ)」ことが多いように思う。
(作品制作プロセスだけを取り出して、別の形でアーカイヴする手法を考える、とプロジェクトをやったことはある。参考まで。https://www.travelingresearchlaboratory.com/)
じゃあ、下道の作品制作はどうなんだ?と言われそうなので書くと。
学術的な「リサーチ」や「アーカイヴ」を(自分なりに)理解/尊重した上で、本来の「リサーチ」や「アーカイブ」を行う学問の人たちができない(論文などのアウトプットではない)、美術的な道筋/アプローチでその内容/事象を別の形/ビジョンとして提示すること。を作品内で一つ目指している。
アーカイヴを強く意識しているのは、《瀬戸内「 」資料館》であり、これはアーカイヴ自体を作品化する挑戦だ。
ちなみに、『torii』のシリーズで東アジアの神社跡の撮影を2006年からやっているが、それと同時に収集している旧植民地の鳥居の写った葉書の収集も10年以上になっているので、世界で3番目のコレクション/アーカイヴになっていると思う。
でも、作家だけではなく、一般的に、すでに、「調べる」くらいの意味で「リサーチ」は使われ定着していくだろうし、「保管(庫)」「保存(所)」くらいの意味で「アーカイヴ」は使われる。厳密な意味は消えていくのだろうし、ここはもうこだわる必要がないのかもしれない。