制作におけるプロセスと完成以降の体験

半年前のこと、島でやっている小学生の塾「島の子どもの研究室(しまけん)」で、島の小高い山に登ったことがある。以前より個人的に島にはいくつかの山頂がありそこには木が生い茂り、誰も登ってない様子が気になっていたのだ。その中の行きやすそうな山を調べて、実際に子どもたちと3人でみんなで登ってみたのだ。植物をかき分けて1時間くらいかけてみんなで山頂に。そこからはみたこともない方向から瀬戸内海や島々がばーーっと見えて感動した。僕も初めて登った。みんなで宝箱を見つけたような興奮に包まれた。その延長として、今年の夏は、彼らと近所の島々を調べてまとめて展覧会を開こうと動いている。(さらにその展示がアーカイブの一部になっていく。)

多分、僕がこの数年(ベニス後でありコロナ禍で)大切にしてやっていること(のひとつ)はこういうことだと思う。”弱い表現だけど、しっかりとした学びが双方向にある体験を作ること”。双方向とは、絶対に僕が教えるのではなく、自分自身も学びがある方法、ということ。
ではでは、数年前までの制作のことを、山登りに例えるとどうなるかというと。まずは飛行機でネパールに行って、現地で山登りに詳しいシェルパを雇って、世界一の山頂を目指していた、といった感じだろうか。もちろん例え話である。一人で高みを目指していた。
何が言いたいかというと、これは制作プロセスと達成や目標の話であり、コラボレーション(協働作業)と作品制作との関係性についての考え方の変化の話だ。
どの山に誰と登るか。さらにはその体験をどのように人に伝えるか。
つまり、制作プロセスの体験を誰と分け合うか。そして作品の到達する方向性や完成度や体験どう決めるか。それらを同時に考えているということ。

2001年から作った「戦争のかたち」は、一人旅をベースに写真を撮影しながら徐々に作品を制作した。その制作のプロセスや旅でさまざまな事件やそれからの学びが起こっていった。それ自体がすごく刺激的で重要であったが、カメラを手に一人で旅をしているので、その部分は旅の日記として残していきながら、出版物/写真集としての完成物の中に入れて混ぜていった。しかし、写真の展示を作る場合はその長い日記を見せることは難しい。それは少しもどかしいことでもあった。
次の「torii」のシリーズの場合も、一人旅をベースに写真を撮影しながら徐々に作品を制作する方法をとったが、前作ではできなかった写真だけでしっかりと見せられる写真シリーズを目指した。その制作のプロセスでさまざまな事件やそれからの学びが起こっていく。もちろん日記も書く。でもその経験をも写真の中に少しでも含ませられるように意識していた。もちろん、写真集の中には日記も掲載したが、プロセスを意識的に削ったり結晶化するという意味では、大きな違いがあった。
ただし、やはり基本的には、この二つの経験では、何かを調べたり見つけたり出会ったたり、そういう学びが一人の中で発生してしまう。(そこで「Re-Fort Project」という共同作業が生まれてきて、さらにそこでコラボしていた服部くんの企画でさらなる発展系の日本館への挑戦へと、プロセスでの共同作業は発展していく先に僕の今はあるのだけど、それは少し置いておいて。)

僕の目指してきた最終的な作品というのは、基本、作家の手から離れて、自動再生機のように人々に体験をもたらせるもの。つまり、どこかに置かれて、多くの人々に鑑賞されるもの。それは、文学でもアート作品でも写真作品でも多くはそうだろう。置かれたものが人々に語りかける存在というのは簡単そうで難しい、だから必死に考えて頑張ってきたが、逆にそういうものに対して常に疑問や嫌気もある。それは、ここで言っている作品はアーカイブに委ねすぎているし、パフォーマンスやライブの清々しさに比べてかび臭い。(これは後々田さんの言葉。)それゆえに、油絵の筆跡のように、作家はその制作プロセスをパフォーマンスの記録のようにその作品内にうまく残しながら、シンプルで複雑な表現を目指してきた。し、逆にいうと、プロセスの中での学びの残り滓のようなものであることもあるし、僕の二つのシリーズでのプロセスの残し方はやはり筆跡の意識を持っていたと思う。

