小さな手作りの学校

この一年以上、小さな手作りの学校を自分でやろうと、ない知恵をしぼっている。ま、時間だけはあるので。

これまでは、いろんな遠い場所を旅して、新しいビジュアル的な体験/視覚芸術作品を作ろうとしていたが、
コロナ禍の島での子育ての中で、制作やプロジェクトの方向性を少しシフトチェンジしている。

自分にとって、高校までの学校の経験というのを厳しめに書くと、
近所に住んでいると言うだけでバラバラの個性や性格の同じ年に生まれた子供があつめられ、興味もモチベーションもないことを色々とさせられる場所。(中学校などはさらに授業を妨害する生徒もいるわけで。数少ないモチベーションのある子まで邪魔される。)
先生はそういう子たちを数十人とかを同時に動かしながら同じ目標まで一緒に連れていく努力をする。社会で協調性を持って、一人で労働者として働けるまでに子供を仕上げる(工場のような場所)。(いや、個性を尊重して伸ばしてくれる良い先生もいた。でも現代、やる気のない生徒に「やる気がないならやめてしまえ」はパワハラになるし、みんな同等にケアしないといけない。そのせいで先生すら脱個性でモチベーションを失い工場の機械になっていく。)
個人的に高いレベルや教科以外の興味には対応しにくい特性もある。これまで、より高度な受験に対応できない学校に代わって、進学塾が発展した。今後は、それぞれの個性を伸ばすのも対応できない学校に代わって、勉強以外の塾/フリースクールは発展していくだろう。さらに、日本の学校は、お金がなくなり、どんどん保守化し、国際力を失っていくし、人間性や個性を伸ばせない方向へ。反面教師としては十分効果的な存在ではある。
つまり、学校は近代の歪みに満ちているのは明確で、近代の歪みと人々の生活と環境や風景に興味を持っていた僕がこの辺りに興味を持つのは真っ当な流れかもしれないなとも思う。さらに、この疑問に対してイメージの力で批判とか愚痴を言うのではなく、アクションを起こして実際に小さな変化を生み出してみたいと考えるようになった。自分でできる範囲で、家庭菜園を作るみたいに。


本当なら、学校は、
興味やモチベーションのある生徒が来る場所で。目標はバラバラでその子の個性に合わせて変化していくカリキュラムで。新しい仕事を作っていける生徒を輩出できたら最高だけど。
でも、もし、そんな学校を作るなら、ものすごく学費の高い学校になってしまい、結局、お金を稼げて意識の高い「親」のいる子供だけの特権になってしまうだろう。(逆に、今の日本でも、親は貧しくなるばかり、貧富の差が激しくなり、実力ややる気以外のヒエラルキーが社会に蔓延る。)
いや。でも。できる範囲でやってみても良いんじゃないかな。と思って、はじめてみる事にしたのだ。

今、僕自身、子育てをしていることもあって、「教育」に今までになく興味やモチベーションがあるし、まだ脳もそこまで硬くない状態なので、今のうちに自分のプロジェクトとして「教育」について関わってみたいと考えている。
その手探りで手作りの学校が、「しまけん!(小学生向け)」と「新美塾!(中高生向け)」なのかも。生徒は「しまけん!」が4人、「新美塾!」が13人。17人の個性と向き合うだけでも結構な仕事量と充実感。いつも脳のどこかで彼らのことを考えている。
「しまけん!(小学生向け)」は、僕の小さな島での実験として、無料で行なっている。生徒は逆指名性。僕が選んで声をかける。こんなの都市部ではできないだろう。さらに、「新美塾!(中高生向け)」は国立の美術館の企画で、無料。だけど、美術館の教育普及チームと本気で作っているし、無料なのに美術館独特の知恵と贅沢さがある。

問題があるとすると、すごい労力がかかっているが、稼ぎにはならないということ。それ以外はベストができている。今は収入にならないけど、時間があるから、今のうちに、こういう実験や実践をしておくことは、将来に何かの道になるだろうと、思っている。
でも、相当な負担がかかる。しかも、その逆に、すごい達成感もある。
だから、これまで仕事の中心になっていた「自分の作品を作る」「展示を作る」というモチベーションが、一気に色褪せていく。
その場所で専門性が出てきた瞬間に、野に下る癖なのかもしれない。
また目の前に、新しい荒野が広がっているのだ。
足を踏み出せ。

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