山登りの例え話。これはどういうことかというと。
例えば、多くの画家が絵を描く場合、一人でアトリエで一人で完成させるだろう。(=山に一人で登る) 次に、大きな作品の場合に手伝いを雇ってみんなで完成させるだろう。(=高い山に誰かと登る) でもその手伝いの人々は誰なのか?(=どこに登るかではなく誰と登るか) 例えば、その手伝いを職人などの専門職にお願いする場合、と、作家から学びたい生徒や弟子やインターンにお願いするのでは、体験が別のものになる。後者の方が後輩への学びの場になっている。しかし、「作家から学びたい生徒や弟子やインターン」の場合、どちらかというと、作品制作の手伝いの中から自分で学び取る姿勢になることが大きいのではないか。さらにいうと、作家が完成度の作品を目指していく作業を手伝わせているという意味ではどちらも大差はない。
恐らく、僕の最近の興味と実践としては、「作品制作のプロセスの段階で発生する体験や学び」と「完成した作品から受けられる体験や学び」を二つ同時に考えながら、意識的に新しくデザインするということであるのかもしれない。
多くの作家は「作品制作のプロセスの段階で発生する」存在を自らの筆跡として残すことを考える。しかしそうではなく、「作品制作のプロセスの段階で発生する」「体験や学び」を「完成した作品から受けられる体験や学び」と別のベクトルで考え構築するということを考えたいのだ。

ここで、一つ言っておきたいのは、作品制作でプロセスの体験自体に重点を置きすぎた場合に「完成した作品から受けられる体験や学び」が”弱く”なってしまうことが多いということだ。しかし、そこを妥協したくないし、今の段階で両立を目指している。それ自体が今の興味であり実験であり、完成した時に見えてくる新しさになるだろう。

例えば、「宇宙の卵」では制作時におけるプロセスでの協働と学びを見事に完成させたし、僕も多くを学べたと思うが、出来上がった作品からの受けられる観客の体験や学びは強くなかった。その両立のために、「瀬戸内「」資料館」では「プロセスの段階で発生する体験や学び」を重視しながら出来上がる作品が出来上がるが、さらにその先に長い年月をかけてさまざまな協働作業と完成が何度も起こっていき、それらが積層した状態を完成と考えていて、その完成予想図を持っているし、それによって、プロセスでの体験や学びをおこしながら、客観的な「完成した作品から受けられる体験や学び」を発生させようと考えている。

そうやっているうちに、一つ一つの調査や制作をより、いろんな人との共有していくことに興奮を覚えている。その一つが子どもたちとの調査と展示作りだと思っている。

軽視「作品制作のプロセスの段階で発生する体験や学び」→ 重視「完成した作品から受けられる体験や学び」

重視「作品制作のプロセスの段階で発生する体験や学び」→ 軽視「完成した作品から受けられる体験や学び」

という形であったのを、以下のようにする。

重視「作品制作のプロセスの段階で発生する体験や学び」→ 軽視「完成した作品から受けられる体験や学び」×多数→ 重視「完成した作品から受けられる体験や学び」

例えば、資料館では複数の協働作業やコラボレーションから展示や出版物を作っている。

・地元の主要産業の調査=「直島からみ風景地図」=地元男性二人とコラボ
・地元の食の調査=「直島すっぽんぽん新聞」=移住組の女性三人とコラボ
・地元の過去の産業の調査=「直島無人島地図(仮)」=地元こども4人とコラボ

他にもスタッフとの協働や部活動で協働など、

一つ一つの行動の完成したものを”軽視”している訳ではないが、それだけではしっかりと新しい作品形態にならないアウトプットであるが、それらを積み重ねていき、積層する形態を作っていくことで、より複雑に「完成した作品から受けられる体験や学び」を産もうとしている。つまりは、一つ一つのアウトプットがプロセスの一部である。

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